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東京優駿(日本ダービー)2018回顧:「父・洋一が果たせなかった『無念』を、息子・祐一が晴らしました!」

2018-05-29 06:47:20 | 大レース回顧集
関連記事:5/27 東京・東京優駿(GⅠ) (第85回日本ダービー)




祐一、悲願成就だ。27日、東京競馬場で競馬の祭典「第85回日本ダービー」が行われ、外枠17番から好位に付けた福永祐一(41)騎乗の5番人気ワグネリアンが死力を尽くして1着でゴールを駆け抜けた。福永は19度目の挑戦で父・洋一氏(69)のバトンを受けた福永家悲願のダービー初制覇を達成。友道康夫師(54)は2勝目、金子真人オーナー(73)は同レース最多4勝目、生産者ノーザンファームは4連覇を飾った。 【レース結果】

 あふれてくるものを抑え切れない。やっと、ようやく手が届いた。ダービージョッキー。ワグネリアンのウイニングランで福永は何度も涙を拭った。

 「ふわふわした感じ。こんな高揚感、充実感を味わうのは初めて。ダービーは違うとは聞いていたけど、違いましたね。親父はずっとこの景色を見たかったんだなと。代わりにしっかり目に焼き付けました。福永洋一の長男としてこの世界に入ってきて、ようやく父に誇れるいい報告ができる。福永家の悲願でしたから。良かったです」。G121勝目を飾った名手がまるで新人のような表情を浮かべた。

 8枠17番。「腹をくくりました。最後はもう気合だけ」とリスクを承知で先行策。直線壮絶な追い比べで相棒を鼓舞し、皐月賞馬エポカドーロをラスト100メートルで半馬身差捉えた。16年連続19度目の挑戦で、ついにダービージョッキーに輝いた。

 洋一さんは7度挑戦して78年カンパーリの3着が最高。「父が一番勝ちたかったレースがダービー。志半ばでジョッキー生命を絶たれたが、父が果たせなかった夢を自分がかなえられれば喜んでくれるのかなと思っていた」と胸を張った。歓喜の輪が広がる検量室前では、号泣する友道師の胸に飛び込んだ。

 「友道先生や厩舎の皆さんが目いっぱい、仕上げてくださったので悔いのないレースをしようと。担当助手の藤本君がゲートインする前に“信じています”と言ってくれたんです。男として、その思いに応えないといけない。レース後、引き揚げてくると藤本君が泣いていたし、僕も泣いていました。最高ですね。ジョッキーをやっていて良かったです」

 デビュー3年目、ダービー初騎乗となった98年はキングヘイローで2番人気に支持されながら14着に終わった。12年は1番人気ワールドエースで4着、13年は3番人気エピファネイアで2着。「最初の年は緊張感にのまれてしまって…。無力感を感じた年もあったし、このまま勝てないんじゃないかと思う時期がありました」と振り返る。ダービーに焦がれた男は負けるたびに折れかけた心を奮い立たせ、ひたむきに競馬に取り組んできた。

 父は競馬場には来られなかった。何と伝えるか?と問われると、照れくさそうに「顔を見てから決めます。うらやましがると思う」と笑った祐一。ディープインパクト→ワグネリアンの「父子制覇」とともに洋一氏&祐一の「父子の制覇」も成し遂げられた平成最後のダービー。「勝つことを夢見て、こんなにいいモノなんだと思いました。新しい元号でもダービージョッキーになれるよう精進します」と締めくくった。大仕事をやり遂げた達成感と喜びに浸りながら、その視線は早くも1年後に向けられていた。

[ 2018年5月28日 05:30 ]





現在は自宅で訪問介護を受ける父・洋一氏の姿は東京競馬場にはなかった。それでも、一番でゴールを駆け抜けた愛息の雄姿は生涯最高の喜びだっただろう。自身のダービー初騎乗が1970年。福永家の悲願は昭和を通り過ぎ、平成最後のダービーで49年越しで成就された。

 7人兄弟の末っ子として高知県に生まれた。父親は戦時中の空襲によって何度も自宅を奪われており、生活環境は厳しかった。洋一少年は幼少期から釣った魚を売り、競馬新聞の売り子をしたこともあった。極貧と飢餓の日常を生きてきたからだろう。兄・甲(はじめ)氏の背中を追ってJRA騎手になり、「天才ジョッキー」の称号をほしいままにしても、ハングリー精神は変わりなかった。「ええか、俺はいつでも必死なんや。遊びで乗ってるんと違うで」。ある競馬関係者が「洋一、たまには兄貴に勝たせてやれよ」と冗談で言ったところ、そう怒気を含んだ声が返ってきたとの逸話がある。

