1974年、坂東英二の「ばつぐんジョッキー」というCBCのラジオ番組で最初に流れた曲とされている。
♪遠い夜空に木霊する 竜の叫びを耳にして
中日球場詰め掛けた 僕らをジーンとしびれさす
いいぞ!頑張れ!ドラゴンズ 燃えよドラゴンズ!♪
出だしのフレーズは上記の通りだが、マイナー調の曲調で口ずさみやすかったのか、番組の途中で、「もう一回聴きたい!」というリスナーのリクエストが殺到。そしてアンコールで再度曲を流したところ、さらにもう一回聴きたいという声も殺到して、この日何と都合4回もこの曲が流れたそうだ。
私もこの曲は好きで、別に野球には興味はないが、この曲はカラオケでしばし歌った思い出がある。何せ演歌調で歌いやすい。
ところがである。中日ドラゴンズはこの立派な応援歌がありながらも、この間、一回も日本一になったことがなかった。日本一となったのは1954年しかない。
西鉄ライオンズとの対戦で、「伝家の宝刀 フォークボール」を持つ杉下茂の快投が光り、4勝3敗で見事日本一に輝いたシリーズ。この年には他に投手では石川克彦、近藤貞雄、打者では西沢道夫、牧野茂といった選手たちがいた。そして監督は東京六大学野球の名選手かつ名審判としてならした天知俊一である。
しかしこれ以後、中日はリーグ優勝こそあれ、日本一にはなったことがない。その間、現監督の落合博満、そして燃える男・星野仙一らがいたものの、52年間もの間、日本一から見放されてきた。さらに上記に挙げた54年の日本一当時のメンバーで今も生存しているのは杉下と石川だけ。
もっとも、54年の日本一のときは中日球場で決めた。中日球場というのは今のナゴヤ球場のことであるが、この球場も曰くつきの事件に巻き込まれたこともあって当時の施設管理会社が潰れてしまった。
しかし今年の中日は穴がなかった。福留が戦線離脱してもそれに替わりうる選手が色々といたし、また結果的に、昨年の今頃は騒動の渦中にいた中村紀洋を育成枠選手で獲得できたという「おいしい買い物」も功を奏した形となった。
ま、私もかつて1年半ほど岐阜県のとある田舎町に住んでいたが、スポーツ紙といえば断然中日スポーツが売れていたこともあり毎月購読していた。しかし一面で中日以外の記事が来ることはほとんどなかった。だからまず一面は見なかったが・・
でも、確か中日スポーツ創刊50周年記念とかいうことで手ぬぐいをもらったことがあるけど、それは今もどこかにあるはず。絵柄はもちろん「ドラゴンズ」。
さて公営競技関連における話も実はあって、皆さんご存知だとは思うが、1番の荒木雅博は熊本工業高校野球部でも1番を打ち、2番は合志正臣だった。この打順で甲子園にも出場したことがある。ということは?
♪1番荒木が塁に出て、2番合志が送りバント♪
となっていたのか・・・
ともあれ、中日ドラゴンズ、よく頑張った!
♪やった!頑張った!ドラゴンズ! 日本一!ドラゴンズ!♪
半世紀ぶりの優勝を喜びましょう!
ナゴヤ球場とウインズ名古屋は至近距離にあります。(無理矢理公営競技と繋げてみました)
53年ぶりの日本一ですからファンにとってみれば格別の喜びですねぇ。おめでとうございます。
ちなみにJR・尾頭橋駅を降りると、ナゴヤ球場への道順が記してありました。