「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「相棒」

2013年01月15日 | 趣味・・エッセイ

      
      1年間支えてくれた手帳。新たな相棒として支えてくれる新手帳

毎年同じことを繰り返す。だがその度に何かしら心改まる思いがする一つの儀式がある。
他人にとっては何てこともない事柄だけど、本人にとっては重大事となることも世の中にはある。そんな一つが手帳の新旧交代、言ってみれば手帳交代式である。

段々記憶力が低下する中で、居間の電話前カレンダーと共に、いやそれ以上に我が身に密着で、不義理やすっぽかしなど起こさぬよう見張ってくれる手帳という名の相棒。
これまでの感謝と、これからの厄介をお願いする敬意を込めて、252字のはがき随筆に挑戦。運良く掲載されたので、ここに再掲させて頂く。


『  真っさらな手帳に先ずは当面の月間予定を書き込む。
 次いで分かっている限りの年間行事。
 さらには忘れたら叱られそうな結婚記念日など、各種記念日を赤ペンでマークする。
 向こう一年間頼りっぱなしの相棒となる今年の手帳。  
  予定欄が少しずつ埋まっていくのを見ると、今年もあれこれ面白い一年になりそうな予
 感。思わず腕をなでる。

   過去一年の生き証人ともいえる古い手帳。
 段々遠のく持ち主の記憶力をカバーしてあまりある働きぶり、ご苦労さん。
   新旧は交代しても、その存在は永久保存の光彩を放ち続ける。  』

                  2013.1.15 毎日新聞 はがき随筆掲載

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「左義長・とんど祭り」

2013年01月14日 | 季節の移ろい・出来事


                  

日本列島を襲った爆弾低気圧。北から南まで大荒れに荒れた。
交通網は寸断され、成人式を迎えた新成人は、晴れ着姿にブーツという出で立ち。笑うに笑えない厳しい自然現象に見舞われた成人の日の一日。

昨日から今日にかけて、左義長とか、とんど焼きと呼ばれる色んな形の小正月火祭りが、あっちこっちで行われた。
民族学的には、門松や注連飾りによって出迎えた歳神様を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。ゆえにとんどはお祭りのひとつとされている。
書き初めをこの火で燃やして、灰が高く舞い上がれば更に字が上手になるとか、この火で焼いた餅を食べると無病息災が叶えられるとか、灰を持ち帰って自宅の周囲にまくとその年の病を除くとか、色々言われている。

こんな小さな田舎町でも、というか、田舎だからこそ自治会連合会や小地域の年中行事として行われる火祭り。その地域で守られ育てられているお神楽や、獅子舞など伝統行事が、火祭りとのコラボレーションを演じ盛り上げている。子ども達にはお汁粉や焼いた餅が振る舞われる。こうした実体験として古きよき伝統行事が、自然な形で若い世代に受け継がれていくのだろう。

こういった行事が、一時は寂れかけたこともあったが、このところ新たな盛り上がりを見せていると、世話役がおっしゃる。その大きな理由の一つに、団塊世代が定年を迎え、企業戦士として培われた力が、地元への恩返しやふるさと貢献に向けられているのかなと思う。

裏を返せば、対象となる子どもの数は減るが、お手伝いの手は十分にあるとう逆三角形が見えるのも皮肉な話ではある。
まだまだ若い者には譲れん!とがんばっておられる長老を押しのける気持ちなどさらさらないが、今出番を待っているそのようなパワーを邪魔者にしてはもったいない。
ふるさとの損失であろう。上手な世代交代は必要である。

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「テレビ桟敷の感動」

2013年01月13日 | 季節の移ろい・出来事

    
          何度見ても感動は続く、都道府県対抗女子駅伝

正月2・3日の大学箱根駅伝に始まって、この寒い時季は駅伝シーズン真っ盛りである。
今日は、皇后杯都道府県対抗女子駅伝が、千年の古都、京の大路を駆け抜けた。
毎年のことながら、ついつい応援に力が入る。

目の前を駆け抜ける選手の息遣い、足音、感じる気合いなどは、実際に沿道に出て間近に応援しなければ感じられない感動であろう。が、それは目の前を通り過ぎるホンの一瞬の出来事で、順位の入れ替わりなど全体の流れが掴めないもどかしさはあるようだ。

その点、テレビ桟敷に陣取って、熱いコーヒー飲みながらゆったり応援するのも悪くない。というか、実際に京都まで出向かなければ、沿道での応援など出来ないのだから、仕方なしではあってもテレビ桟敷応援で手に汗握る。

