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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「深まる秋を・・・2」

2012年10月27日 | 旅行・レジャー

            
                
私にとっての京都は、あの歴史回天の舞台となった明治維新前後の、長州(山口県)人の働きぶりに直に触れること。その人達が活躍した場所に立ってみること。この二つが大きく胸を揺すり、居てもたってもいられない衝動を憶える。

今回は、明治維新にいたる江戸時代の少し前、群雄割拠した戦国時代を駆け抜けた武将の故郷の空気を吸ってみたくなった。
それには、安土桃山に城を築き、天下に号令を発した織田信長を置いては語れない。そこで思いついたのが琵琶湖周辺の戦国武将の足跡を遠くから眺めること。
長年の希望を一つ叶えることが出来た。琵琶湖一周電車旅!!

お金と時間をかければ、とことん納得のいく歴史探訪が出来るのだろうが、そこは諸般の事情に鑑みて、時間だけはあるがもう一つの方が不足・・・。
ということで、今出来る範囲の安近短の超特急でその雰囲気を味わってきた。

多くの人がご存じの通り、琵琶湖一周電車旅には、JRが定めた「大都市近郊区間内」では、途中下車や引き返しがなければ、目的地までの経路は自由という特例がある。
その特例を活用すれば、その距離およそ170キロmと言われる琵琶湖一周が180円という、一駅区間料金で走破出来る。こんな「大回りの旅」は如何。

先ずは反時計回りで山科から大津を目指す「琵琶湖線」をたどる。
しばらくすると、豊臣秀次が築いた城下町を基礎として近世は商業都市として発展した、いわゆる近江商人の発祥の地を通る。次いで、憧れの安土へ。小高い山肌に「安土城址」と大書された看板が見える。

雨に霞む近江富士を眺めると間もなく彦根城が遠くにそびえる。あの井伊大老の出身地。次いで石田三成の佐和山城跡、豊臣秀吉が居城として築いた長浜城、羽衣伝説の残る余呉湖。数え上げればキリがない、まさに戦国歴史や物語の宝庫。

興奮を抑えることなく、車窓を右に左に。ただ一つ注文をつけるなら、古戦場や城跡など、もう少し案内があったらもっといい。などと、頭の中であれこれ壮絶な歴史に想いを馳せながら、琵琶湖一周。ほんとに180円でええんじゃろうか。
これもまた、深まる秋を旅した忘れ得ぬ一こまである。

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「深まる秋を・・・」

2012年10月26日 | 旅行・レジャー


   初めてこの目で確かめる、京都時代祭り              

                 

黄金色に実った田んぼの収穫も終わり、感謝の秋祭りがそこかしこで繰り広げられている。千年の古都京都では、三大祭りの一つ「時代祭」が華やかに行われた。
深まる秋を楽しんでみたくて、時代祭見物と洒落込んだ。

聞きしに勝る絢爛豪華。京都ならでは、京都にしか出来ないお祭りの奥行きを、この目にしかと焼き付けた。京都御所を出発しておよそ2時間40分、平安神宮に到達する。
その間、河原町通り・丸太町通り・烏丸通・御池通りなど、何度か耳にしたことのある大通りを練り歩く。
行列に使用されている、見るからにサラブレッドを思わせる、お腹を絞りあげられた、芸術品とも言われる競走馬が数十頭が花を添える。

行列は、維新勤王隊列を先頭に、幕末志士列、江戸時代、安土桃山時代・・・藤原時代、延暦時代へとさかのぼって行く。それぞれの時代を象徴する見事さがある。
一行が通り過ぎる2時間余りを立ち見で必死に見学。足のだるさも膝の痛さも忘れていた。見事という言葉がピタッと当てはまるお祭りを心から愉しんだ。

ご存知の方も多いだろうが、せっかく現場に行って目に、耳にしてきた時代祭りの由来などひとくさり・・・。
時代祭は平安神宮のお祭りである。つまり、平安遷都千百年を記念して、平安京創始である第十五代桓武天皇を御祭神として、明治28年に平安神宮が創建された。
これを奉祝する行事として創建当時から、毎年京都の誕生日に当たる平安遷都の日、10月22日に時代祭が行われる。ということである。

気持ちよく時代祭を見学。深まる秋を楽しむ京都、さて次なる目標は。
そうだ、戦国時代の武将ひしめくお隣滋賀県の琵琶湖めぐりでもしてみよう。
ではまた明日。

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「ミュージカル鑑賞」

2012年05月20日 | 旅行・レジャー

        

今日は、日ごろお世話になっている先輩のお勧めもあって、柄にもなくミュージカル見学と洒落こんだ。地元で活躍しているミュージカル劇団「CLIMAX岩国」のオリジナル作品『HAUNTED 2』というタイトル。

