6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。
丘陵の頂越えのコースを歩く。曇っていて暖かくはないが、かといって寒くもない。僅かに東風が吹いている。歩いている内に長袖のシャツで丁度、良かったと思った。
出発の時刻が日の出に合わせて早くなって通勤、通学の人々とあまり出会わなくなり気を使うことも減った。
国道から川沿いの道を行く。川岸側にメダケがちょっと生えているがそこからウグイスの大きな声が耳にはっきり聞こえてくる。道から直線距離で2,3mといった所だ。つい、こちらも口笛で「ホーホケキョ」をやってしまう。ウグイスは驚いた風もなく「ホーホケキョ」を繰り返す。
丘陵の頂を越え田園地帯に入る。草が勢い良く伸びている。こんもりしたヒメオドリコソウ、ナズナ、ホトケノザ、カラスノエンドウ、オランダミミナグサ、クローバーなどみな犬の背丈より高い。だから、犬は草原に入ると姿が見えなくなる。カラスノエンドウは花を付け始めていた。
川に至る。大きなマゴイが背びれは言うに及ばず上半分を水面から出して橋の下に入った。そこは少し深くなっており小さなマゴイが何匹もいた。
少し下ると小さなアオサギが水面をじっと見ていた。そのそばにホオジロが水の中にくちばしを入れて何かをつかんですぐ上の林に入った。
駅裏の出て市の施設の敷地に入り表から出て踏切で下りのヂーゼルを待つ。警報機が鳴り始めた時、やって来た車は停車せずに行った。その後ろの車も遮断機が下りる前に通過した。
散歩の始め、国道に出る手前で路線バスが青信号が変わりそうだったが急ぐこともなく停車した。後ろの乗用車は右折して信号のないところの道へと左折した。バスは一見、目的地は各バス停だが、巡回しているから時間的な制約はあるが路面にいることが最終的な目的である。だから、信号で待つことを厭わない。急いで行っても仕方がないからだ。だが、ある特定の目的地に定刻に到着することを目的とする場合、待つ必要のないルートがあるならそちらを選ぶ。頭の使いどころだし運転技能も発揮できる。目的を達するために自分の能力を寄与させることが出来る。信号は勿論、交通安全のためにあるのだが、あまりに日常的過ぎて逆説的に考えたくなる。
信号に間に合ったらラッキー、今日の俺はラッキーだ、良いことがあるかもしれないとその場限りかもしれないが、一時的な高揚感を得ることが出来る。間に合わなければ、能力を駆使して抜け道を行き、工夫して困難を乗り越える自己に満足を覚えるだろう。信号はこういうことの為にもある。物事は常に逆から考えることが出来る。踏切の方が少し刹那的であるがスリルを感じただろう。
7時40分に帰着。
昨夕の散歩について
4時過ぎに犬の散歩に出掛ける。
北のものから出て参道を西に進み、公園、グラウンドを通って海岸に向かう。海辺のカフェの・・・
と、ここまで来て、毎日、同じ行動をして、毎日、同じ記述でよくも飽きないものだと我ながら思う。これが自分の日常であり自分の精神状態の反映だということは分かっている。
いつものようにやって行くしかないのだ。
西の風がかなりあるが寒さは感じない。午前、一時、雨が降ったがもう降らないようだ。
北の山山は見えないし、島は長州出島と六連島がかすかに見える位だ。
北に向かう。川に至る。岸壁に立って川の方を見る。波が上流へ遡っていた。
グミの木が枝枝のあらゆるところから芽を吹いている。あの青みがかった黄緑色の葉を間もなく見ることが出来るだろう。
5時15分前に帰着。
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