単に我がふるさと選手を応援するだけでなく、ロンドンオリンピックで活躍した選手が、名もない中学生からタスキを受け継いで、必死に走る姿には感動をおぼえる。
特に、あの野口みずき選手などは、久しぶりに走る勇姿が見られると期待しただけに、急な出場不可能にはがっかりした。

それにしても、応援の仕方にも色々あって、自分流にテーマを持ってレースを追っていくのも、それはそれで楽しいものである。
その一つが、今走っている場所は、京都の街でどのあたりなのか、という地理と、由緒ある建物とか神社仏閣などを思い浮かべてみるのも面白い。

そして落ち着くところは、我が山口県の成績である。43位。
全国には歯が立たないということか、いやそうではない。コンディションが悪かったか、冷たい風の吹く都大路に馴染めなかったのだろう、ということにしておこう。
来週は、天皇杯都道府県対抗男子駅伝が広島を走る。

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「before/after」

2013年01月10日 | つれづれ噺

  
       before                       after

あっという間に1月も10日となった。今日は110(ひゃくとー)番の日だそうな。
110番に緊急連絡する訓練の仲間にも入っていないが、出来るならそんな物騒な電話など掛けなくて済むような、穏やかな一年であって欲しいと願うばかりである。

そろそろ動き始めないと・・・と思いつつ、だらけグセのついた身体に鞭打ってみる。
取り敢えず1年前の1月10日は何をしていたかひもといてみた。なんとまあ、七草粥を食べて健康になるはずのその夜から高熱が出て、唸っていたのがようやく回復傾向に入ったことが記されている。それから4月に予定した中学校古稀同窓会準備に向けて全力投球。同窓会までには何としても、エッセイ集を臆面もなく自費出版にこぎ着けたかった。そのように燃えに燃えた、1年前の年明けであったことを覚えている。

そんな昨年に比べると、なんとまあ自堕落な、ノンビリ構えたスタートである。
そうはいっても頭の中では色々駆け巡るものがあるにはある。そんな中の一つを午前中に、ある程度目鼻をつけて、午後は大工仕事に精を出したと、いうことにして。

元々安っぽいパソコンデスクを買ったばかりに、非常に使い勝手の悪い思いをしてきた。何とかしなければ・・・。そうだ、PCとプリンターの中間に棚を一段設けよう。それも、譜面台のように少し傾斜をつけて、参考資料などを見ながらキーボードを操れるように。しかもかっこよくスマートに・・・。理想は高く現実は???

金属製のデスクに木星の棚を、しかも傾斜をつけて。これはなかなかのテクニックを要する作業であった。涙ぐましい?それほどでもないが、知恵は絞った。
手法の全てはちょっと惜しくて申しあげられないが、仕上げをご覧じろ!小さくエッヘン!
どうしても聞きたいとおっしゃる方は・・・、そんな暇人はおられないよね~。

一言付け加えるとね。棚板1枚が1100円もする。しかも大変な労力もいる。
デスクを買うときにもう1000円も出していたらね、こんな苦労もなく、もっと性能もいい、かっこうもいいデスクが手に入っていたであろうということ。安物買いの・・・。トホホホ

ひとつ本気になって、身体も頭も動かしておいた。助走完了、いよいよ明日から。

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「夢、ふくらむ春」

2013年01月08日 | 家族・孫話

             

みどりごの無病息災を神仏に願掛けする、33日お宮参りに始まって、100日目の赤ちゃんに、初めてご飯や魚の尾頭付きを食べさせる「まなはじめ」「お食い初め」と呼ばれる祝い事が続く。さらに桃の節句、端午の節句、七五三など、子どもの無事な成長を願うお祝いの儀式は数多くある。

それらはいずれも、この世に生まれ出た生命を、家族の一員として認め、家族みんなが手厚く見守りお祝いする儀式みたいなものである。
実はそれ以前、つまり生まれる前に母親の胎内に命が宿った時点から祝い事は始まっているのである。妊娠5ヶ月目に入って最初に迎える戌(いぬ)の日に、「帯祝い」という神仏に祈りを捧げる安産祈願の儀式がある。

今年最初の戌の日の今日、倅のお嫁さんの帯祝い安産祈願に出向いた。
我が家にとって初の直系内孫の生命が嫁さんの体内に宿った。記念すべき春である。
何が何でも無事に育って、来たるべき6月のその日を胸躍らせて待ちたい。

