今年も大寒の入りを前にして、我が家の庭の片隅に清楚な寒アヤメが咲いた。
この寒さの中で、しかも日陰の存在ながらちゃんと季節を心得、時季が来たことを忘れずに花開いている。
控えめな薄紫色は、この季節にお似合いの優しさを投げかけてくる。そして「早く正月気分を終えて本格的始動の時期ですよ」と催促されているようにも見える。
過去にも書いたと思うが、「寒アヤメ」としての花言葉は見つからない。アヤメ一族の仲間として「よい便り」「メッセージ」「希望」の花言葉が、共通一次試験の季節にふさわしい温かい心を投げかけてくる。ついつい調子に乗せられて、ヨ~ッシッ!寒さなどに負けていられようか、と奮い立つ気持ちを後押ししてくれるみたいでもある。
そんな気持ちの一方で、新聞の三面記事に目をやると、まさに目を覆いたくなる惨状が並んでいる。アヤメの花言葉などどこかへ吹っ飛んでしまいそうな、気持ち塞がれるこのごろ。
13才の女の子が、スマホの扱い方で怨みを重ねたら、刃物で母親の寝込みを襲って殺害するところまで行き着く。逆に母親が無抵抗の6才の我が子を殺めてしまう。愛が憎しみに変わったのか、交際相手であった大切な女性を人通りの絶えない繁華な街角で殺害する。もう書きたくもない記事がいっぱい。
強い国が隣接の弱い国を侵略して我が領土を広げて憚らない、国家による強盗殺人行為を1年間もやりたい放題にさせる国際連合。ロシアがやるのなら我々も、と拳を振り上げて脅しにかかるCHNという国。理不尽がまかり通る世の中で、最終的に我が国を守るのは我が国、我が国民である。飛んでくる火の粉は払わねばならない。次から次に火の粉が飛んで来ない策を打ち立てなければならない。他人任せでいいのかね~。頼りにする他人様に火の粉が飛び始めたら、他人の防御に手を貸せるのだろうか。
けなげに咲く寒アヤメを見ていたら、寒い時期が全て負のイメージばかりではない。むしろ暑い夏を地下にある力強い根っこで力を蓄えてこそ、寒の最中に花開くのだ。
何にもしないでもこれから先の世の中を生きていけるなら有り難い。NIPPONを囲む海、周辺の島は、押し寄せるには恰好の標的とならぬよう最善を尽くさないと、花を愛でていられる優雅さなどなくなってしまいそう。