 70年から9年連続でリーディングジョッキーとなったが、長男・祐一がまだ2歳だった79年の毎日杯で落馬。重度の脳障害を負って一時は危篤状態に陥った。それでも、不屈の魂で死の淵からはい上がった。渡米して「ドーマン法」という機能回復訓練を取り入れると、マヒしていた手足が徐々に動くようになった。過酷を極めたリハビリに挑み続け、いつしか言葉を理解するまでに回復し、事故から約6年後には栗東トレセンを訪れて乗馬にも挑戦。その時に洋一氏が口ずさんだのが、ペギー葉山の昭和の大ヒット曲「南国土佐を後にして」だったという。

 そんな父を見てきたからこそ、息子はいつしかこんな言葉を口にするようになった。

 「ずっと父の背中を追ってきたが、近づくにつれて遠ざかった気がする。高知(が生んだ偉人)といえば、坂本龍馬と福永洋一だと思います」――

 ◆福永 洋一(ふくなが・よういち)1948年(昭23)12月18日生まれ、高知県高知市出身の69歳。岡部幸雄元騎手、柴田政人現調教師、伊藤正徳現調教師らと同期で68年に騎手デビュー。“花の15期生”と呼ばれた。77年には当時の最多勝126勝、78年に131勝に記録更新した。81年に引退。生涯成績は5086戦983勝。重賞49勝(G1級9勝)。04年にJRAの騎手顕彰者として競馬の殿堂入り。

[ 2018年5月28日 05:30 ]



青字のところは、武邦が言った話だろ。

武邦は生前、「冗談をよく言う人物とは思えなかった」ので、マジで洋一を諭したとしか思えないのだが・・・

しかし、洋一のほうが武邦よりも「一枚上手」だった。


でも、洋一ほど、「人情味あふれる騎手」もいなかったらしい。

実は、洋一は1977年の皐月賞をハードバージで制したにもかかわらず、シンザンの厩務員で、師匠である武田文吾厩舎時代の「先輩」にあたる中尾謙太郎厩舎所属のホリタエンジェルでダービーを目指すという理由により、ハードバージの鞍上を降りることになった。ハードバージは武邦彦に乗り替わった。

つまり、ホリタエンジェルはその時点では、ダービーの出走権すら危うかったのだが、当時、ダービートライアルだったNHK杯で2着に入り出走権を獲得。しかも、「本番」ではハードバージに次ぐ2番人気にまで押し上げたが、結果は15着と惨敗。

このときのことを振り返り、中尾謙太郎は、「ホリタエンジェルはNHK杯のときがピークだった。洋一がハードバージに乗ってたら多分(ダービーも)勝ってただろう。悪いことした。」と述懐した。

しかしながら、洋一には、「もう一つ」、上記と似たような事例があったと「噂されている」。

それは、1979年のカツラノハイセイコ。実は、洋一が未勝利と条件戦(1979年1月7日の京都・呉竹賞)で勝利に導いてオープン馬(厳密には800万円下条件馬)となった。

ところが、どういう理由かは分からないが、次走の800万円下特別では(同年1月28日の京都・ジュニアC。ここでも勝利し、カツラノハイセイコは正真正銘のオープン馬となった)、洋一の「兄弟子」にあたる松本善登に乗り替わり、以後、洋一が騎乗することはなかった。

リーディングジョッキーの代名詞である洋一から、40歳を過ぎ、騎乗回数すらめっきり減少していた「ロートルジョッキー」に乗り替わること自体が、当時ですら、「不自然」としか思えないのだが、松本は以前、カツラノハイセイコと同じ馬主のコウイチサブロウを重賞制覇に導いたことがあった。

実は、この2年後に松本は他界するのだが、この時点で、もう体調がよくなかったと言われている。このことを気遣った洋一が、「善さんにはもう残された時間はない。俺にはまだ(ダービーを獲れる)時間はある」という理由から降りたのではないかと「噂されている」。

だが、その年の3月の毎日杯での落馬事故により、洋一は二度と馬に跨ることすらできなくなってしまったわけだが・・・

























アンカツ






場立ちの予想屋「大黒社」です!

JRA土日のおさらい/笠松けいば鵜飼シリーズ開幕☆

『日本ダービー』まで馬券は我慢。

◎「ダノンプレミアム」から、馬連で4頭に流すという馬券作戦でした。結果が出たから言えるのですが、一とん挫の影響があったのかもしれませんし、距離も長かったのか。

勝った△「ワグネリアン」は、外枠で相手の3番手に評価を下げてしまいましたが、掛かることを恐れず、ポジションを取りに行ったのが成功した感じです。

2番人気の「ブラストワンピース」は、ネット予想や競馬塾でも指摘しましたが、太目の影響があったのかも。

2、3着馬がヌケなので完敗ですが、競馬塾的に、もし「エポカドーロ」が勝っていたら、何年ぶりかのペナルティ(坊主頭の刑)を受けるとこでした。





3歳牡馬クラシック第2戦「第85回東京優駿(日本ダービー)」(G1、芝2400メートル)が27日、東京競馬10Rで行われ、福永祐一騎手騎乗の5番人気ワグネリアン(牡3=友道厩舎)が優勝。平成最後のダービーの舞台でG1初制覇を果たした。

