今日のおじさん(気持ちは坊ちゃん)

55歳から走りはじめ、70歳サブ4なんとか維持したいと日々精進
ゆっくり長く走れば強い脚になれる・・信じて。

8月 ほぼ計画どおりでした

2015年08月31日 | 月別走行距離
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中島トライアスロン ボランティア物語

2015年08月25日 | ボランティア


愛媛はトライアスロン大会が盛んであるが老舗の大会「中島トライアスロン」
が8月23日中島(無論、島です)で開催された。
1週間後に、北海道マラソンにでる坊ちゃんは 直前でがんがん走らないように
ボランティアで歯止めをかけたしだい。
そして、ラン友さんが出るのでうまくいけば応援ができるので期待感満載。

生まれて初めての、レースのボランティアでどきどき。
当日、6時55分に三津浜港からフェリーにのり約1時間ちょい8時15分大浦港到着。
レースにでる人は、前日に島集合となっているのでこの日はボランティアの人と
応援にいく人たちで満員です。
無論、定員オーバと思われますが・・・。(あくまでも、想像です)
(途中、高浜港にたちより、ボランティアは本来そこ集合。ものすごい人たちが乗船まっており、
あきらかに無理だと思う人数のはずが・・\(◎o◎)/!)

港についたら、徒歩で10分ほどの廃校になった小学校の体育館に集合です。(交通部のみ)
綿100%の真っ白のTシャツ胸と背中に微妙な感じロゴ模様 を着た人がぞろぞろと。
高校生、大学生をのぞくと 女性はま~ま~若い方もおいでるが・・
男性はほとんどが坊ちゃんより上の人ばかり(。_+)☆\バキ(`´)
そう、これがボランティアの実態でしょうか。
そう思うと、女性のみなさまはすごいですよね。

ちなみ、同じジムのめちゃ速い30代の女性とか、この大会に出る予定が
練習中落車して怪我 だから ボランティアにまわった女性とかも
いてはりました。

体育館内で受付し、番号かかれた紙をもらう。
全員集合したところで、説明。
順番に番号を呼ばれ、呼ばれた人は場所を移動し同じ番号の人と
ペアを組むことになる。そして、腕章、笛、に 「弁当、飲み物」が
入った発泡スチロールを渡され 自分の配置場所も確定する。
所属は、交通部「ランパート」なので 道路での通行車両の整理。
ランパートは、通行止めをしないので 車の出入りする交差点で
ランナーの安全確保です。
ちなみに、バイクパートは完全通行止め・です。

11時発のバスで送ってもらえるのですが
10時のランパートのバスで先にいかせてもらい
スタート会場へ到着。
お昼の弁当は、ちょっと早いですが ここで先にいただきました

おかげで、10時半のスタート号砲をみることができました。
生まれてはじめての、トライアスロン見学で感激です。



坊ちゃんの配置場所は、ランパートのスタート地点から一番最初の
交差点(交差点といっても、車1台入れる細い道側)
無論、ランは5キロ先で折り返しなのでゴール直前の配置でもある。
最初のランナーが通過するまでは、たかくくっていたが・・この交差点が
えらいとこ(。_+)☆\バキ(`´) 。
ゴール直近で通行止めにしており、そこの迂回路 大会関係者の
車、老人ホームやらケアーホームやらの建物もあるらしく
出たり入ったりもう めちゃくちゃ 多い。
おまけに、路地から本道にでるのに急な上り。
入ってくる車両と出てくる車両で 途中かわせないのでこまめに
出てくる車両のはるか向こうからチェックしとかんとあかん。

これに、メインのランナーが走ってくる。往路だけならまだしも往路復路と
ランナーがきだしたら・・・\(◎o◎)/!
もうへろへろ。炎天下・・田舎だから車両なんかないだろうとの
予想は完全に覆された。

同じペアの方は道路反対側から、坊ちゃんへ路地からくる車両情報の指示をしてくれるので助かります。
正直、自分への給水時間もままならぬです。

先頭ランナーが通過が12時くらい(大会開始は10時半)そこから
ゴール閉鎖時間14時半までが 坊ちゃんの営業時間です。
待つ間に、ペアさんからボランティアのいろんなお話を聞かせていただいた。
目からうろこです。仕事やめてから、ボランティアなんてあまっちょろいと
金槌で頭打たれた気がしました。働きながら、もう10年近く
ボランティアをされてるそうで、それも 大変なことを。


