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六浪の女子フリーアナ

2024-01-26 15:04:39 | 大学受験
大学受験で6浪した原千晶アナが初告白 「浪人時代、連絡手段は文通と公衆電話でした」© AERA dot. 提供



大学受験で6浪した原千晶アナが初告白 「浪人時代、連絡手段は文通と公衆電話でした」AERA dot. 2024年 1/26 11時30分

TBS朝の情報番組「THE TIME,」でリポーターをやっている女性アナウンサーが大学に入るまでに6浪したことを明かし、ネットで話題を呼んだ。その人物とは元テレビ山口のアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーの原千晶さん(35)。「なぜ6浪?」「なぜアナウンサーに?」。ネットではさまざまな憶測を呼んだ。AERAの取材にその経緯を語ってもらった。

*  *  *

 事の発端はこうだ。番組では今ヒットしているモノ、コト、ヒトを深掘りする「TIME マーケティング部」というコーナーがあり、その日は原アナが「最新の自習室」をリポートしていた。最後に受験生にアドバイスをする場面で「私、6浪しているんです」とサラッと告白。生放送のスタジオでは総合司会の安住紳一郎アナから「原さん、6浪って本当?」と突っ込みを受ける。視聴者も同様の感想を持ったようで瞬く間にSNSに広がった。

「私はあまりSNSに詳しくなくて、番組のスタッフに話題になっていると言われたり、昔の友達から連絡があったりしてSNSで拡散されていることを知りました。番組では詳しい話ができなかったので、後で自分のSNSに医学部を目指していたこと、結局合格できずに別の大学に行ったことなどを書いてアップしました」

 福岡出身の原さん。なぜそこまで医学部にこだわったのか気になるところだが、高校時代の生活については意外な言葉が返ってきた。

「高校受験をして私立の女子校に通っていたのですが、部活も入っていなかったし、何か特別に打ち込んでいるものがあったわけではありません。ただ友達とおしゃべりしたり、時にはカラオケに行ったり、そんなごく普通の生活がすごく楽しくて。正直、その頃は将来の夢も、なりたいものもありませんでした」

■医師の父を尊敬していた
 父親は開業医、母親も歯科医という医療一家の長女として育つ。

「父や母から家業を継いで欲しいとか、医学系の道に進みなさい、と言われたことは一切ありません。2歳下に弟がいるのですが、弟も同様です」

 とはいえ医師として患者と向き合う父親の姿は小さい頃から見てきた。

「例えば家族で出掛けている時、患者さんから電話があったら1人帰って患者さんを診たり、開業してからも、朝でも夜中でも患者さんの元に駆けつけたりしている姿は見ていました。とにかくお金もうけより患者さんのためにっていう人で、そんな父を尊敬していました。医師っていう職業はなるのも大変だけれど、なってからも常に勉強が必要だ、ともよく言っていましたね」

 原さんが医学部受験を決意したのは高校3年の秋頃になってからだという。

「もともと国語より数学の方が得意だったので、理系かな、というぐらいの意識でした。ただ本当になりたいものなくてどうしようか悩んでいた時に、仲の良かった友達のお兄さんが4浪で医学部に合格した、という話を聞き、『医師になる』という考えが急に降りてきたんです。もちろん現役では無理だとわかっていたのですが、記念受験的に医学部を一校だけ受け、その年は終わりました」

 そこから原さんの長い浪人生活がスタートする。

「実は私、6年の浪人生活のうち半分は寮生活をしているんです。まず1浪目はそのお兄さんが通っていた医学系の予備校に通うことにしたのですが、そこは北九州にあり、寮があったので寮に入って勉強することになりました。そこには医師になりたい子たちが集まってくるので、医師になりたいという思いがより強まりました」

■社会から隔離された寮生活
 予備校の寮とはどんな生活なのだろうか。

「一人一部屋が与えられるのですが、1年目は携帯電話禁止、テレビもない。寮で朝食を食べたら予備校に行き、授業。お昼はお弁当を食べて午後も授業。空き時間は自室だと寝てしまうので予備校の自習室に行っていました」

 まるで社会から隔離されているような生活を送っていたことになる。

「友達とは文通をしていました。家族と連絡を取るために、皆公衆電話に並んで電話していましたね。日曜日は授業がお休みなので友達とランチをしに行くのが唯一の楽しみでした。何より同じ環境で一緒に頑張っている仲間がいることが心強くて、きついと思ったことはなかったです」

 そんな仲間も、合格すると抜けていく。

「受かる人は勉強ができるから、自分は学力が足りないから落ちるのは当たり前、と受け止めていました。受験は自分との戦いだと思っていてあまり人と比べることはなかったです」

 1、2浪目はその寮で過ごし、3回目の受験に失敗後は実家に戻る。

「環境を変えた方がいいんじゃないか、という話になり、予備校も変えて、実家から通うことにしました。新しい予備校に入るので知り合いもいない。また一からのスタートでしたが、同じ教室で年下のお友達ができました」

 母親の反応は?

