「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「盤上は心の鏡…」

2009年03月16日 | 趣味・・エッセイ
我が家にやってきて半世紀を超える将棋盤。
既にこの世にはいない父と兄の手垢が染み込み、小生の涙混じりの苦戦を物語る駒や駒台。
父の形見の一つとして、床の間の片隅から、我々家族の日々の生活を静かに見守ってくれている。

父は強かった。兄も元々才能があり、2段の腕前だと言われていた。そこへ行くと、またまた立つ瀬がないyattaro-。父が片駒落とし(角落ち)で柔らかに相手をしてくれていたのを思い出す。

かつて天才棋士と騒がれた大山康晴棋士は、100年に一人の逸材だと言われた。“盤上は心の鏡である”という名言を遺している。
つまり、対局の場面においては、相手の心ばかりか自らの心の動きすら、将棋盤の上に映し出されてしまう。盤上をにらみながらも、棋士は互いに相手の心を読んでいる。静寂のうちに鬼気迫るものがあるのは、こうした心理戦が展開されるのにほかならない…と解説されている。

人間の一生も、大きい小さいは別として、闘い、つまり勝負の世界に身を置いているのではないか…とつくづく思う。
世間という魔物や人間関係という障害物と、如何に上手に付き合うか。そして己の力量を知った上で相手と対峙する。この呼吸を外すと、勝てる戦も勝てない場合が出てくる。

ギンギラに丁々発止だけが闘いではない。静かに潜行する心理戦だってある。更には「自分という見えない敵との闘い」がいちばん厄介なのだとも思う。ちょっと目を離せばすぐ楽な方に・みやすい方に走る。
老化を防ぐためにも、自分磨きの研磨剤をいつも探し求める闘いはまだまだ続くのかな…。

「自然流」といわれたプロ棋士、中原誠16世名人の引退というニュースに接しての雑感。

        ( 写真: 我が家に鎮座まします、将棋盤 他 )
コメント (9)
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