犬は子沢山で、安産の象徴と考えられており、その犬の性質にあやかって妊婦の安産を願う儀式が帯祝いである。「岩田帯」と呼ばれる帯を妊婦の腹に巻きつける。
5か月目には安定期に入り、目立ってきたお腹を保護すると共に「岩のように丈夫な赤ちゃんを」という願いも込められて、5ヶ月目の戌の日にお宮参りをする。
家族や親兄弟が集まり、この腹帯をした妊婦と共に安産祈願に出向き、祈りを捧げるのが一般的な形である。と書かれている。

出来るならそうしたい。昔ながらの儀式にのっとって、妊娠5ヶ月目を祝いたい。岩田帯も締めさせたい。ところが、世の中大きく変わっている。
いまや岩田帯など知る人ぞ知る時代となった。
現在では着用が簡単なガードルタイプのものや、コールセットタイプの物、伸縮性のあるものもあり、使いやすいものがいくらでも市販されている。
そんな形などどっちでもいい。細い華奢な身体をいといながら、お祓いをしてもらったコールセットをしっかり身に付け、元気な直系初孫の誕生を祝わせて欲しい。

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「雪焼けの笑顔で」

2013年01月07日 | 家族・孫話

 
  雪焼けした元気な笑顔で       札幌空港から2時間15分かけて広島空港へ

三学期始業式を明日に控えた今日、午後3時40分。
2週間に及ぶ北海道スキー合宿に参加していた、6年生の孫兄ちゃんが元気な笑顔で帰ってきた。雪焼けで赤黒くなったホッペが逞しさをにじませ笑っている。

迎えの母親、弟二人、それにジジババ。みんなに囲まれて心からの安堵の表情が見て取れる。無理も無い。経験の浅い彼にとって、ある意味過酷な体験であったろう。
そんなこちらの心配をよそに、まとわりつく二人の弟へ、ちっちゃな可愛いお土産物を次々取り出しては渡している。弟たちのテンションはもう上がりっぱなし。

遠くの空に兄ちゃんの乗った機影が見えると「兄ちゃ~ん、お帰り~、待っとったよ~」とあたり構わず叫ぶカー君。「兄ちゃんには聞こえんが言ってみたかったんよ」と。
手には、暮れに行った大山スキー合宿で買ってきた兄ちゃんへのおみやげが握られている。三男坊悠雅君は、おにいちゃんが帰ってくるというだけで、意味は分からないのだろうがもうはしゃぎっぱなしで、ひたすら到着を待つ。

こんな光景を見るだけでも、兄ちゃん一人のための長期合宿にとどまらず、兄弟三人の更なるきずなが強くなったことを感じさせる。もっとも、明日からはまた三者三様の言い分で小競り合いが始まるのだろうが、少なくとも留守の間は、お互いがお互いを思い遣っていた様子が窺えるだけでも、その効果の大きさが知れる。

「楽しかった、行ってよかった。また行かれたら行きたい」と、普段は口数の少ない兄ちゃんが、興奮気味に端的な感想を聞かせてくれたのにはこちらも安堵させられた。
その反面、先月26日広島空港を飛び立つ機内で、離陸急上昇するとき、ちょっとだけ気分が悪くなった、と漏らしたが、長期単独行動に向かう不安が子供心に大きくのしかかったのだろうか。飛行機の急上昇だけが原因では無かったのだろう、と勝手な想像をする。

いろんなドラマを呼びながら、兎に角無事に元気に帰ってきた。
両親が思い切って旅に出せる道を選んだのだから、ジジババは傍観者でいればいいようなものだが、そうは行かない。毎日の天気予報は先ず北海道に目が行く。
今日も吹雪か・・・難儀をせんにゃいいが・・・と。そんな心配が徒労に終わった。

迎えの帰り道、乾杯は出来ないが責めて、食べたいものを腹一杯食べさせた。
おみやげ話は時を改めて、ゆっくりボチボチ聞かせてもらおう。

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「本格始動!」

2013年01月06日 | 季節の移ろい・出来事

 
 赤い実が食べ尽くされた今年1月6日。     真っ赤な実が残る、昨年1月6日。  

寒の入り。昨日の小寒から立春までのおよそ一ヶ月が、1年の中で最も寒いと言われる時季。 正月気分ともそろそろお別れ、本格的な始動となりそうだ。

昨年の1月6日は、小鳥がやって来ない冬を心配した。想像以上の厳寒と酷暑の繰り返しで、ヒヨやメジロ、ツグミなど、例年我が家の周りを飛び交った小鳥たちが、途絶えていなくなったのではないか、と本気で心配したものだ。何か良くないことの起こる前兆か、などと密かに心配もした。

