世は色とりどりのハナミズキが咲き誇っている。同じく見上げる花でも、桜とはまた違った趣を魅せる。
昔の人は、桜は庭木としてはあまり好まなかった。パッと一度に花開く桜は見事であるが、散り始めたらアッという間に完全に散ってしまう儚さを嫌ったのかもしれない。花の散り方が普通の花とは違って、首から落ちると表現される椿も庭木としてはあまり好まれなかった。
そこへ行くと、寒さに耐えて春の先陣を切って咲く梅の花は、その花期の長さからも庭木として日本の風情の象徴のように愛された。しかし、現代日本人の好みは、梅から桜に移行した感がある。
花を愛でる心意気もその時代、その時の人情で移り変わる。言ってみれば曖昧ではある。
ハナミズキが咲き誇る今この時も、世の中には曖昧模糊、掴みどころのない事柄があふれている。
財務省の機密文書に絡む「森友学園問題」「備蓄米が放出されても一向に値段は下がらない米価問題」「ガソリンの税率軽減による価格見直し」「ロシア・ウクライナの停戦問題」但しこれは停戦ではなく一方的な武力侵略を世界中が受け入れている不思議。「トランプ氏のロシアに対する圧力の頼りなさ」「超大国の横暴を許す、アメリカ・ロシア・中国問題」等々。どこに正義があるのか、何が真実なのか、ストンと腑に落ちることの少ない4月下旬。靴の上からかかとを掻くのが「もどかしさ」の代表だが、今の世界中にはこれ以上のもどかしさが溢れている。
如何ともしがたいじれったさを感じながら、すさんだ風が収まるのを待つしかないのか。声を上げようにも、こちらの声も枯れるし、疲れるのが先になってきた。英知と機知と並外れた度量を持つ世界のリーダーが現れないものか。
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