真下から見上げる錦帯橋の幾何学模様
幅広く歴史をひもとけば、わがふるさとの自慢や誇りとする、建造物や人物も数多くあるのだろう。
浅学菲才なこの身には、さほどの知識も歴史観もない哀しさで、「ふるさとの誇りは?」と訊かれると、何はともあれ「錦帯橋」と答えることにしている。「ほかに?」「それで?」などと更に訊かれると、もちろん頭に浮かぶものは数々あるにはある。
ただ、それらがどれほどの歴的価値を持つのか、近隣の人々にさえあまり深く認知されていないものを、「ふるさとの誇り」と胸を張って言っていいものかどうか、と言われるとちょっと返事に困る。そういう意味では、どこで誰に問われても、世界に誇れる現有の木造建築の代表格である「錦帯橋」がわがふるさと自慢の最たるものだ。と胸を張れる。
そんな錦帯橋を世界文化遺産に推す会が、発足以来5年目を迎えた。
市長や市会議長さんらをはじめとする行政や、教育長以下の教育行政、さらには商工会議所青年部といった、いかついお歴々の名前が連なっており、見るからに重厚な会であるように思える。もちろん、岩国の歴史を支えて来た吉川家第23代当主吉川重幹氏もこの会に名前を連ねておられる。
その割には、正直な感想を言えば「今ひとつ市民感情の中に世界文化遺産登録の価値が浸透していない」と感じている。
何かしらよそ事という冷めた感情が窺える。そこには、世界文化遺産に認定されたその先に何があるのか?という素朴な声が聞こえてくる。
「世界遺産とは、人類共通の宝物として未来に引き継いでいくべき遺産のことです。」
「世界遺産として登録されるには、その遺産の価値が世界的に認められること、本来の価値を継承していることなどの要件があります」
「錦帯橋は、先人たちの熱意と努力により、今日まで受け継がれてきた岩国の宝物です。私たちはこれを人類共通の宝物として後世に伝えていくための取り組みを推進しています」と認められている。さてさて、この理念が一般市民にどれだけ浸透しているのだろう。
このたび、江戸時代以降のキリスト教禁制と独自信仰の歴史を伝える「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録することが決定した。
それに比べて、わが故郷の宝物錦帯橋は、そこまでの歴史的価値観が乏しいということか、それとも市民挙げての熱意に足りないものがあるのだろうか。少し首を突っ込んで様子を見てみたい。
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