木全体を赤く染めるほどに実ったクロガネモチの実がいつまでたっても赤いまま。
木の実を喜ぶ小鳥が寄りつかなかった。例年より2ヶ月も遅れてやってきた。
今年はどうだ。去年と全く同じ1月6日の時点で、同じように木を赤く染めていたクロガネモチの実が、ただの一粒も残らないほど食べ尽くされている。

そのくらい早い時期から小鳥たちが元気よくやって来た。つまり例年通りの冬を迎えているということに、少し安堵をおぼえている。
その上珍しいことに、今年はメジロが集団でやって来るのに驚いている。それとは対照的にスズメが少ないのには驚く。やはりスズメはスズメで、日向ぼっこしながら寄り添って、お互いの毛繕いなどしてくれないと、新春の風物詩が一つ失われる思いがする。

などという個人の勝手な思いは置いといて、小鳥たちもあの過酷な気象条件を必死に耐え、生き延びてきているのだ。確かに個体の絶対数は減っているのに違いない。
それでも簡単に種が絶えるなどということはない。表現はよくないが“しぶとく生き残る強さ”を持っている。
私たち人間も、彼らに負けないよう色んな条件を乗り越えて必死に生きて行かなければ、この世に生を受けた甲斐が無い。
人間は、強さの上にしたたかさもしぶとさも、そして柔軟さも備えているのだから。

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「新春の錦帯橋空港」

2013年01月04日 | つれづれ噺


     錦帯橋空港、正面入り口
                  
                     出発前には賑わうであろう搭乗手続きカウンター

錦帯橋空港を飛び立つ、開港記念の一番機をカメラに納めたものの、空港ロビーには未だ足を運ばないまま新年を迎えた。我ながら不本意な思いであった。
その間、見学に行った友や親戚からの評判は、決して耳に馴染むものではなかった。むしろ冷たい不評と言った方が当たっていた。

何はともあれ現場に出向いて、この目で確かめ、肌で感じる何かをつかまえておきたかった。なにしろ、わが町に出現した空の玄関、東京直結のエアポートなのだから。
東京に親戚を持つ我が家では、開港を心待ちしていた部分はある。

駐車場は広い。搭乗者の駐車料は無料というシステムはいいね。かつて海外旅行したとき、10日間の駐車で5000円払わされて高いよなーと思ったことがある。
空港正面入り口へ。「ちっちゃいね~」というのが偽らざる第一印象。ロビーも実に狭い、というか中ほどに立てば悠に端から端まで見渡せる。数人の人とすれ違うと「今、息子を見送ったところよ」とか「お宅も見学ですか」という知人と顔を合わせるのも、田舎の小さな空港ならでは。密やかな友の出迎えや見送りには向いていないのかな?

階段を上がると二階の展望台。これがまた狭い。といっても裏を返せば、搭乗ゲートが目の前にあってアットホームな感じがある、と言えば手前味噌過ぎるかな~。いざ離陸に向かう機体が少し動いたらその姿は視界から消える。滑走路も見えない。離陸前の助走も機首を上げて飛び立つ様子もこの目で確かめることは出来ない。

米軍滑走路を使用するため、軍事機密上外部からの視線を敢えて遮断しているのだそうな。これも軍民共用空港の悲哀なのであろう。

定期便が飛び立った後の搭乗手続きカウンターは無人に見えた。遠慮もせずに、旅行者気取りで写真を撮っていたら、パソコン画面の向こう側にいた男性職員がささっと寄ってきて「お二人の写真撮りましょうか」と笑顔で何枚もシャッターを切ってくれた。思いも掛けないサービスに、小さな空港には小さな笑顔や小さな親切が隠されていることを感じて心が温まる。

錦帯橋空港を列車にたとえると、幹線から遠く離れたローカル線の無人駅にも似ている。しかしそんな小さな無人駅でもやがては幹線につながり、日本全国どこにでも通じるのである。そこへ行くと空港は、たとえ小さくとも東京羽田へ直結、そこからは一気に世界への空路が開かれているのだ。優しく長く見守りたいし、機会があれば活用もしてみたい。

