犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

2013年7月23日(火)

2013-07-23 07:50:33 | 日記


 西の空に満月が浮かんでいた。東の空の白さを反映して、満月は黄色くはなかった。白っぽく、既に昼の月のようだった。西に向かって、海に沈む月を見るのも良かったかな。
 柴犬を連れた人と出会い、いつものようにかわいがってくれた。頭から尻尾まで撫でてくれた。しかし、今朝は早くから仕事があるとかでゆっくりは出来なかったようだ。
 国道に出て橋を渡る。その時、ちょうど照明灯が消えた。こちら側の中央に1本、向こう側の両端に2本ある。どの照明灯も芯に当たる部分が、まだ赤黒く消え残っていた。川沿いに行って、踏切の照明がさっと消えた。こういうことってよくあると言えば言える。ふと時計を見ると、針がぴょんと進んだとか。

 犬は新しい所へ行きたがる。やはり好調なのだろう。昼間は殆どのんべんだらりとしているから、この散歩のために力を温存していることになるのだろう。どこかへという目的があるのではなく、鼻を効かせながらも行き当たりばったりである。

 精米所があって、その裏側に行った。犬が薄黄色のものを舐めた。こりゃいかんと、すぐに制したが、少し食べられてしまった。糠であろうか。ソフトクリームを思い起こさせた。
 川に至る。堰の所にカモがいた。親が1羽、子供が4羽。親は母親だろう。堰を飛び越して親が子供のいる所へ急いで行った。こちら側の岸から離れて向こう岸に行った。この前見た時は、子供は雛と表現したが、もっと数が多くはなかったか。近くから遠くまで見通してみたが、見当たらない。もういないのだろう。これが自然で運命なのだろう。この世は生きている者たちの場所なのだ。
 小魚が群れている。これもこちら側の岸から逃げるかのように中央の方へ向かっている。この川はどうして小魚ばかりなのだろう。大きなのもいたが、やがていなくなるのだ。大きくなるとどこかへ行ってしまうのだろうか。どこへ。海しかないが、まさかである。上流は考えられない。すぐに狭く浅くなっているからだ。そしたら、海とはいかなくとも下流の川幅が広がった所に棲息場所を変えたのかもしれない。

 数年間に新設された駅の裏に出た。ここを南に向かうのが順路というものだろうが、北に向かった。遺跡のそばを通って踏切を渡ってどんどん進む。犬がである。電柱などの下の黒くなった尿の跡があると必ず嗅いだ。新しい知り合いに挨拶するように。まめなことだと思う。犬も私が流れがあれば、じっとそこを眺め動く物でも見つけようものなら、しばらく動かないのを呆れているかもしれない。
 ある病院の正面に来た。おそらく住宅地の丘にあった病院の電柱の病院はこの病院だろう。確かにここの電柱にも勿論、病院との表示があった。

 通常利用する駅の隣の隣の駅まで来てしまった。流石に引き返さなければならない。お腹もすいたが、水分の補給もほしい。道路わきの自動販売機が目に入る。いつもは目も向けないのに。お金はないし、早く帰ろうと思った。
 国道を南下する。突然、犬は嫌々を始めた。足を踏ん張って進もうとせず、首輪は正面からすっぽり抜けそうになる。それでも引っ張ろうとすると、例のポーズで座り込んだ。4本の足を伸ばして腹を地面にべったりと付けて。バスの停留所でバスを待っている人が見る。すぐには言うことを聞かないことが分かっているので、しばらく辛抱する。間合いを測って、よし行くぞと少し大きな声で言うとサッと立ち上がった。
 川沿いの公園で2,30人が音楽に合わせてラジオ体操をしていた。みんなバラバラでゆったりとやっている。参加することに意義があるのだろう。 
 クマゼミがシャアシャアと鳴き散らしている。上から聞こえると地面に押さえつけらるようになる。横からだと突き飛ばされるように。これが夏である。
 今日は1時間40分は歩いたと言いたいところだが、結構止まっているので、ずっと歩いているわけではない。少なくともこれまでで一番遠くまで足を伸ばしたことは確かである。散歩の最初の頃のことが、随分昔のことのように記憶がぼけてきた。

 昨日、広報車が回ってきて、野生のサルが出没しているので注意してくださいと言っていた。散歩中にサルに出くわしたら大変なことになっただろう。犬猫の仲よりも犬猿の仲と言うから。