憲政史上で最も長く、日本国を代表する顔、内閣総理大臣として君臨し続けた安倍晋三氏の国葬が執り行われた。
これまで誰も経験したことのない8年8カ月に及ぶ、一国のリーダーであり一国の最高責任者として、世界の中のNIPPONの地位を築き上げた人との最後のお別れに国民の一人として哀悼の弔意を捧げたい。
どんな小さな団体でも、ひとたび代表だのリーダーだのと呼ばれる立場に立った時、その責任を全うするためにどれだけの神経を使い、配慮し、その上で仲間のためになる利益を求めるとなると、根回しだって必要となる。その難しさ、大変さなど、それこそ半端ではない重責を感じることになる。
そんな世間一般の生活はもとより、国民の安心安全を求めて、世界のリーダーと対等に渡り合うご苦労は、我々の想像だに及ばない複雑多岐に及んだことだろう。
なにを言っても考えても、飽くまでも個人の感情である。国葬に反対する人はそれはそれで意見も主張もあるだろう。だから反対意見を認めるのだから、賛成する人の存在も認め会いましょうやということになる。少なくとも「自分の言っていることだけが正しくてそれ以外は認めない」などとは互いに言わないことにしたいものである。
志半ば、年齢も67歳という若さ。そんな人の命を暴力で奪う野蛮。凶弾に斃れた無念さ。そんなことを考えるとやはり、個人としては国葬止む無し、と思ってしまう。理屈抜きで、静かに手を合わせてお見送りしたい。
菅義偉前総理大臣による、友人代表の哀悼の言葉は心に沁みた。肝胆相照らす、心を通わせる友の存在は人生を豊かにする特効薬であるのかも。