「母は歯科医を辞めて、その頃は祖母の介護をしていました。予備校にいる時間も長かったので、細かくいろいろ言われた記憶はないです。模試の結果などは見せていましたが、特にネガティブなことを言われたことはないです。私が忘れているだけかもしれませんが」

 父親は?

「『お父さんの時代と違って今は医学部難しいから数年はかかるよ。私立は倍率も高いし。千晶は高校時代勉強していなかったんだから仕方ない』とよく言っていました」

 結局、3浪、4浪、5浪の3年間は実家で浪人生活を続けることになる。

「3浪以上になるともう普通の企業の就職は厳しいんじゃないか、と思いもあり、もはや医学部しかない、と自分を追い込んでいました。多浪の娘が家にいるわけですから両親も周りからいろいろ聞かれることもあったと思いますが、母は『ふわっと説明しておいたわ』と言っていたのを覚えています」

 他の人には何か言われた?

「高校の担任の先生には毎年調査書をもらいにいくので、『もう他のところも受けようよ』と毎年すごい言われていましたね」

■浪人中に同級生が大学卒業
 一番つらかったことは?

「5浪目です。高校の友達が大学を卒業し、社会人になり、結婚する人も出てきたんです。今まで人と比べることはほとんどなかったのですが、周りはどんどん進んでいるのに、自分だけ何も変わっていなくて時間だけが過ぎている感覚に襲われました。この年は精神的に一番きつかったです」

 それでも「5浪生」として予備校に通い、勉強を続けることになる。

「もうその頃は『多浪ズ』じゃないですけど、多浪同士の仲間が何人かできていましたね。女性でも一つ下に4浪の子がいたんですよ。あとはいったん大学に行ったけれど医学部に受験をし直す再受験組もいました」

 5浪後の受験も残念な結果となり、改めて家族会議を開いたという。

「わりとコミュニケーションは密に取る家庭だったのですが、ここで次は医学部でないところも受けよう、となりました。それは自分でも納得の選択でした。そして今年が最後だから悔いのないようにやり切ろう、と決めて有名な講師がいる京都の予備校に行くことになるのです。そこで最後の6浪目もまた寮生活をすることになったのです」

 また新しい予備校で、新しい環境に飛び込むことに?

「そうなんです。6浪と聞いて、さすがに周りの子に驚かれました。私は昭和最後の年の生まれなのですが、『え!昭和生まれなの!?』って。でも次第に5歳年下の子たちとも仲良くなることができました。人見知りせずに比較的すぐに友達をつくれるほうかな、とはと思います」

■父親の言葉で吹っ切れる
 最終的には医学部と福岡大理学部を受け、福岡大理学部のみ合格を得る。

「正直、詳しく調べたわけではなくて、実家から通えるところで数学系の大学、という選択でした。実際に入学したら、プログラミングの授業などもあり大変でした。しかしさすがにもう留年するわけにはいかないので、真面目に通っていました」

 大学選びに後悔はなかった?

「6年間も浪人して結局医学部に行けなかったことに対して大学1年目はモヤモヤしていたこともありました。なぜこんないらない苦労をしてしまったのか、と。そんな時に父に、それは苦労じゃない、浪人したくても環境的に難しい人もいっぱいいる中で、やりたいことを6回も挑戦できたっていうのはすごく恵まれていることだ。苦労とは言えないよ、と言われて。本当にそうだって思って吹っ切れました」

 6年間の浪人生活で得たものは?

「なんと言っても感謝の気持ちです。まずは両親や家族に感謝の気持ちでいっぱいです。学費はもちろん、日々のサポートなど、やりたいことに挑戦する環境を与えてくれて、ずっと応援してくれました。浪人時代の仲間はもちろん、高校のときの友達もすごく支えてくれて、その存在は本当に大きかったですね。たまに連絡をくれたり、受験前はお守り持ってきてくれたり。今振り返ってみると6年も浪人できたのは紛れもなく周りの人たちのおかげだったと思っています」

原千晶(はら・ちあき)/福岡県出身。福岡理学部応用数学科を卒業後、2017年4月にテレビ山口に入社。 2023年9月まで同局のアナウンサーとして活躍。 2023年10月からはセント・フォースに所属するとともに、TBSテレビの朝の情報番組「THE TIME,」内の「TIMEマーケティング部」に出演中。

(構成/編集ライター・江口祐子)

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