正月明けて2週目に入る1月7・8・9日 が3連休となった。9日は8日日曜日の振り替え休日でもあり、「成人の日」のハッピーマンデーでもあった。そんなわけで、成人式も3連休の中日8日に設定する地域と、いわゆる成人の日9日に設定する地域に別れたようだ。
成人式の設定日がどっちであろうと格別異論はない。が、成人年齢を18才に切り下げて初めて迎える成人の日である。
公式には20才を迎えた男女を集めて「成人式」という言葉はふさわしくない、使えないという解釈からか「二十歳を祝う会」「二十歳の祝賀会」と名目変更を余儀なくされた。そりゃそうだよねー、成人年齢は18才と法律で決められて、実際に選挙権も発生するし色んな法制の下で大人としての扱いを受けるのだから。18才が成人の日とするべきだ、「成人は二十歳」という概念を変えていくべきではないか、というご意見もうなずける。
そこでやぶにらみ流の思考は、若者から大人への切り替えがなんで18才なの?ここに問題があるのではないか。つまり、大人という概念はそもそも何なの?ということである。
義務教育を終えて15才。それから3年間高校という一応の高等教育を終えて18才。その時点で如何ほどの社会経験を積めたのか、大人としての責任感がどれだけ培われたのか。少なくとも私個人を例にとっても、高校卒業した時点で大人の仲間入りと言われてもね~。という白けた気持ちが強かった。要するに幼かった。だからせめて2年間の社会経験・人生経験をしたうえで、二十歳の成人が極めて当たり前と感じて来た。
半世紀以上も昔と、AI全盛の今とでは、若者の質が違うんよ。そんな古い考えはもはや通用しないんよ。と言われそう。それも理解できる。
しかし、半世紀前の18才は、自立・自律という意識の強さは、現代人とは比べ物にならないのじゃないかねー。生きること、生活することが目の前に立ちはだかっていて、それを自ら乗り越える基礎体力を身に着けていたような。もちろん、それは少数派かもしれないが。
ちょっと話がずれたが、兎に角法制で18才が成人と決めたのだから、二十歳は「祝う会」で、18歳が「成人式」とするのが妥当なところかしらねー。ややこしやややこしや。