公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

ご意見番はこう訴える

2006-04-27 00:09:19 | 公営競技論

競輪界の「ご意見番」であるT社長(コンドル爺、コンドルおやじ)こと?武田一康氏が24日、58歳の誕生日を迎えた。

そこで、誕生日を迎え、T社長が常々感じていた自らの思いをここでぶつけてきた感じがする。結構考えさせられる内容なので全文紹介したい。

TOOL4より

全国47場は赤字だけは出すまいと、別に競輪課で頑張らなくても生活は出来る公務員の方が寝る間も惜しんで1年365日フル稼働しているのに、競輪事業で飯を喰っている団体、日自振・全輪協・自転車競技会・競輪選手会には危機感を訴えているのに口先ばかり、やってる事は旧態依然で、プラスどころかマイナスばかり。今年は世界選が5月に開催(ボルドー)され、不評の国際競輪はお休みかと思っていたら来月やるとの事。出稼ぎの外国選手に特別なルールっで走らせてまでメリットがあるのか。たった1ヶ月競輪学校で訓練した処でファンや競輪の歴史そして何たるかを理解させるのは至難の業。又もやファンを悩ます運行で1人当たり一千万円を持ち帰る事に。「競輪は選手本位でファンの事は問題外」を強く印象付けてファン離れの一因になるしかないのに。全員が1~3着までに入る事を前提に競技、その中には脚力だけでなく頭脳にテクニックをミックスさせ、9人で争うからこそ大衆に受け、中央競馬を抜きギャンブルの王様に輝いた事も。しかし現在では後発の競艇にも抜かれ、存続が真剣に論議されてる状態なのに上部団体は極楽トンボ。選手を甘やかすから近畿の場や松山では顔見せ(自由走行)の後にテロップで「実際と異なる事があります」と流れても何の指導も。ファンは選手コメントと顔見せで車券を購入してるのに、こんな無責任な事を平気でやってる事はナメているとしか。これだけ開けた世の中にどうしてもファンに選手の真意、そして調子を伝えたいの一心で朝早くから競輪場に足を運び取材をやろうとしても何を疑っているのか1レースが終了するまではダメのお達し。実際的にレース直後とかは選手も興奮していてそれ処では無いが実情。以前のコメントとか顔見せがなかった頃に作られた規則を盾に、刑法に触れたかの様な威圧的な態度。選手の中に私の事を嫌いな奴が居て、ご注進におよぶ輩も。誰が賞金を出しているのか、全部ファンの懐から出てるんですよ。私は熊本で発売する場には余程の事が無い限りは取材に行く方針ですが、それがダメならもう行っても無駄になります。熊本競輪は場外売上高は常に全国ベスト5に入ってるのは新聞「コンドル」があるからと自負しています。売上にも貢献してるし、大口勝負のファンには不可欠な資料だからですが、日自振にしても全輪にしても扱いが軽いのには怒りしか。私は今日で58歳、実働するのは60歳までの2年で、年金が支給される予定の65歳まで後7年、それまで熊本競輪が、いや競輪が頑張って呉れたらと思ってますが現在の状況はそれさえも。すでに平日ではありますが1日の入場者が千人を割ってる場は10場を越し、売上が5000万を割る場は半分近く、選手賞金は捻出されず、それでも頑張ってるのに選手は我がままばかりとは。各施行者のぼやきは日自振に収める交付金、バンバン売れていた頃ならいざ知らず、赤字からでも持って行く制度。もしこれを収めずに済むなら黒字とか。ならば費用を引いた黒字のパーセントを持って行くが筋ではが大半の意見。それにしてもせちがらい世の中になりました。私達の年齢かそれ以上の人達は競輪が最高に輝いてた時代を楽しんで来た過去があるからです。このまゝ終了しても「楽しかった」で人生を終えるのは幸せ者かも。


掲示板では茶化して書いてしまったが、ここでは少々上記のT社長の話についてまじめに考えてみたい。

私は2月に行われた全競労の熱海の集会において、

「西宮・甲子園競輪が廃止されたときに一番問題となったのは場内従事者の異常とも思える賃金の高さにも原因があったと思ったのだが、以後ここにおられる皆さんをはじめ、今や場内従事者は賃金カットやリストラなどを受け、もうこれ以上合理化は無理だというところまで来ていると思う。なのにどうしていまだ公営競技に光明が差してこないのか?それはレースを運営する側である選手や「お上」の意識がいまだ昔のままでしかないのではないか。」