 中団やや前目につけたワグネリアン。早めに進出して、逃げた皐月賞馬エポカド―ロとの叩きあいに持ち込み、最後はとらえきった。ウイニングランで鞍上の福永は涙を流しながら何度もガッツポーズを繰り返した。勝ちタイムは2分23秒6(良)。半馬身差の2着には4番人気エポカド―ロが入った。さらに首差の3着には16番人気のコズミックフォースが入った。

 勝ったワグネリアンは父ディープインパクト、母ミスアンコールという血統。 ディープインパクトもダービーを制しており、これで父子制覇となった。ディープ産駒はダービー4勝目。

 デビューから無傷の3連勝で東スポ杯2歳Sを制し重賞初制覇。今年に入ってからは弥生賞2着、皐月賞7着と勝利から遠ざかっていたが、大舞台で巻き返した。通算戦績は6戦4勝。

 鞍上の福永は中央G1通算21勝目で今年は初勝利。ダービーでは2着が2度あったが、19度目の挑戦で悲願の初制覇となった。管理する友道師は中央G1通算9勝目で今年は初勝利。

 2015年に生を受けた競走馬6955頭の頂点。日本中のホースマンが目標とする日本ダービーの舞台でワグネリアンが最高の栄誉を手に入れた。
[ 2018年5月27日 15:40 ]





 3歳牡馬クラシック第2戦「第85回東京優駿(日本ダービー)」(G1、芝2400メートル)が27日、東京競馬10Rで行われ、福永祐一騎手騎乗の5番人気ワグネリアン(牡3=友道厩舎)が優勝。平成最後のダービーの舞台でG1初制覇を果たした。

 鞍上の福永はウイニングランで何度もガッツポーズ。19度目の挑戦で悲願を達成し、「何が何だか分からなかった。1着でゴールできたのは分かったので、ふわふわしていました。初めての気分です」と興奮気味。大歓声を浴びて涙を流し、「たくさんのお客さんが声援で迎えてくれたところがうれしかった」とほほえんだ。

 ダービーでは2着が2度。「キングヘイロー、1番人気で臨んだワールドエース、エピファネイアもそうですけど結果を残せなかった。もう勝てないんじゃないかなと思ったときもありました」と振り返り、「本当に初めての気分です。騎手として貴重な体験です」と声を震わせた。

 同じく名手として活躍した父・洋一氏(69)について話が及ぶと「良い報告ができると思います。福永家の悲願でしたから、本当に良かったです」と満面に笑みを浮かべていた。