一応、業務終了タイミングは 終了告知をスタッフの方が順番に回ってくるとのこと。

この位置でのボランティアは、忙しいのですが ランナーに熱い応援も
できます。ラン友さんを発見して気合いれ。トップ集団のすばらしい走りを目の当たりにできること・・
こんな機会はめったにありません。

スイム、バイクが終わったあとのランパート。やはり、先頭集団の人たちのフォームの美しいこと!!!
時間がたつにつれ後続のランナーは・・・はい、想像のとおり 腰が落ちて
ええ、この先 10K この人たち帰ってこれるん?と心配してしまいます。
・女性の方 よろけながら 走って・・いや歩いて前を通過です。 
その後ろを 最後尾のフラッグを付けたバイクが後に続きます。
絶対、時間内には帰ってこれません。
でも、女性の方、脚はとめません。半分熱中症?かと思えるような感じもしますが、自ら前に進もうとしております。
 ボランティアをさせてもらっているおかげでこのシーンもみれ、そして応援ができるのです。

復路にはもうトップ集団が次々に目の前通過していきますが
走りはまったくぶれてない・・美しいフォーム。
往路で応援したラン友さんもかなり前で帰ってきました。
しっかりした脚どりで 腰も落ちず ・・・大きな声で応援できました。

最高年齢と思われる方、制限時間ぎりぎり。
テレビ取材バイクは並走しながらこの方を撮影してます。
がんばってくださいと、必死で応援しました。
気迫がすごかったです。「絶対まに合う」と、何度も口にしながら
前を通過していきました。この気迫・・いただきました。


ランナーの立ち位置で、ボランティアさんに 応援してもらったとき
できるだけ応えるようにしております。エイドではごちそうさまでした。
ありがとうと。 が・・・レース後半は披露困憊で、手を軽くあげれるくらいしかできない状態のときもあります。
今回、ボランティアの立ち位置から・・制限時間に入ろうと必死のランナーさんにエール送ったとき、
声もでないくらいに弱っている・・でも、こちらをみて笑顔を返してくれるんです。
もうこちらを見る力も残ってないくらに弱っていても、うなずいてくれました。

学ばせてもらいました・・・やっぱり、ランナーはこの人たちに感謝の気持を返す。
その気持ちが、ボランティアの人にとっては、喜びに変わると。

スタッフの方が、途中に暑いのを心配して 2Lのペットボトルを
我々のところを回って配布してきました。

14時半 閉鎖よりも少し前に ランナーも途中関門にかかったのか
かなり少なくなっており、終了告知がきたので ようやく任務完了です。
告知にきたバスに乗っけてもらい 朝到着した港に到着。

15時発の臨時フェリーに乗船することができました。
フェリーには、早い時間にゴールした人たちでこれまた満員でしたが
なんとか座ることができました。

長い~長い1日 人生初の ランボランティア体験ができました。

実は、説明会場で 昔一緒に仕事をしていた方と再開
(ボランティア団体のトップをされてたそうです。いろんな話をきかせてもらいました)
ペアの方といい、すごいです・・みなさんの活躍。
とくに、このペアさん・・・尊敬です。

自分にはできるのだろうか?
社会とどうこれから時間たっぷりの日々を
関わっていくのか。新たな物語・・どう書きたいのかまだまだ未熟者です(;´Д`)

 これにて、坊ちゃんの 「ボランティア物語」終了。<m(__)m>


PS 心臓に悪かった話

一般道から路地に軽トラックが入ろうとしたので、ランナーは見えてるがすっと曲がればいけると 手招きで許可。
が・・・・\(◎o◎)/! 一発で曲がりきれず 斜めにとまった。
バックにギアをなかなかいれない・・・ええええ!!!!
はようせんかい・・・運転手 80をすぎた危なそうなおじいさん
ランナーどんどん近づいてくる ランナーは、その車のどっち側を
まわって前にすすもうか思案している・・・
なんとか路地に入って行った。ランナーさんに、頭さげて謝りました。
坊ちゃん的には・・・もう 免許は 返納されたほうがいいような
危ない感じがいたしましたです(。_+)☆\バキ(`´)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩往還マラニック 記憶集に想う

2015年08月13日 | 走ること
今年は走らせていただいたので記憶集が手元に届きました。

封書の中には、1枚の写真が同封されておりました。
スタッフのみなさまが、一人ずつ宛名と街がないように
写真をいれてくれる・・膨大な作業かと想像すると
頭の下がる思いに感謝です。
最後の最後までこうやってお世話してくれ、記憶集の作成〜
送付と 今日のおじさんの知る限りの大会では
類をみない 素晴らしい大会だと思います。
その記憶集も今回をもって終刊とひっそりと背表紙に
記載されてました。

