犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

遠慮がちに嘆願する犬

2015-03-31 07:07:19 | 日記


 6時20分に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 山陰本線を跨ぐアーチ状の新しい道を行くコースを歩く。薄曇りで風はない。

 犬は路面の小用の跡を見つけ次第、その都度、律儀に嗅いだ。私が鳥を見たり魚を見たり花を見たりする以上に必要性の高い価値あるものなのだろう。向かう勢いの強さと嗅ぐ時の丹念さからそう判ぜざるを得ない。
 これが犬の生活というものなのだろう。

 ・・・
 未明1時過ぎだったろう、階下で犬が鳴いた。強請したり命令したりするような口調のバウではなく、遠慮がちに嘆願するようなキュウインという声である。
 それで却ってすぐに応えてやらねばと思った。
 リードを付けて庭に連れ出す。南庭で小用を足して北庭に向かった。北庭で犬は門扉越しに外を眺めた。鼻先は突き出している。かなりの時間、犬はそうして動かなかった。
 どうした、もうええかと言うと犬はすぐに動き出した。
 グミと柿の木のある中庭で犬は糞をした。グミはたくさんの花を付けているし柿はようやく若芽を付けてきた。
 ・・・

 犬は散歩中、糞をしなかった。

 7時に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時5分に犬の散歩に出掛ける。小倉から来た親戚がリードを持ってくれた。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。

 朝は軟便だったが夕方はようやく普通の便になった。犬は自分の口からは自分の体調について何も言わないので出てくる便に語らせるしかない。

 海辺のカフェの手前で右折して高架道路に付設する歩道に上がって行く。夕日というには早い太陽が眩しいし熱さも感じる。犬は長い赤い舌を伸ばしてハアハア言っている。

 川や海や山の風景も高みからすると違って見える。そして、それが面白く感じられる。知っていることのバリエーションは知っていることの記憶を僅かの差異によって更に強化するのだ。パロディが続くわけだ。

 車道と並行している所に出た。車はひっきりなしだが穏やかに走っているという感じだ。音もさほどしない。舗装のお陰だろう。信号も交差点も横断歩道もなく殆ど高速道路である。ゆとりのある環境が人の気持ちをゆったりさせるのだろう。

 下って右折して一旦、この高架道路から下りた。そして、今度は反対側の歩道を歩いた。やはり緩やかな広々とした登りである。
 しかし、風景は主に住宅地なので先程の海の見える風景とは随分違う。が、今まで知っていた風景との差異に興味を喚起されるのは同じだった。

 この工事に何十億か、何百億かかかったか知らない。その種の規模の金額についてはまったく現実感がないので。が、ここは私の知っている海岸ではない。新しい所だ。果たして馴染むのだろうか。

 5時15分前に帰着。


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