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亀井静香は「情け深い」がゆえに付け込まれやすい人物

2020-07-12 07:21:55 | 安倍、菅、岸田の関連記事
河井克行が、亀井静香の秘書に、ポン!と300万円を渡した疑いがあるとして、またぞろ、大騒動になっている。


関連記事:河井克行、亀井静香の秘書に300万円か 大規模買収事件で最高額 7/10(金) 23:57配信 中国新聞デジタル


亀井静香、といえば、東大経済学部からサラリーマン(別府化学工業)を経て、警察庁に入庁した後に政界入りしたこともあり、「強面」な一面を見せる一方で、本人自身は政界とは全く無縁な環境から這い上がってきた。

「三バン」議員が多く、党の要職に就く人物も、そうした人物が幅を利かせる自民党にあって、亀井は「硬軟織り交ぜた」政治スタンスを貫き、派閥を超えた党内人脈を作り上げていったが、とりわけ、安倍晋三の父親である、安倍晋太郎には、今でも恩義を感じているようだ。

というのは、亀井は福田赳夫が作った派閥である、「清和会」を、一度は追い出されたのだが、当時、「石原派」が失敗に終わった石原慎太郎とともに、1990年に清和会に復帰した。そのときの派閥の領袖が晋太郎だったのである。

ところが、翌年、晋太郎は他界。その後、領袖が森喜朗に代わった1998年に、森との方針対立がきっかけとなって清和会を脱退。翌、1999年には、村上正邦とともに、「志帥会」という新派閥を立ち上げた。

そして、亀井にとって、政治家としての一大転機が訪れた。

2001年、森喜朗退陣後の自民党総裁選に立候補したが、小泉純一郎と政策協定を結んで、総裁選本選挙の立候補を断念。小泉支援に回り、小泉は晴れて総理総裁となったがのだが、その直後、小泉から、一方的に政策協定を破棄された。これが契機となり、亀井は、「小泉・竹中平蔵路線」の抵抗勢力に仕立てられてしまったのである。

2003年、亀井は総裁選に出馬するも小泉に敗退。

そして2005年、自ら、志帥会を率いる領袖の立場でありながら、小泉・竹中が強く推し進める、「郵政民営化」に強く反対していたため、何と、自ら「野に下り」、綿貫民輔が代表となった国民新党結党に参加。「郵政選挙」と言われた同年の衆院選では、ホリエモンこと、堀江貴文に苦戦するも勝利し、選挙区での議席を守った。この直後に、国民新党の代表代行に就任。

その4年後の2009年、民主党を中心に、社民党とともに政権交代を実現。鳩山由紀夫内閣では、金融担当大臣に就き、中小企業金融円滑化法を成立させた。

その後、菅直人内閣に端を発し、野田佳彦内閣時代に本格化した、消費税増税案に強く反対するも、これについては、国民新党内でも意見は二分化したばかりか、党勢が伸びない国民新党としては、圧倒的多数派である、民主党の意向に沿う必要性に迫られていたため、消費税増税を党として容認する形となり、その引き換えに、亀井を代表から解任。亀井は、「解任は有効だとは思っていないが、私はこのまま国民新党にいるべきではない。今から、日本が立ち直って行くために、一兵卒として全力を挙げてがんばっていきたい。国民新党代表のまま離党いたします。以後はもちろん代表ではありません。」と述べ、またしても、野に下る決断をした。

その後、亀井は事細かに動きは見せるものの、政界の大枠に関しては、これといった影響力がないまま、2017年に政界を引退した。

亀井は、安倍晋三が「師匠」だと言及している小泉とは犬猿の仲だが、晋三とは比較的関係は良好だ。それどころか、亀井自身が、いまでも晋三の世話人のような形で行動する場合もある。

つまり、ここが、今回の騒動のポイントなのである。

亀井は、衆議院議員時代、一度も選挙で負けたことがなかったため、今でも、かつての自身の地盤における影響力は大きいとされている。

その上、晋三とも関係は良好。

さすれば、河井克行が、亀井静香を「抑えておかねばならない」と考えるのは『当たり前』。

しかも、亀井が、「河井案里を応援してやってくれ」と、かつての後援者に依頼していた、となると、河井の背後に、もっと大きな存在があった、と考えるのが自然だ。

亀井静香、という名前が出てきたことにより、河井夫妻事件は、深層へと突入しそうだ。
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