映画界最高の栄誉とされる、アメリカ映画芸術科学アカデミー賞で、日本映画「おくりびと」が外国語映画賞に輝いた。さらに、短編アニメ賞を「つみきのいえ」が獲得した。なんと二部門制覇は半世紀ぶりだという。すっごいことである。
個人的にはあまり貢献していないが、日本映画文化も決して廃れていない。むしろ世界に誇れるのは嬉しい。
今回の受賞作「おくりびと」とは、亡くなった人とその家族との最後の別れ目となる、遺体をお棺に納める専門職の人を言う。つまり、医師や看護師に次ぐ、場合によってはそれら以上に、遺体との接触の多い職業である。それだけに、その一挙手一投足に、遺族親族のシビアな目が注がれる。
実は私自身、納棺師という職業のあることは知らなかった。 なにせ、我が家からお葬式を出すのは35年ぶりである。その頃にはまだこの職業が存在しなかったように思う。
昨年11月、母の葬儀に際して、それまで知らずに過ごしてきた葬儀全般の多くの知識を注入した。その中の一つが、納棺師つまり「おくりびと」という職業である。
枕勤めをして一晩我が家に泊めた翌朝。専用道工具一式を積んだワゴン車が横付けされる。男女のペアーが慇懃な挨拶の後、テキパキと部屋に防水シートを張り巡らし浴槽を搬入。ふすまを開け放った隣の部屋の遺族親族に完全公開で湯灌が始まる。
湯灌は「逆さ水」といわれるように、お湯の温め方も、水にお湯を足して温度調節をする。遺体に浴びせるお湯も、必ず足下から胸元へひしゃくでかけて上げる。通常我々が、お風呂で、肩や胸からお湯を浴びるのとは全く逆な方法を取る、これが逆さ水なのだという。
そうして遺体を生まれたままの素っ裸に一度戻す。この一瞬が非公開。真新しい下着、こちらの希望で最も新しいお気に入りの和服を着させてもらう。頬紅の色・口紅・指先の化粧にに至るまで、一つ一つサンプルを見せられながらこちらが色を選ぶ。その手際たるやお見事!の一言に尽きる。そして納棺。
これから永遠の別れとなる人に、まさに新たな命を吹き込んで、紅さす顔に微笑みまで浮かべて旅立たせる見事な演出。おくりびとの役割は、死者を送るのではなく、遺族親族にその永遠の人間としての姿を焼き付かせてお見送りさせる介添職人さんなのだと気付いた。
このように完璧なまでに、死者を見送る日本人の心根、優しさ、死者を弔う文化、みたいなものが、映画を通して世界に受け入れられたのだろう。 もちろん、制作・出演ほか多くのスタッフの力が結集した結果であることも間違いない。
( 写真: アカデミー賞で手にする、オスカー像 )
個人的にはあまり貢献していないが、日本映画文化も決して廃れていない。むしろ世界に誇れるのは嬉しい。
今回の受賞作「おくりびと」とは、亡くなった人とその家族との最後の別れ目となる、遺体をお棺に納める専門職の人を言う。つまり、医師や看護師に次ぐ、場合によってはそれら以上に、遺体との接触の多い職業である。それだけに、その一挙手一投足に、遺族親族のシビアな目が注がれる。
実は私自身、納棺師という職業のあることは知らなかった。 なにせ、我が家からお葬式を出すのは35年ぶりである。その頃にはまだこの職業が存在しなかったように思う。
昨年11月、母の葬儀に際して、それまで知らずに過ごしてきた葬儀全般の多くの知識を注入した。その中の一つが、納棺師つまり「おくりびと」という職業である。
枕勤めをして一晩我が家に泊めた翌朝。専用道工具一式を積んだワゴン車が横付けされる。男女のペアーが慇懃な挨拶の後、テキパキと部屋に防水シートを張り巡らし浴槽を搬入。ふすまを開け放った隣の部屋の遺族親族に完全公開で湯灌が始まる。
湯灌は「逆さ水」といわれるように、お湯の温め方も、水にお湯を足して温度調節をする。遺体に浴びせるお湯も、必ず足下から胸元へひしゃくでかけて上げる。通常我々が、お風呂で、肩や胸からお湯を浴びるのとは全く逆な方法を取る、これが逆さ水なのだという。
そうして遺体を生まれたままの素っ裸に一度戻す。この一瞬が非公開。真新しい下着、こちらの希望で最も新しいお気に入りの和服を着させてもらう。頬紅の色・口紅・指先の化粧にに至るまで、一つ一つサンプルを見せられながらこちらが色を選ぶ。その手際たるやお見事!の一言に尽きる。そして納棺。
これから永遠の別れとなる人に、まさに新たな命を吹き込んで、紅さす顔に微笑みまで浮かべて旅立たせる見事な演出。おくりびとの役割は、死者を送るのではなく、遺族親族にその永遠の人間としての姿を焼き付かせてお見送りさせる介添職人さんなのだと気付いた。
このように完璧なまでに、死者を見送る日本人の心根、優しさ、死者を弔う文化、みたいなものが、映画を通して世界に受け入れられたのだろう。 もちろん、制作・出演ほか多くのスタッフの力が結集した結果であることも間違いない。
( 写真: アカデミー賞で手にする、オスカー像 )
お母様の納棺のご様子を読みながら、別れの厳粛さを改めて感じ要りました。
父は40年以上前、母はまもなく30年になりますが、両親とも病院で亡くなりました。その時は全て「清め」といって病院サイドで済まされました。当時はそれが当たり前、保険制度にあったのではと思います。
納棺師という言葉はじめて知りました。仏教では死した人に「菩薩のとこへいけておめでとう」と言うそうですが、その橋渡しをする最後の仕事を尊いと感じました。
納棺師に主演の人の長い間の思いが実った映画だと知り、深い思いは多くの人の思いも動かせるのですね。アカデミー賞はオスカー像だけで副賞は無いらしいけど映画の入場数が4倍になったみたい!