小さな会場で、歌い踊り、躍動するパワーを目の当たりにしながら、歌舞伎とは異なる、お芝居とも違う、舞台劇とも違う、独特の興奮を味わった。
結論から言うと、華やかさ愉しさ、リズミカルな進行、演出の面白さなど、これがミュージカルだな思わせるシーンの連続であったと思う。ただ、はなはだ失礼ながらストーリーその物が少し分りにくかった。但し、これはミュージカルに馴染のない素人の意見として割り引いて考えてもらっていい。

脚本・演出を手掛けたクライマックス代表の女性は、この作品の上演決断に至った理由を次のように述べている。「昨年3月11日の震災は私たちの心を揺さぶりました。きっと天に召された魂は、心残りはあったでしょう。でも残された大切な人の幸せを願っていると思います。逝く苦しみ、残される苦しみ、私たちなりにしっかり受け止め、この作品に全力を注ぎました。主人公は12歳の少女、自分の置かれた立場を疑似体験として表現したかった・・・」と。
物語も、ハリケーンで命を落とした亡霊と12歳の少女が、あの世の疑似体験を通して現実とのはざまで揺れながら成長していく・・・という物語であったような。

ミュージカル(musical)とは、音楽、歌、台詞及びダンスを結合させた演劇形式を言う。とある。ユーモア、ペーソス、愛、怒りといったさまざまな感情的要素と物語を組み合わせ、全体として言葉、音楽、動き、その他のエンターテイメントの各種技術を統合したものである。そもそもミュージカルとはミュージカル・シアターの略語で、ミュージカル・プレイ、ミュージカルコメディ、ミュージカル・レビューの総称である。とネットに書いてある。

もう少し早くに馴染んでおけばよかったが、このような解説を見ると、あまり近寄らない方が無難なのかな、などと逃げ腰になってしまう。
まあ兎に角、一度はこの目で確かめた。眼で耳で楽しむ分には何の問題もなかった。
そう言えば今思い出した。若かりしころ劇団四季の「オンディーヌ」を観たことを。

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「師走の京都修学旅行」

2011年12月04日 | 旅行・レジャー

京阪神方面と言う中学校の修学旅行。
奈良・京都・大阪をワクワクしながら巡ったのは半世紀以上も前になる。
今年の遅い紅葉に誘われて、中学修学旅行の足取りをたどってみようと思い立った。

ところが、いざとなると欲が出る。明治維新と言う歴史の大舞台となった京都には、垂涎物の場所や人物碑、神社・仏閣がひしめいている。想いのままに一通り巡ろうなどと思えば、定期券でも買わなければならないほど、魅力は尽きない。段々修学旅行コースプラスαが出てくる。理屈抜きで写真で振り返ってみたい。

京都御所蛤御門。柱に残る弾痕感動。

二条城、本丸跡から二の丸を見降ろす。遠くに比叡山を望む
昨年はネットから拝借した絶景が
                 二条城の散策コースで見られた。
 


新撰組が襲った三条小橋の旅館池田屋。階段が復現。但し現在は居酒屋に変身。

 京都南座、師走恒例の「まねき」
紅葉の穴場ともいえる、大徳寺
紅葉映える金閣寺
平安神宮応天門
大極殿に向かって右の蒼龍楼
知恩院山門法然上人800回忌
知恩院御影堂。
重厚さに圧倒。知恩院では開祖法然上人、800回大遠忌法要の年に当たっていた。
ねねの道を登り、二年坂・産寧坂の明保野亭を経て清水寺へ。


  清水寺山門を見上げる。       清水の舞台から見下ろす紅葉

誰もが写す清水の舞台。紅葉が見事に映える。舞台が落ちそうなほどの人ひと。

 見上げる舞台はやっぱり高い。飛び降りるには勇気がいる。

半世紀の歳月は物の見事に実感としてこの目に映る。
とくに、平安神宮の鮮やかな青い屋根と朱色の蒼龍や白虎は、時の流れを感じさせるほどくすんで見えた。あながち小生の目が悪いばかりではなさそうだ。
と、今回の修学旅行思い出の京都を時系列に追ってみた。

最高の思い出は、御所の「はまぐり御門」の大きな門柱に残る弾痕。
指の先がすっぽり埋まるへこみが無数にある。かつて「禁門の変」で長州が朝敵となった薩摩軍との戦いで、撃ちかけた鉄砲玉の痕である。
胸躍る大きな歴史に直接触れる気がした今回の旅であった。