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「しろへび神社」

2013年01月03日 | 季節の移ろい・出来事

        
         青空に映える、真新しい「白蛇神社」  2013年1月3日

晴れ渡る青空に似合わず、寒風吹きすさぶ正月三が日の最終日。
11月末に新築落成した岩国白蛇神社が初めて迎えるお正月。それも巳年に重なったこともあって、縁起を担ぐ参拝者は後を絶たない。小生もその仲間入りをして参詣。
さすがに白蛇神社、参拝客は長蛇の列というところである。

白蛇の起源や生息などについては色々言われているが「岩国のシロヘビ」は、山口県岩国市の限られた地域にだけ生息する世界的にも珍しい蛇である。このシロヘビが初めて文献にあらわれたのは、1738年(元文3年)の「岩邑年代記」にある記録で「岩国市横山の千石原御門付近にシロヘビが一匹いた」という意味のことが書かれているという。

また、「今津の錦川の河口に吉川藩の米蔵が沢山あり、この米を食べるネズミを常食としていたアオダイショウが、突然変異で白化してシロヘビになった」とも伝えられている。
白化が遺伝的に安定した例は、世界的にも見当たらず、大変珍しく貴重なものである。

1924年(大正13年)には、生息地が国の天然記念物の指定を受けた。その後、学術的にも貴重であることが認められ1972年(昭和47年)には、シロヘビそのものが国の天然記念物となった。岩国の人々は、このシロヘビを幸福の神として大切にし、弁天様のお使いで、商売繁盛の神、金運の開ける神として崇拝してきた。この珍しいシロヘビが、今日まで絶滅を免れて来たのは、このような岩国市民の深い崇拝の念と愛情があったからだと言われている。

あの真っ白い蛇の目が、ルビーのように赤く輝いて見えるのは、シロヘビには肌の色を決めるメラニン色素が少ないかほとんど無いため、目の血管に流れている血液が透けて見えるから、あのように愛くるしいルビー色をしているのである。

残念ながら個人的には、動物の中で最も好きで無い部類に入るヘビ様。
ただ今年一年は何かにつけてお世話になる干支。しかも金運が開けるとなると話は別である。というようなにわか信者には金運も開運も訪れないのだろうか。
お賽銭は弾んだ!苦しいときの神頼み。よろしくお願いします!!

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「一年の計は」

2013年01月01日 | 季節の移ろい・出来事

   
   7:20        7:35          7:40         7:45
       7:55 待望のご来光が雲の切れ間に顔を出す

    
   8:00         8:05          8:10

2013年、平成25年の元朝は厚い雲に覆われていた。
雨さえ降らなければ何が何でもご来光撮影を狙っていた。
目覚めと同時に窓越しの空模様を睨む。“これはいける”と確信。

急いで防寒重装備。クルマで5分の海の公園に駆け付ける。
珍しく人影が少ない。例年カメラが並ぶスポットに一台のカメラもない。天気予報に影響されて、ご来光拝礼を諦めた御仁が多いのかな。無理も無い、沖合は厚い雲に覆われ、そろそろ水平線に顔を出してもいい時間なのに、ご来光は姿を見せない。

かじかむ手を温めながらゆっくり準備を整えると、水平線上の厚い雲の上の切れ目が少し広がり、そこに金色の線が横たわり始める。シメシメ。
案の定待つこと30分。見事なご来光が顔を覗かせる。レンズを通して眼球が焦げるのではないかと思わせるような眩しい金色の帯が横に長く伸びる。

ここ4年ばかり、同じようにお天気とにらめっこ、ご来光に夢を託してカメラを構える元朝を迎えている。さて今年はいったいどんな年になるのだろう。
秘めたる目標も幾つかある。叶えられるか否か、これからの精進次第というところか。

同じように毎日陽は昇るのに、この日の日の出だけは何故か格別な感情を抱かせる。
そこで「一年の計は元旦にあり」という言葉が頭を占領する。
『一年の計画は年の初めである元旦に立てるべきであり、物事を始めるにあたっては、最初にきちんとした計画を立てるのが大切である』ということにぶつかる。
さらに言うなら『一日の計は晨(あした)にあり』なのだそうである。

あまり固苦しく考えずにボチボチ行こう。計画倒れで落ち込むのは他ならぬ自分自身なのだから。
向こう一年、どうぞよろしくお付き合い下さい。

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