すっ~~~~ごぉぉい、邪馬台国は越前にありって!!とうとう見つかったかぁぁぁ・・・・まだ全部のユーチューブ・ビデオとかって見てないですがぁ、たまWEB脳内では超納得・わかるんですよぉぉみたいな・・・とりあえず記事メモっておきやすぅぅ・・・
‘八俣遠呂智’さんのご研究・紹介、すばらしいですぅぅ、ありがたいこってすぅぅぅ・・・
「弥生時代末期に存在した大国、邪馬台国を研究しています。
畿内説・九州説・出雲説など、いろいろな説がありますが、いずれも決定打がありません。 なにが問題なのか・・・?
当ホームページでは、超大国出現の基本である農業の視点から調査を進め、交易品の鉱工業や、商業活動にも着目して、邪馬台国の場所を特定しました。・・・
農業の視点
畿内説・九州説・出雲説・・・色々な説がありますが、いずれの説も、これまでは農業の視点が欠落していました。現代のように、日本全国どこでも水田稲作が出来て当たり前と、論者達は、思い込んでいるようです。弥生時代末期の日本列島は、湿地帯・淡水湖・密林地帯がほとんどで、水田稲作が出来る場所は限られていた事を、まずは認識しなければなりません。
そして、その時代に超大国が出現するには、それに見合うだけの農業生産の必要がある事を、大前提にすべきでしょう。
畿内説 → 淡水湖や湿地帯だらけで農耕地が少ない。
九州説 → 筑紫平野は密林地帯で、三日月湖跡しか農耕できない。
出雲説 → そもそも平地が少ない。
という風に農業生産の視点から見ると、弥生時代末期に超大国になる要素はありません。
そこで私は、魏志倭人伝から場所を特定するのではなく、弥生時代末期に大国となるための条件を考察しました。
大国出現には必然性があります。食料(農業生産)と、働く場所(農耕地)がなければ超大国は生まれません。そんな当たり前なことを調査して行くと、ある場所が弥生時代末期の有力な超大国だった事が分かりました。
その大国は、偶然にも魏志倭人伝の場所と一致していました。・・・・
邪馬台国の都は、現在の福井県福井市を中心とした平野です。勢力範囲は、北陸地方から山陰地方、九州北部にまで及んでいました。
弥生時代末期、この平野一帯が、日本で最も農業生産が優れていました。
弥生時代中期までは淡水湖だったこの一帯が、弥生時代末期には、水稲栽培に最適な土地となったからです。驚くほど平坦で、極端に水はけの悪い沖積層から成っており、こまごまと畦を作る必要のない大規模水田稲作が可能な土地でした。
必然的に、爆発的に人口が増え、邪馬台国の基盤が出来上がりました。・・・・
狗奴国・・・ただし、冬場の悪天候という日本海側ゆえの欠点がありました。
そのため、常に近畿地方への南下を目論んでいました。その当時の近畿地方は、『狗奴国』です。『邪馬台国』と『狗奴国』が常に対立していたのは、魏志倭人伝にも書かれている通りです。
卑弥呼が世を去ってから250年後の五世紀末、ついに邪馬台国は狗奴国を征服しました。これが、第二十六代天皇の継体天皇です。ヤマト朝廷という名前は、ヤマタイ勢力が支配した朝廷という事です。
・・・・
邪馬台国は、日本の古文書には全く記されていない事になっています。しかし、古事記にヒントが隠されていました。『やまたのおろち』。八俣遠呂智は、年に一回、出雲の収穫期に現れます。
さて、どこから現れるでしょう?
弥生時代末期の農業大国を調査していましたら、高志(越前)が浮かび上がりました。
意外過ぎる場所で、ここが邪馬台国だとは思いませんでした。さらに、翡翠の加工場や、鉄器の出土、継体天皇の出現など、越前に非常に興味を惹かれました。
とどめは、記紀のヤマタノオロチ伝説でした。古事記に「高志之八俣」(越のヤマタ)とあり、越前が邪馬台国だと確信しました。
」 https://www.xhimiko.com/ 八俣遠呂智
継体天皇といえば、あの小林惠子女史の著書では、エフタルがどうのこうのと・・・
「第1部 西アジア系遊牧民エフタル(継体朝)の到来(継体朝に投影している新羅にわたったスサノオ 中央アジアのオアシス都市亀茲から来た加羅国王 ほか)・・・第3部 列島・半島を支配した継体の子供たち(百済王・聖王は欽明天皇だった 欽明・宣化、三国で覇をきそう ほか) 第4部 空白の倭国(倭国に侵攻した新羅・真興王 敏達は百済の地に追われた ほか)」
おっとっとっとぉぉ、『継体朝とサーサーン朝ペルシア』(現代思潮社 2012)、連休中、図書館から借りてて、積ん読になっとったですかぁぁ・・・
「新羅王・智証は継体天皇だった」(p. 62)とありますかぁぁ・・・この小林女史の、もうちょい簡単になったの教科書にしたらいいねぇぇ・・・
‘おおまに’さんとこで取り上げ記事にしてくれるかなとコメしたんですが、
「3. たまWEB 2019年05月07日 14:53
記事とはあれですが、
邪馬台国 越前説 のホームページみつけました。真相っぽいんでは?!ご高覧あれかし・・・みたいな・・・
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/0df7a254c4f5cc017037e6560bf2e736
」http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2105833.html
残念ながら、ならずでしたかぁぁ・・・
何しろ江戸時代?からの論争ですかぁぁ
また、私の稚拙な動画を評価して頂きまして、ありがとうございます。