過去にも投稿したことがあり、今回も完踏しなかったものの
自分への気持ちの整理(これが最後となる萩への挑戦)
お世話になった方たちへのお礼もこめての投稿でした。

ゴールテープを切った瞬間の感動の写真はないので
途中の写真を同封してくれてました。
この思いやりにあらためてスタッフのみなさまのやさしさに
感謝です。

自分の記事、そして他の方の最後まであきらめずにがんばり通して
迎えたゴールの瞬間と 最後の最後まで読んでいくごとに

我が身の辛かった道中、励まされ続けられた道中、これでもうやめようと
思った瞬間・・が思い出されきます。

何が言いたくて記事をアップしたかは・・
(読まれてない方には・・すみません なんのこっちゃわからないかとm(__)m )

記憶集の一番最後のページの投稿です。

今日のおじさんとしては、H女史さんの手書き文字の投稿に
いつも感動させられているのです。

いろんな大会でHさんにお会いします。すれ違うときに声をかけるだけ
でありますが、この記憶集に投稿されている手描きの文字を
よむごとに 励まされます。
そして、萩への熱い想いに 心うたれるのです。

Hさん、何回 チャレンジされたことでしょ。
今回もだめでした。 

来年はきっとでれないだろう・・のときもありました。
(大病を患われて・・覚悟されておりました)

奇跡の復活でしょう!翌年、お名前拝見したときは やった
よかったですね〜と心の中で喜んでおりました。

家庭の事情で来年からはでれないと言われていたのですが
今回、家族の方の協力やらでまた挑戦。

その今回の手記・・・・がんばってもがんばってもゴールに
たどりつけないレース。
それでも、萩を愛し 萩に挑戦を宣言する・・強いH女史さん。

たった3回の挑戦であきらめもう十分と中途退学宣言をした
今日のおじさん・・恥ずかしい限りです。


この「最後の記憶集」をバイブルにし、何年か後
(いったいいくつのなるのか??)
加齢を理由にせずに、H女史さんとすれ違うときに
挨拶するために戻ってこなければならない 萩だと思わされました。


PS 今病院で必死でがんばっている「まろにゃん様」が萩におりたつ時には
  今日のおじさんも 舞い降りたい。 それまでに体力増強修行であります。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

30キロランがたったの7キロに変わった日(*´∀`*)ノ

2015年08月04日 | うまいもんおじさん

8月に入って最初の日曜日
昨日から神戸では24時間走をがんばっているラン友さんがいる。
30度以上の炎天下でどうしてそんなに走れるのだろう。
松山からもぴょん吉兄さんが参戦。さらには年長のUeta大師匠もひたすら走っておられる。
萩往還250Kのエントリーも開始となり、このお2人は無論参戦される模様。
250の道のりは、こうやってきびしいトレーニングを積んだ方に
女神は微笑むのだ。

記憶集が昨日手元に届き、いま熟読中 辛かった思いが蘇ってくる。
ほとんどのみなさまの投稿は、そんな辛い試練に打ち勝った完踏記憶。
はずかしいかぎりであるが、途中挫折の投稿をさせてもらった。
反面教師の手引きにでもなれば幸いである。

朝早く涼しいうちのランでなく、道マラ対策もかねて
暑い中どれだけがんばれるかのメンタル強化練習にこの日設定。


そして、がんばったごほうびは、「いちご日和」の冷たい「いちごシェイク」。


第1案
 当初予定は、自宅から「いちご日和」までのラン・・・ほぼ30K
 出遅れて・・自宅まで戻ってくる自信がなくてパス。

第2案
 重信橋(自宅から10K弱)にバイクを置いて上林坂道コース
(turu姫さまに教えてもらったコース)を行って坂道どんどん上がって帰り道にお店による。
 これも30K・・ほんまに上林坂道をどんどん上がってここまで戻ってこれるのか?
 やっぱりパス。

第3案
 まずはお店をさがしてそこにバイクを置かせてもらい、坂道へ行く。
 坂道最低10Kは登っていくぜ!!
 かなり濃厚な案でこれに決定。最低でも20Kは走るぜ!

