北京パラリンピックが、10日間の熱闘を繰り広げ、今夜静かに幕を閉じた。
個人的には、かなり熱を入れて応援したつもりではある。しかし、飽くまでも私個人の熱の入れ方、気持ちの入り方は、先日のオリンピックほどの盛り上がりに至らなかった。これは、パラリンピックに出場した選手に大変失礼なことだと自分自身反省している。
但し、オリンピックとパラリンピックを比較したり、好みがどうだとか、そんな次元の話ではない。
パラリンピックも手に汗して応援したかった。そのスポーツ観戦に必死になる自分を「浮かれるんじゃないよ」と戒める声がどこからともなく聞こえてくるようで、100%の情熱を傾けるに至らなかったということである。その戒めの声はウクライナという主権国家の危機に瀕した悲鳴の声であったり、世界中の「戦争反対・大国の横暴を許すな」という声である。
B29の爆撃から逃れるために、どこをどのように逃げたのか、千切れそうなほど手を引っ張られて、足にミミズ腫れを作りながら、兎に角逃げた。手を引っ張るのは10歳の兄で、手を引っ張られるのは3歳の私。今も微かに残る唯一の戦争体験である。これだけは、3歳の記憶として不思議にも気持ちと頭の中に生きている。
その遠い記憶が、今のウクライナの惨状と重なって、パラリンピックに心からの声援を贈る気持ちになれなかったということだと思う。
パラリンピックは静かに閉幕した。一日でも一時でも早く、ウクライナの人々に静かな安心の夜が訪れて欲しい。戦争を、ロシアによる侵略を早く閉幕してほしい。そんな祈りと重なるパラリンピック閉会式であった。
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