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「おくりびと」は、日曜日に母と観に行ったばかりです。納棺師役、本木雅弘の手さばきに見とれてしまいました。とても神聖で、心打たれます。今日の新聞にはお茶の作法に例えてありましたが、私は職人の技というような気がしました。亡くなった人を心から送ることの大切さ、自分の死についても考えさせられます。言葉は通じなくても感じる映画なんだなと改めて思いました。岩国でも再び観られるとの噂も聞きましたが、アカデミー賞にふさわしい映画です。
本木さんの作品はほとんど観ています。
観たいと思ったのですが、しかしどうしてもその気にさせられませんでした。
再上映されていますが、足が向きません。なぜなんでしょうね…。
日本の「喪」の文化が世界に向けて発信されている…受け入れられた?
……のでしょうかね、受賞ということからすれば。
アカデミー賞にふさわしいのか、私に評価はできませんが、多くの人が称賛しているのですから、素晴らしいんでしょうね。
ひねくれ者ですね。
いつか見てみたいと思ったら見てみます。
そんな中で、見事な手さばきによる、死人を生き返らせるかの如き職人技に、感心すると同時に、少し安らいだ気持ちで母を見送ることが出来ました。
興行収入ネー…。さすが視点が違いますね。面白いです…。
生きていた時の親不孝を、この人達が少しゆるめてくれたのではないか…と錯覚するほどの感動で、母を見送ることが出来ました。
今回のブログは、映画の感想などではなく、つい3ヶ月前に実体験した感想でもあります。
アメリカ住まいの方が長い武ちゃんも、こうしてメイドインJapanが、世界に誇れる賞を取ることは嬉しいですね。
私の母も3ヶ月前、この人達の手助けを借りて静かに永遠の眠りにつきました。
実は私もこの映画を観てはいないんですよ。ですからこのブログにある納棺師に関する描写も感想も、3ヶ月前の母を見送るときの実体験、この目で見、感じたありのままなんですよ。
映画の主題として使う中味か、それほど世界が評価する日本の文化か……意見は分かれるところでしょう。
keiさんがひねくれているとは思わないし、評価はその人それぞれですから…。
一人の人間の死という現実に出くわした時、ただ嘆き悲しむばかりではなく、ある意味、遺族の心根を穏やかな気持ちにさせて故人を見送る。そんな気持ちの切り替えの役割は、間違いなく果たしてくれているように感じます。
よいのか、そうでないのかは別ですが、少なくとも私にとっては、その1週間前までベッドで苦しそうだった母が、見事に正装して薄化粧までして旅立たせられるお手伝いをしてもらえたことには、素直に感謝しています。
だからといって、これが世界に通用する日本の文化なのか否かは、取り敢えず置いといて、娯楽の域を出ない映画という世界ではあっても、高い評価を受けたという結果は結果として受け止めればいいのかな…なーんて…。 ちょっとリキ入り過ぎ??
再上映があったら恐らく観に行くんでしょうね……。私のことですから…。
金ちゃんさんのお友達です。
1日遅れのコメントですが、『おくりびと』に興奮しています。その気持ち送ります。
これからも宜しくお願い致します。
『おくりびと』を観た時のコピーです。
観ていた事が嬉しくてたまりませんでした。
2008/9/26 「おくりびと」
この秋のヒット作の映画らしい。
大ヒットするに違いないと思います。
それは私はもう観て感動しているからです!
次男の結婚式を1週間に控えて落ち着かない、、、、。
妻のいない結婚式ってどんなんだろう、、、、、。
そうだ!『おくりびと』を観にいこう。
それは『死』の美学をもう一度確かめたかったのです。
死のその後の世界を見にいくのではない。
死は決して終わりではない。
結婚式を目の前に私はみました。
『死』はまさに 門出 でした。
とても、読むに耐えるものは書けませんが、勝手に思いついたことを日記代わりに記しています。
この程度のものでよろしかったら、今後ともよろしくお願いします。