目標は、東温市讃岐街道沿いの拝志小学校を目指す。
バイクでがんがん走るが・・道路ひとつ隔てた河川敷の以前きたランニングコース
でこんなとこまでくるのかと、途中不安になり引き返す・・
いややっぱりまだ先かといったりきたり 松山市と東温市の境目でうろうろ。
結局通行人の方発見して尋ねるとまだまだうんと先と判明。
こんなにくるんだっけ?と疑いながら進むと、左側に目指す小学校発見。
地図をコピーして持っていたので、それによると少し行って右折。
右折してから・・????
どうもわからん。ま、ええかと進むとどんどん怪しい道にはいり
上林の坂道にでてしまった。これは来過ぎだ。
スマホさえあれば・・・・


右に曲がると、なるほど看板見える・・て、これは わからん(@_@)




20分くらいうろうろしただろうか。
店の前にバイクを停めてたら、店のかわいいお姉さんが出てきてくれた。
ここに置いて走っていくには、もう体力気力消耗しすぎてると判断。
またあとできます~と・

案3も却下。だんだん気温あがりここまで走って戻れる自信なし!!。

ということで上林坂道途中まで移動。

案4が浮上
道端にバイクとめ2時間くらいは走らんとな~と、スタート(10時半)

したものの・・あかん(@_@;)暑い!!
10時半過ぎ・・・2キロも行かないのに給水・・汗が吹き出る
上林小学校まであがってくる。ここまではturu姫さまときたところ。
このさきちょっとだけいくと橋があったはず。そこまでは行くことにしようと
さらに案4から案5にシフト。

のろのろ・・上っていくが3キロあたり もう限界を感じる
がもうここでアウト!!案5ほんの数分で消えました。


帰りの力を残しておかんとあかんと折り返してたったの7キロ
情けないことにギブアップ。

バイクまで戻ってきてさっそうと撤収。
お店まで移動し店内へ。あまりの疲労に、入り口を間違え
厨房の開かないドアをがちゃがちゃしてたら、お姉さんが
入り口を開けてくれました。
店内は、カップル2組 ラブラブムードの中を汗でびっしょり濡れた
臭いにおい撒き散らしながら椅子に座らせていただく。
そして・・・メニューよりチョイス ここはいちごでしょと、
いただきました~豆乳いりイチゴシェイク


生き返った!!!おいしかった~ 至福の時でした。
ようやく生き帰って帰路に。

ジムに戻って、筋トレ1時間、バイク40分ほどやってから
15時すぎ、2部練習 公園に7キロほどジョグ
これまた、暑かった!!
とんでもない計画倒れのへたれな1日。

が・・・ラン新コースがおかげで見つかりました。
「いちご日和ツアーランコース」認定となりました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月走行距離

2015年08月01日 | 月別走行距離
ジムを変わったら・・・バイク移動が多くなり歩きの時間が減った。

そして、膝の痛みは少ないので ランの時間少し多めにとれたので ラン距離が300Kを越えた。

前のジムは、ランとバイク セットのときもあったが 少し遠くなったので
セットをやっていると帰宅が21時すぎてしまい
それから夕飯・・・就寝は23時すぎ 食べてすぐに寝ることに

となると、運動量は減らして早めに帰宅 20時半くらいまでには自宅に到着したい

○筋トレ 40分、外ラン1時間、 お風呂20分

 →筋トレみっちりの翌日は 
○筋トレを減らして、ランかバイクへ時間シフト

→脚が重い、膝が痛いときは

○筋トレ1時間、バイク30分 お風呂20分

しばらくは、こんなとこでしょうか~

  
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水分補給・・奥が深い!!

2015年08月01日 | ランためになる話


昨日みたヤフーの記事 「正しい給水方法は?低ナトリウム血症にご用心」 

みられた方おいでますでしょうか。

練習中にでも、がぶがぶ水のむ・・・いわんや、夏場のウルトラなんかでは3キロ
ごとのエイドで、がぶがぶ飲んで 気分悪くなり あげくのはてに道端へ きらきら
なんてことが・・・。

このヤフーの記事を見る前から、よく訪問させていただくトライアスリート
るみおかん様でリンクを貼っていた
すごく興味ある記事がありました。

やはりトライアスリートの八田様の記事です。
タイトル  「夏の耐久スポーツ、水分補給と熱中症対策の「新常識」を知っているか?」 

とにかく、エイドのたびに立ち寄って 給水していた坊っちゃんには目からうろこ。

ましてや、フルマラソン最後2キロあたりで、うえぴょん師匠やらK守師匠の背中追っかけながら
お二人はエイド立ち寄らずですが、坊っちゃんは必ずよって給水し
ここでまた差が開く 自らの自滅。

こんなところでの給水で、たったの10分少々 効果はいかにですわな


給水ポイントを遅らすと・・・これまたあとでガツーンとくるのは
実践済み。かといって、がぶがぶも これまた あかん。

給水・・奥ふかしです
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする