「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「虫送り」

2014年07月03日 | 季節の移ろい・出来事

                
                          激しい雨に打たれ、うつむき加減の竹や木

NHKがお昼のニュースを延長して放送するほどの大雨が降った。
幸いなことに、この地方は大きな被害の情報もないが、九州北部、特に長崎地方は早くも土砂災害の被害が出ている。
海を目の前に、山を背負った我が国の地形。仕方なく山を切り崩して家を建てたりする住環境。
それらを、自然という猛威は突如牙をむいて襲いかかる。

呑気なことを言っては叱られるかもしれないが、窓から見える小さな森は、雨の重さに少しうなだれている。

        “ 竹も木も うなだれおるや 梅雨さなか ”  お粗末!

こんな小さな森は崩れないのだろうが、もっと急な山肌にへばりついた団地や、崖っぷちの家など怖い季節ではある。

この季節の伝統行事に「虫送り」というのがあることを、ラジオが熱心に流していた。
これから生育していく稲に、無遠慮につく虫を追い払って、実りの秋を迎えようという素朴な行事である。
実際に執り行うのは限られた地域ということで、現物をこの目で確かめてはいない。

虫送り。小さな集落単位で農家の人が集まり、田んぼの周りを、鉦や鼓などで派手な音を立て、たいまつの明かりで虫を村はずれまで追いやる、という迷信じみた、豊作祈願のお祭りである。
このようにして、なんとか主食であるお米を虫から守り、豊かな実りの秋を待ったのであろう。

そういえば子どものころ、小学校のすぐ近くに住んでいた。小学校の校庭入り口に石造りの大きな鳥居があった。
その奥に「明神様」が祀ってあり、毎年7月20日には「虫祈祷」という祭りがあって、3~4人で獅子頭を被って、地区内の一軒一軒を回り、裸足で家の中に上がり込み、その家の邪気を払い、豊作を祈る。それに対してお礼のおあしやお菓子をふるまわれる。
そのおあしの分け前が、夏休み中の小遣いを賄っていたことを思い出した。

いずれにしても、この時季の雨は大地にとって貴重な潤いであり、ダムにとっては、夏場の水源となる。
ほどほどに降って、夏場が乗り切れる水量を確保できればそれでいい。
竹や木をうなだらせるくらいがちょうどいいのだが・・・。


 

 

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「階段デビュー」

2014年07月01日 | 家族・孫話

   

まだあんよも出来ない希さんが、あのくびれた長い足?を上手に折り曲げ、這うようにして階段に挑戦。
いわゆる階段デビューである。
一度味をしめたら、何度も何度も繰り返す。なかなか飽きない。
そうなると、手を添え、転げ落ちないように気を付ける側は足腰痛くなる。それでもおかまいなし、お付き合いは続く。

自分の家は、平面のバリアフリーマンション。階段などありはしない。
胸もお腹も床に擦り付けて、両腕で推進してくる這い這いから、ようやく腰を浮かせ、足も上がるようになった。
這い這いのかっこうも格段とよくなってきた。そこで、ワンランク上の階段での這い這い挑戦。
一段上がっては振り返り、もう一段上がると大きなため息が出る。

こうして、足を上げることを覚え、あんよが出来るようになっていくのだろう。
娘のところの孫三兄弟も、み~んなこの階段で鍛錬し、元気に走り回るように成長していった。
孫たちの、二足歩行の登竜門である。

一旦歩き始めたら、生涯歩き続けなければならいので、「早くから歩かせなくてもいいのよ」というご意見を頂いたこともある。
なるほど、その通りだ。とその時は納得したが、あまりにも歩き始めるのが遅いと、それはそれでまた大きな不安材料となる。
やはり、這えば立て、立てば歩め・・・と激励したくなる。

生まれるときから少なからぬ心配をした。
たったこの1年間だけでも、あれこれ肝を焼いたり、お金を遣ったり、心配したりしてきた。
これから先の方がはるかに長い孫たちの生涯。どれだけの悲喜こもごもを一緒に味わうことができるのか。
下手な心配をする前に、先ずは自らの健康を心配し、周囲に心配をかけないよう、長く見守っていきたい、と改めて思う。

やがて間違いなく心配や厄介をかけるこの身なのだから。

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