今にもほころびそうなつぼみ
今日は、二十四節気の一つ、立春。待ちに待った春立つ日。とは言っても飽くまでもそれは暦の上での話。
実際はまだまだ大寒のど真ん中に変わりない様子で、今日も一日中小雪の舞う厳しい寒さに見舞われた。
それでも、庭の小さな梅の木は健気につぼみを大きくふくらませ、ほころび時期を窺っているような。梅の木のすぐそばには、イトスイセンの花芽が、春を呼ぶように、こちらもすくすく伸びている。間違いなく「春はすぐそこまで」を、庭の花や木が教えてくれる。
今日は山口県知事選挙の投票日で、投票所までの往復3.2㎞を、クルマか?歩きか?思案した挙句、完全防寒装備で「歩き」にした。
ウオーキングというほどの距離ではないかもしれないが、兎に角、この足でまとまった歩きをするのは久しぶり。
寒さは厳しかったが気分はホッカホカ。但し、投票所に着いたら指先がかじかんでいた。しばらく温めてから投票用紙を受け取った。
「春たちぬ」って、何かしらいい響きだなーと思っている。直訳では「春が来た」ということなのだが、実際には今この季節のように、厳寒の残る、春まだ浅き冷たさ、それでも春の気配はそこかしこ。ついそこまで春が来ているよ・・・という希望を持たせてくれるくれるニュアンスがいいなと、この言葉に惚れている。
一方で ❝ 果てしなし 喪ごころに春 立ちにけり ❞ というのもある。
喪に服する期間が過ぎたというのに、なかなか悲しみに区切りをつけることができない。そういう中にもやはり春は巡って来たのだな~という感慨か。
ところでこの「春立ちぬ」というフレーズは、どこかで聞いたようなと、しばし思案を。
そうだ、堀辰雄という人が「風立ちぬ」という小説を書いていたのを思い出した。読破したわけではないが、タイトルや著者は覚えているのが我ながら不思議な気がしないでもない。
小説「風立ちぬ」には、その後に続く言葉がある。「風立ちぬ、いざ生きめやも」である。「元気を出して生きて行こう」という決意なのかなと解釈する。
となると「春立ちぬ、いざ生きめやも」とも言えるようだ。いよいよ春、陽春に向かって胸を張り、元気よく生きて行こう。