ほぼ週二 横浜の山の中通信

人と異なる視点から見る

清朝はサハリンを統治していた

2023年05月01日 | 国際・政治(中国)

ロシアと中国は微妙な関係

 

ウクライナに侵攻したロシアは仲間が少ないので、習近平をロシアに招いて仲間にしようとしたが、習近平は公にはそう簡単に首を縦に振らなかったようです。良く言われている話ですが、ロシアと中国は仲がいいようで実はお互いを警戒している。

 

中国は清朝の頃、その領土はロシアの沿海州を越えて広がっていた。ところがソ連が上手く立ち回り、北京条約でソ連領になってしまった。それが怨念として中国に残っているのか、現在中国で売られている地図には、ロシアの一部の地名に中国名が付記されているとか。

 

中国の地図のロシア地名に中国名が併記

 

4月5日の日テレニュースから引用すると、

 

中国の地図を発行する政府機関・自然資源省は、2月14日に「公開地図内容表示規範」を公布し、その第14条の規定に、ロシア極東地域の8か所の地名(沿海州と外満州の地名)に対し、現在はロシア語で発音されている地名に加えて、中国領だった清王朝時代の中国名も地図上に併記することを義務付けました。

 

この8カ所の中にサハリンがあり、「庫頁島」という中国名が付けられている。うん?清朝時代、サハリンは中国領だった?

 

サハリンは中国領だった

 

史学研究会の松浦茂氏の書いた「<論説>一七二七年の北京会議と清朝のサハリン中・南部進出」には、

 

(清は)雍正十年(1732年、徳川吉宗の頃)にはイブゲネらを再度サハリンに送り、中・南部のアイヌを始めとする、全部で百四十六戸の住民を従属させた

 

とあり、清はサハリンまで勢力を伸ばしてきたようです。この論説には、「カムチャッカ半島の南端のエゾ」という表現が出てきて、ロシアは「エゾ」を自国領と主張していたようです。「エゾ」が北海道と書いた記述が無いので、どの地域なのか不明確です。

 

2018 年9月の『北東アジア研究』別冊第4号には、「清朝のアムール支配の統治理念とその実像」というのがあり、サハリンを含む中国、ロシアでは毛皮取引で活発な人の移動が行われていたようです。

 

清朝は、曲がりながらもサハリンを支配していたようです、

 

中国とロシアの複雑な関係

 

上に書いたような事情があるので、清朝の弱みに付け込み、列強の中で上手く立ち回って沿海州やサハリンを手に入れたロシアに対して、中国の人たちは複雑な感情を持っていると思われます。

 

一方、ロシアもかって中国領土だったロシア領に中国の影響が及ぶのは避けたいでしょうね。

 

中国は将来、沿海州を取り戻す意思はあるのでしょうか? 表立っては言えないけど、消極的に狙っているとか? チャンスがあれば奪い返すつもりかな? 

 

中国は取り返す?

 

中国が台湾を併合した後、中国はロシアの沿海州とサハリンを取り戻しに来るかもしれない。ロシアが弱体化した隙に乗じて、中国がサハリンを占領したら、日本にとって脅威でしょうね。その時、日本はアリューシャン列島を取りに行きますか!

 

それとも、中国は西部方面で紛争を起こすかな? 

 

ところで、中国共産党の一党独裁下における資本主義経済(少なくとも計画経済ではない)という不可思議な体制は、いずれ行き詰って崩壊すると思う。いずれにしても、ロシアの弱体化と、中国の現体制の方向転換(弱体化?)は訪れる。

 

2023年5月1日

 


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