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元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

「内閣が吹っ飛ぶようなことをさせられた」「安倍晋三・昭恵は、とっちゃんの墓前で手を合わせてほしい」

2020-05-26 07:45:29 | 安倍晋三関連事件(森友・加計・桜・統一教会)
元気だった頃の赤木俊夫さん。「いつも太陽のような笑顔でした」と雅子さん=2016年11月、岡山県内で





 二〇一八年三月七日朝。普段はこたつに入ったままの夫のとっちゃん(俊夫さん)が玄関まで来て、仕事に行く私に「ありがとう」と、死を覚悟して最期のひと言だった。

 「疲れるほど悩んでいる? 悩んだらだめよ」

 落ち着かず、午後四時にメールしたが返事はなく、胸騒ぎがして早く帰ると、夫は既に息をしていなかった。

 「内閣が吹っ飛ぶようなことをさせられた」

 夫が生前、つぶやいていた言葉の数々を思い出し、「財務省に殺された」と一一〇番した。二十人ほどの刑事が来て、六時間の事情聴取後、病院に戻り、母や親族の顔を見た時、ようやく涙が止めどなくあふれ、おえつが漏れた。

 ◇ 

 学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当していた財務省近畿財務局の赤木俊夫さん=当時(54)=が、佐川宣寿(のぶひさ)元国税庁長官の指示で決裁文書の改ざんを強要され自殺に追い込まれたとして、佐川氏と国を提訴した妻雅子さん(49)が本紙の取材に応じた。「改ざんに抵抗した夫がなぜ、死を選ばなければならなかったのか。夫のような被害者が二度と出ないよう、安倍晋三首相には真相解明のために調査の詳細を明らかにし、さらなる再調査を命じてほしい」と、現在の思いを語った。 (望月衣塑子)





 同じ岡山県の出身。出会って二回目にプロポーズされて結婚した。大きな声でよく笑い、明るく物知りで、とにかく優しかった。コンサートでも落語でもチケットを必ず二枚買うので、毎週末、連れ回され、気付くと、私も落語も美術館も大好きに。楽しむ夫を見ているのが幸せで、よく笑われるが、趣味は「赤木俊夫」だった。

 彼の顔から笑顔が消えたのは、一七年二月二十六日、佐川宣寿(のぶひさ)元理財局長らの指示で近畿財務局職員が大量に日曜日に呼び出され、上司に改ざんを命じられた日から。直後の旅行では、よく笑う夫が全く笑わなくなった。

 「内閣が吹っ飛ぶようなことをさせられた」「やったらあかんことをやらされた」

 改ざんは打ち明けてくれなかったが、日に日に表情は暗く、口数も減った。数カ月後、早期退職制度で辞めようと上司に相談したが「無理だ」と断られたと聞いた。あの時に辞められたら、夫はその後も苦しみ死ぬ必要はなかったのではないか。

 夏の異動がなく落ち込みは悪化、うつ病を発症した。家の上を飛ぶヘリの音を聞くと、窓の端から隠れて見るように。相談した産業医には「詐病では」などと責められ、傷ついた。

 「検察が追ってくる」「最後は全て自分のせいにされる」。妄想や恐怖を口走り、昼夜問わず泣き、体をかきむしりたたくなど、自傷行為を繰り返した。

 一八年三月二日、新聞一面に改ざんが報道されると「ちくしょう。もう死ぬ」と山にこもり、翌日は「近所の人に裁判にかけられる」と暴れ、否定する私に馬乗りになってきた。

 自殺した直後の五月、夢に何度か夫が現れた。「大事なものを置いてきた」と言っていた財務省でさがし物をする姿。もう一つは「俺は元気だよ。死ななくてもよかったのになぁ」と、屈託なく笑う姿だった。

     ◇

 「自分の体の半分がもぎ取られたような喪失感が今も続く」と雅子さん。「どんな状況でも生きていてほしかった。いつか元気になり、かつてのように太陽のような笑顔を見せてほしかった。どうしてあげればよかったのか。今も答えが見つからない」

 財務省や近畿財務局幹部たちの真実にふたをし、見て見ぬふりの心ない言動に何度も傷つき、提訴を考えるようになった。一七年二月十七日、「私や妻が関わっていれば、総理大臣も国会議員も辞める」との首相の答弁がなければ、佐川氏が改ざんを指示し、夫が自殺に追い込まれることはなかった、との思いが込み上げる。

 「首相夫妻には、とっちゃん(俊夫さん)の墓前で手を合わせてほしい」。静かにつぶやいた。

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