創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会を斬る-4

2021-01-02 05:49:37 | Weblog

   --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
     (本文中の色文字・下線・太線=兼ブログ主編)

  <この日本をどうする 2> --言論出版妨害事件--
 創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道出版部 昭和44年(1969年)
     --目次は第2回目に掲載-- 
    ------(P.21)---(以下、本文)-------

「マキアベリスト」たちの集団か 2/2
 このようにして、急速に伸張した信仰組織は、多分に“ご都合主義的”な傾向をもたざるをえない。強引な折伏につぐ折伏によって、急速に拡大された会員数は、まことに巨大ではある。だがマンモス化することだけによって、宗教として、真に民衆の中に滲透していくものかどうか、戦後社会の精神的空白に対する劇薬的ショック療法という側面をもってくいったのにすぎないのてはないか等々、幾多の疑問が生ぜざるをえない。

 われわれがここで、他宗をことごとく邪教とする信仰組織・創価学会をとりあげ、その実態を分析し、解明し、これを国民の前に紹介し、さらには批判し、その欠陥を衝こうと考えるのは、そういう創価学会のもつ異常性が果たして宗教の本質からみて正しいものなのかどうか、他宗を邪教としながら、なおかつ日蓮正宗なるものが邪教と称せられるものを止揚しうるものなのかどうか、そうした点に多くの疑問をもつからにほかならない。
 ともあれ、この宗教は政治や教育学やその他の哲学的べールによって、奇妙な重層的構造をもっている。だが、いろいろなべールに包まれているものほど、ある意味においては、その内容に乏しいということがいえないだろうか。タケノコの皮をどんどんむいていくと、その中味はチャチなものしか残らないわけだが、タケノコにはまだその芯があり、その芯は食べるに値いするけれども、創価学会の場合には、そのべールを除いたなら、その内容のなかに本当に芯といえるものがあるのかどうか、そういう疑問が残るということである。

 一般論としていえば、内容のないものほど外見的なデモンストレーシヨンを過大に誇示する傾向がある。最近の創価学会はとみにそういう実態の伴なわない誇大宣伝の傾向を強めているようにみうけられる。たとえば、針小棒大な宣伝のやり方、大規模なマス・デモンストレーション等々、そのやることなすことまさに誇大表示、誇大広告以外の何ものでもない。誇大広告をしなければならないということは、そのなかに問題があるからだ。
 そういう誇大広告や宣伝もまた宗教の運動形態であるというなら、われわれはその宗教そのものを考えなおさなくてはならない。
 宗教がその実態にふさわしくない宣伝に狂奔するようになった場合、それはあたかも中味のよくない不動産屋ほど誇大な宣伝をして、大衆を愚弄する傾向と似ており、宗教の形態とすれば明らかに堕落のはじまりといえる。そういう誇大なデモンストレーションや巨大なるマス・ムーブメントによって、いったい個々の人間の魂を救うことができるのかどうか、そういう素朴な、実に素朴な疑問が起こらざるをえないということである

 大宅壮一は「創価学会自体すでに大マスコミ会社である」といっているが、まさにマスコミ会社といわれてもしかたないほどに誇大な宣伝に狂奔している姿は、すでに宗教集団たる資格を失なっているのではないか、といいたくなるほどである。
 創価学会の実態をみればみるほど、いったいこの集団は、宗教や信仰を目的としているのか、手段としているのか、それとも、それとは違った一定の目的を達成するために、どのような手段を使ってもかまわないと考えて運動を強行しているのか、多くの疑問が生ぜざるをえない。まさに目的のためには手段を選ばないマキアベリストたちの集まりにすぎないのではないかという印象が、ますます濃厚になってこざるをえないということである
 ともあれ、創価学会は世界に類例をみない、たしかにユニークな宗教組織である。日本の全学連や右翼団体も、世界に類例をみない日本的なものであるが、創価学会もまたまぎれもなく日本的なものであり、メイド・イン・ジャパンであることは間違いない。なぜこのような集団が、ここまで多くの大衆を組織化することに成功したか、それはそれなりに研究するに値いしよう。

 だが、研究には値いするが、率直にいって、信仰とか内面の世界に打ち込んだ人間のみがもつ精神の尊厳さというか、そういう内面からピカピカと光るような充実感、感動感といったものを、この創価学会なる信仰集団との人問接触において、私はいまだかって一度も受けたことがない。
 どのような角度から分析してみても、なおかつ私は、これが果たして信仰集団なのであろうか、これが果たして宗教なのであろうか、という疑問をもたざるをえないのだ。さらにいえば、この集団の伸張によって、いったい、日本は良くなるのだろうか、悪くなるのだろうか、といった観点からしても、私はこのような信仰集団のこれ以上の拡大が、日本にとって決してプラスにはならないのではないかと、いまや考えざるをえなくなっているということである。
     ----------(つづく)---------24

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