10R 東京優駿(GⅠ) (第85回日本ダービー) 3歳オープン 2,400 (芝) 牡57kg ・牝55kg 15時40分

1 枠8桃 17 ワグネリアン 牡3 57.0 福永祐一 2:23.6 34.3 450 -2 友道康夫 5
2 枠6緑 12 エポカドーロ 牡3 57.0 戸崎圭太 2:23.7 1/2 34.7 490 -2 藤原英昭 4
3 枠4青 7 コズミックフォース 牡3 57.0 石橋脩 2:23.8 クビ 34.7 464 -2 国枝栄 16
4 枠7橙 14 エタリオウ 牡3 57.0 H.ボウマン 2:23.8 ハナ 33.5 454 +4 友道康夫 13
5 枠4青 8 ブラストワンピース 牡3 57.0 池添謙一 2:23.8 ハナ 34.5 532 +10 大竹正博 2
6 枠1白 1 ダノンプレミアム 牡3 57.0 川田将雅 2:23.8 アタマ 34.6 498 0 中内田充正 1
7 枠3赤 6 ゴーフォザサミット 牡3 57.0 蛯名正義 2:24.0 1 1/4 34.5 496 0 藤沢和雄 7
8 枠7橙 15 ステルヴィオ 牡3 57.0 C.ルメール 2:24.0 クビ 33.9 462 +2 木村哲也 6
9 枠2黒 4 アドマイヤアルバ 牡3 57.0 丸山元気 2:24.1 3/4 33.4 472 +8 須貝尚介 17
10 枠5黄 10 ステイフーリッシュ 牡3 57.0 横山典弘 2:24.2 クビ 34.3 452 -2 矢作芳人 10
11 枠1白 2 タイムフライヤー 牡3 57.0 内田博幸 2:24.4 1 1/4 34.7 450 -4 松田国英 14
12 枠3赤 5 キタノコマンドール 牡3 57.0 M.デムーロ 2:24.4 クビ 34.0 490 -12 池江泰寿 3
13 枠8桃 18 サンリヴァル 牡3 57.0 浜中俊 2:24.5 1/2 34.9 494 +6 藤岡健一 12
14 枠7橙 13 グレイル 牡3 57.0 岩田康誠 2:24.6 3/4 34.2 486 -8 野中賢二 9
15 枠5黄 9 オウケンムーン 牡3 57.0 北村宏司 2:25.0 2 1/2 34.9 448 -6 国枝栄 15
16 枠8桃 16 ジェネラーレウーノ 牡3 57.0 田辺裕信 2:25.3 1 3/4 36.2 498 +2 矢野英一 8
17 枠6緑 11 マルガイジャンダルム 牡3 57.0 武豊 2:25.4 1/2 35.3 488 -4 池江泰寿 11
18 枠2黒 3 テーオーエナジー 牡3 57.0 藤岡康太 2:26.2 5 36.7 504 +4 宮徹 18
タイム
ハロンタイム 12.7 - 11.0 - 12.3 - 12.4 - 12.4 - 12.3 - 12.2 - 12.0 - 11.7 - 11.2 - 11.2 - 12.2
上り 4F 46.3 - 3F 34.6
コーナー通過順位
1コーナー (*12,16)1(7,17)(3,18)(6,8,10)(2,9)(11,13)(5,15)14,4
2コーナー 12,16(1,7)(3,8,17)(6,18)(2,10)(11,9)(14,13)(5,15)-4
3コーナー 12(1,16,7)8(3,17)6(2,18)-(11,10)(14,9,15)13-5-4
4コーナー 12(16,7)(1,8,17)(3,6)(2,18)10(11,9,15)14(13,5)4

払戻金
単勝 17 1250円        
複勝 17 410円 12 390円 07 3640円
枠連 6-8 3190円        
馬連 12-17 7950円        
ワイド 12-17 2710円 07-17 34420円 07-12 30290円
馬単 17-12 15520円        
3連複 07-12-17 521600円        
3連単 17-12-07 2856300円



・17 ワグネリアン・・・道中は外目を通って前団をキープ。先に仕掛けたコズミックフォースを目標にしながら、坂を上り切ったあたりから一気に伸びを見せ、最後は逃げるエポカドーロを交わした。

東スポ杯2歳ステークスでの勝利直後、「早くも、来年のダービーはこの馬で決まり。」という声が上がったほどだったが、弥生賞、皐月賞での敗戦がもとで、「急落に近い」評価となってしまった。ただ、弥生賞は「ポン駆け」、皐月賞は馬場の渋化が原因という見方もあったし、馬体もキッチリと仕上がっていた。内目にコースを通った、ダノンプレミアムとブラストワンピースの両頭が、ともに、道中折り合いを欠いたのに対し、外目を通ったこの馬はきっちり折り合っていた。勝ち負けの差は、ここに出たのではなかろうか。

上がりの勝負に持ち込まれると、差し届かないというケースも考えられる馬だが、その分、距離が延びていいタイプだろう。今後は菊花賞を目標にローテーションが組まれるのではないか。

また、鞍上の福永祐一は19回目の日本ダービー挑戦で初の「ダービージョッキー」となった。初騎乗が丁度20年前となるキングヘイロー。この馬は皐月賞2着からのローテーションで挑んだことから、「福永はダービー初騎乗初制覇するんじゃないか」という期待までかけられたが、スタートでハナに立たされるという予想外の競馬を強いられて大敗。それからダービージョッキーになるのに20年もかかった。

しかしながら、「天才・洋一」とて、日本ダービーは1978年のカンパーリの3着が最高着順だった。「福永家の悲願」となっていた日本ダービー制覇は、ついに息子の手腕によって成し遂げられた。

・12 エポカドーロ・・・逃げ馬不在だったとはいえ、皐月賞と打って変わって、巧みなペース配分を見せ、惜しくも二冠達成は逃したものの、皐月賞馬の名に恥じないレースを見せた。

・7 コズミックフォース・・・プリンシパルステークスの勝ち馬でありながら、16番人気という低評価だったが、坂上で先頭に立ち、その後も3着に粘り込んだ走りにビックリだ。今後の成長が待たれるところ。

・14 エタリオウ・・・2着ばかり続いていた馬で、低人気だったが、直線で鋭い追い込みを見せ、今回の1、2番人気馬にそれぞれ先着した点は評価できよう。

・8 ブラストワンピース・・・終始折り合いがつかず、不完全燃焼のレースだった。

・1 ダノンプレミアム・・・終始折り合いに苦しんでいた様子。直線を向いても、馬群を捌けないまま着順掲示板すら外す、「背信の競走」をしてしまった。

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