公営競技はどこへ行く

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1950年は金田正一が国鉄スワローズに入団した年でもある

2017-09-29 17:22:02 | スポーツ
ヤクルト 球団ワーストタイ94敗目 1950年以来67年ぶり不名誉記録 9/28(木) 21:00配信 デイリースポーツ

「広島3-1ヤクルト」(28日、マツダスタジアム)

 ヤクルトが7連敗で、1950年以来67年ぶりの球団ワーストタイとなる94敗目を喫した。

 初回こそ三者凡退も二回以降は走者を出しながらあと1本が出ない。3点を追う七回に坂口の4号ソロで1点を返したが、最後まで決定打が出なかった。

 これで球団創設元年の1950年、国鉄時代のワースト記録に並んだ。同年は138試合で42勝94敗2分けだった。

 今季は川端、畠山、雄平などの主力選手がケガで戦線離脱。昨年まで2年連続でトリプルスリーを達成した山田の不振もあり10連敗、14連敗、9連敗そして今回の7連敗と大型連敗で敗戦を重ね、借金は50となった。今季限りでの退任も発表されている真中監督は「まだ3試合あるので、一つでも多くね」と連敗ストップとともにワースト記録更新の阻止を目指す。



1950年8月23日に金田正一はプロデビューを果たした。夏の甲子園大会予選で敗退直後、国鉄と契約を結んだために、左記のデビューとなったわけだが、金田は正味2カ月程度の初年度プロ生活にもかかわらず、何と8勝(12敗)も挙げた。

その後、金田自身も、「打てない、守れない、走れない」と揶揄した国鉄だったが、その国鉄在籍時代、2年目以降、退団する1964年までの14年間、金田はすべての年に20勝以上をマーク。ちなみに、翌1951年は、国鉄自身は46勝(59敗)だったが、金田は22勝(21敗)をマークした。

つまりは、金田がチームの半分の勝ち星を挙げているわけであり、これが契機となって、後に、「監督を監督する」という、『傲慢』ともいうべき振る舞いまでもが「許される」、『金田天皇』の名をほしいままにしていくわけである。

しかも、金田が在籍時代、デビュー年を除くと、国鉄が最下位に転落したのは1953年だけだった。

ということは、金田みたいな「天皇」が出現すれば、ヤクルトも「生まれ変われる」、のかな?


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