今日のおじさん(気持ちは坊ちゃん)

55歳から走りはじめ、70歳サブ4なんとか維持したいと日々精進
ゆっくり長く走れば強い脚になれる・・信じて。

第24回萩往還マラニック大会 250Kの2/1(T_T) 参戦記(その1)

2012年05月06日 | レース模様
5月2日 13時からウルトラセミナーに参加。
完踏達人者たちの貴重なアドバイスを1時間半ほど聴講。
15回参戦者の達人より
 この大会はきつい→すべてにおいて自己責任でやる→たった3日間で学んだことが
 1年間の残り362日日常に役立つ だからやめられないし、やりきることができる!!


このあと、15時より250K参加にあたっての説明会約1時間。
外にでると、地元である植田ラン師匠が訪問にきてくれ気合をいれてもらい
ユンケルの差し入れをいただいたこのころから
宿泊先サンルートホテルまで送っていただき、預けておいて荷物を受け取り
恒例の2Fロビーを使い放題でラン準備と送付2箇所用荷物のパッキング。
ここで、もう一人先客がいて、着替えをしていた。
お話すると、なんと昨年完踏した「新居浜のウルトラの女王さま」を引率しながらの
ランであったらしい。なんという、偶然なのだろうか。今回はこの方に小判鮫でいくか
2日18時スタートのため、山口市瑠璃光寺前集合。
ここでも、植田師匠が、仕事帰りなのにまた応援にきてくれてた。雨が降り始めているの
450人近いなかからよく、見つけられたものだ
なんとなんと、さらにびっくりしたのは、もうすぐスタートとの直前に
昨年140K途中まで一緒に走った松山アミノの「まサルんば」も応援にきてくれて
激励をいただいた。今年こそ140Kリベンジのエールをおじさんからも送らせてもらった。


18時 雨がぱらついてきてるので、雨具を着こんでスタート。
あせらずゆっくり入ろうと、後ろのほうに位置し、エイエイオーの気合を
全員で呼称し、ウェッブスタート。
しばらく走ると、声をかけていただきました。なんとおじさんが
リンクを貼っている、cootさんであった。ご挨拶をしっかりさせてもらい
とりあえず、先にいかせてもらった。今回のエイドなどの詳しい様子は
cootさんのブログおじさんとまた違った苦しい戦いをされた。
それでも、150Kまでいかはったお見事でした。おつかれさまでした。

地図をみないでキロ6分~7分ペースで走っていると、後ろからさっそうと
身軽なボトルフォルダーだけのランナーが抜いていく。
その人の背後についていくも、かなり早い。これはあかんと、ペース落とし
よく似たペースの男性と併走。抜いたり、抜かれたりで、声をかけさせてもらう
と、さきほど颯爽と抜いていった身軽なランナーは、どこかの有名なトレイル
レースで1位の方だとか・・。
併走してる方もかなりの方らしく、あの人だけは抜けなかったと悔やんでおりま
した。

走り始めて3時間くらいするとやけに目の前に虫?花粉?えらい一杯飛んでくる
な~なんて思いながらいると、ようやく気がついた、ガス!!
そのうち、山の中に入ってくると、前が見通せなくなりついに、目の前にいるラ
ンナーもみえず。
1M先も視界不良、道路が曲がっているか直線かもわからず。
仕方なく、ヘッドランプは、道路右側にある白線に向けて照らしながら、道の曲がりを確認しながら走る。
(途中ガスがまだ出てないところでも、いきなり砂を積んでいるところあったがよけてぎりぎりセーフのとこもあった。
しかし、あとで聞いたところ何人かは、犠牲者がでたらしい。)


しかしついにまたやってしまった。2年前の奈良マラソンQちゃんとのハイタッチあとの悪夢。
今年愛媛マラソン前の公園内での悪夢の再来である。ま、夜間なのだから当然といえば当然。
そのあと・・・側溝のふたに足をひっかけて、みごとに体が宙にまって
飛んだ
。勢いで、ヘッドライトがぶっ飛んでばらばらに。
血だらけにはならなかったものの、腰、左腕をかなり打ちつけた
悲鳴をかけつけて、周りからライトがいっぱい集まってきた。
飛び散った、ライトの部品、電池をみんなで集めてくれ、おじさんの手元に渡し
てくれた。組み立てる間中、みんなで手元を照らしてくれ、競争でなく共走仲間
として感謝のきわみ、これこそ、ウルトラです


助けていただいた集団で安全確認しながらのラン。ライト一杯あったほうが安全なのです。
女子1名(Kさん)もまじっての集団走から、じょじょに集団がばらけてきたが
山道で女子一人にしないようにと、説明会でも言われておりちょっとペースを抑
えて、頼りにならないがボディガードラン

わりと平地になったところで、大丈夫と言われて各ペース走に切り替えて一人旅で
58.7K地点にある豊田湖畔公園(CP1:チェックポイント)へ向かう。

走り始めて、約6時間少々 、ここで深夜の食事タイム。
雨ランあまりの寒さで体が冷え切っており、熱いうどんとおにぎりで生き返った。
食べてすぐ、出発。外にでると雨具の下のウェアは、汗で濡れ雑巾。
その雑巾のまま再び雨の中にでると、震え上がった。

時は深夜、300Mほどある峠越えの頃からものすごい雨、風
ずぶぬれになりながら、ようやく次の80K地点のエイドがあるとこまできたがアクシデント。
先を走っていたランナー達が大勢引返してきた。
行き過ぎていたらしい。おじさんも同様にみんなについて引き返していくと、
さきほどの女子Kさんとすれ違った。バックですよ~と声かけると、
「いや、次のエイドまで一気に走るのでパスします」と
寒くて寒くて暖をとりたいはずなのに彼女の根性!!
しかし、この大雨、強風の中たった一人でいかすには心配なので、坊ちゃんもパスし追跡とした。
(人はこれを、ストーカランと呼ぶなかれ:彼女の頭の中には、過去完踏した地図が頭の中に
埋め込まれているので、おじさんは絶大な信頼、いや頼りきっているのだ

しかし、この頃から、彼女のペースについていくには、かなり厳しくなってきた。
1週間前から治療している膝の痛みが増し始めている。
(テーピングで対処はしているが、やはりこの距離になってくると、無理がでてきた)

それでも、つかず離れず(道がわからないので、経験者の彼女の後ろを
ついていくしかないのである:前も後ろも誰一人いないのだ

朝が白み始めた6時前に海湧食堂横を通過しすぐにある、(1つ目の荷物預け場所)
97.4KCP2の油谷中学跡に到着。 
ここで、びっしょりになった服を着替え。
女子Kさんと一緒にCPすましたが、彼女は着替えなしとのことで濡れたまま、再び出発。
恐るべし、体力、気力のウルトラウーマンであります。
(あとからきた兄ちゃんは、低体温であきませんと、着替えて毛布かぶって横たわっている
ウルトラ用勝負靴(サロマ)は、176Kの第二荷物預けに置いてあるため
濡れた靴にまた足いれて、海湧食堂にて、中華丼朝食をもらう。
ちなみに、どの椅子もみんな濡れたままで食べてるのでびっしょり


この続きは、その2へといたします。

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