というように最初に述べたように思うのだが。

そして、施行者についても、かつては連携の悪さが指摘された公営競技だが、今や相互場外発売は「当たり前」。この間の笠松では、自場のレースは9つにとどめ、残り2レースは水沢の場外発売となっていた。さらに驚くことに、今月2日には、間に金沢の5レースを発売していた。この金沢のレース、ただの「平場」なのにである。

今月はじめ、私は四谷の自治労へ行ってきたのだが、そこでの話でも特に選手の意識の甘さ、赤字開催を施行せねばならない意味のなさというのが主題となった。

そして施行者も今や、何とか今ある公営競技を存続させようと必死である。昔ならば、

「赤字が出たら即廃止でいい。別に私たちの仕事が減るわけではないから。」

というような「いかにも」役人意識しかなかったようにしか思えなかったが、その「役人」とて、小泉構造改革のもと、大幅なる公務員職員削減方針をつきつけられ、ひいては、公務員も成果主義をベースとした賃金体系を導入せざるを得なくなっている以上、とにかく、「成果」「結果」を求められるような時代となっているため、仮に公営競技事業がなくなれば、そこに従事している人間のクビが吹っ飛びかねない。

したがっておそらく、西宮・甲子園競輪の廃止決定時点においては、

「やめたくなったらやめればいい」

という考え方がどの施行者にもあったはずだが、今やとてもそんな考え方になっているようには思えない。そしてどの場をみても、皆職員が必死に公営競技を盛り立てていこうという気概が感じられる。逆にいえば、今の公営競技は、とにかく、本場が面白くなっているし、私も現在は在宅投票はほとんどせず、本場でしか打たなくなっている。

しかしそれでもなぜか気が晴れない。なぜか?それはレース内容が「面白くない」からである。

T社長の記述を見てもわかるとおり、とにかく一部の選手を除けば、舐めた、そして競輪の行く末を考えていないかのような選手があまりにも多すぎる。よって施行者が笛吹けど、客は「来ない」のである。

とりわけ公営競技のヒラのレースについては明らかに選手が舐めたような走りとしか思えないシーンに出くわす。私とて競馬・競輪については20数年見てきたわけだから、レースの中身を見て、

「こいつは明らかに舐めた走りしかしていない。」

というのが「わかる」のである。それは他のキャリアン十年といった人たちも同じ。つまり、目が肥えた客を相手にしているというのに、やる側の意識は明らかに、

「どうせこのレースですっとぼけても、客はそんなに買ってないだろうから気にすることはない。」

というようにしか見えてこないケースがあまりにも多いのである。

ではこうした意識の選手をどうすればいいのか?ということにつながっていくわけだが、これはもう、

「斬る」

しかないんではないか。

客が例えその選手から100円でも買っているんであれば、自分の持っている力を最大限発揮するべきであろう。にもかかわらずそれが「できない」というんであればプロではなかろう。いや、その道の「アマチュア」でさえ、そんな舐めたプレーなどしまい。

逆に客の目はますますごまかせなくなってきている。どの業界を見ても、常に上質のものを求めている。

WBCで優勝したからといって、プロ野球人気が爆発的な盛り上がりとはなりえないように、公営競技だって、今やトップクラスのレースしか売れなくなっている。その他は全て「赤字開催」。

なのにその「赤字開催」をいまだなくせない、なくしたら困る、という姿勢の上部団体の考え方というのを一体どのように捉えればいいのか?

客側は別に、

「なくしてもかまわない」

といっているものを、ごり押ししている上部団体の考え方が「わからない」。

結局、「ショバ代」というのか、それほしさ、つまり「搾取」できるところはしなければならないという論理しか「考えられない」のである。

しかし今の時代、そんな論理が通用するのだろうか?

もはや、上からただ見下すだけの、「なんとかの論理」では通用しない。しかしそのあたりの意識が選手から上の関係者はわかっていない。しかし、「肝心」のそこがわかっていなければ、何をどうがんばったところで、公営競技の人気浮上など「ありえない」のではあるまいか。


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