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「期待に胸ふくらませたが・・・」

2011年10月31日 | 旅行・レジャー

      
     福山市、福禅寺対潮楼、客殿からの眺望は鞆の浦を代表する景観。
          
          対潮楼扁額         日本一の常夜灯       復元されたいろは丸

市民活動団体の交流会に手を挙げて日帰りバス旅行に参加した。
一つには、行き先が広島県福山市鞆の浦であったこと。一も二もなく手を挙げた。
鞆の浦といえば、知る人ぞ知る歴史豊かな港町。瀬戸内海を航行するする船の潮待ち港として栄えた。今ひとつは、憧れの坂本龍馬活躍の跡がそこここに残る町であるということ。それだけの動機で充分である。期待に胸がふくらんだ。

先ずは、かつて朝鮮通信使を歓待するために、鞆の浦最高の絶景を選んだという、福禅寺客殿となる対潮楼。あいにくの小雨が、ここでは格別の演出効果を発揮。その絶景が、一段と心に沁みる思いで飽かず眺めた。眼下の潮流渦を巻く瀬戸には、坂本龍馬海援隊の初仕事である「いろは丸」が復元され、観光客を乗せて仙酔島への往復を重ねる。

慌ただしい日程に追われ、日本一の常夜灯、今で言う灯台に馳せ参じるのが精一杯。
いろは丸記念館も、龍馬と紀州が日本初の海難審判に及んだ交渉跡も、龍馬が宿泊した桝屋邸も見られずじまいであったのは誠に残念。
今一度、この足でゆっくり踏破したい夢を残す結果と相成った。いつか行こう!

昨年の朝ドラ「てっぱん」の舞台となった尾道。はるか頭上には、小雨にけぶる千光寺を仰ぎ見る。しっかりしたアーケード商店街も、至るところシャッターが降りている。
朝ドラ人気も一時のものらしく、かつては中心街として賑わった面影は遠い昔。
いずくも同じ秋の夕暮れに思いを致す。

次いで竹原。平安時代には京都下鴨神社荘園となった歴史から、安芸の小京都と呼ばれているだけあって、古い街並みには重々しい雰囲気を感じさせる建物が並ぶ。
江戸時代には、製塩や酒造で繁栄したという。当時の名残の豪商屋敷の街並みは「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、大切に保存されている。

この町も、今一度ゆっくり歩いてみたくなる誘惑に駆られる。名前が竹原だけに、竹のアートはお見事、至るところで目を引いた。
大いに郷愁をそそる三箇所巡りであったが、欲張った感は否めない。期待が大きすぎたこともあって、いささか消化不良。いつか改めてしっかり噛みしめてみたくなった。

竹原の街並み安芸の小京都 
初めて見る黒いポスト

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「秋・安芸の宮島歴史探訪」

2011年10月19日 | 旅行・レジャー


   本殿回廊から大鳥居(国の重要文化財)をのぞむ


    豊国神社(重文・千畳閣)横にそびえる五重の搭(重文)

世界遺産(文化遺産)、日本三景の一つ宮島。
『平安の雅を今に伝える歴史と浪漫の島』と謳われる安芸の宮島。

絶好の秋晴れに恵まれて、エッセイ同好会御一行様13人。ワイワイガヤガヤ「宮島歴史探訪」と洒落こんだ。その名の通り、単なる見物にとどまらない延々6時間の行程。
まさに、平安絵巻から近代に至る史実をひも解きならのおよそ11000歩。
厳島神社本殿はもとより、中国地方の覇者「毛利元就」の戦いの史跡をめぐり、島内に点在する神社仏閣の故事来歴をこの足で踏みしめる旅。実に面白かった。

見れども観えず、聞けども聴こえず・・・。これまで何度も渡った宮島であるが「美しい・素晴らしい・よくぞここまで・・・」などの感嘆詞に留まっていた。
その美しい・素晴らしい背景にまで思いを馳せるに至ったことは,残念ながらなかった。

ところが今回はいささか趣が違う。牛に引かれて善光寺参りならぬ、リーダーの力強い統率力に引かれた宮島詣で。詳細な宮島資料が事前に配布され、あらかじめ多少の予備知識を持って出かける、という周到な準備がなされた。
その並々ならぬ努力を仇やおろそかには出来ない状況にあった。

ポイントで説明するリーダーの声を、一般観光客が聞き耳を立てる場面もあった。
プロセスはどうあれ結果的には、お互いが単なる物見遊山にとどまらない、奥行きのある宮島観光を満足したということ。そして、人の御坊で法事をするわけではないが、これから後、遠来のお客様を迎えた時など、如何にも知ったかぶりして宮島観光案内が出来るという力を得た。

その前に、我が住む町岩国をもう少し掘り下げて、歴史や観光のウンチクが述べられるよう腕を磨かないといけないかも。
岩国検定をもう一度じっくり掘り下げてみたいものである。

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「香水瓶の世界」

2011年04月27日 | 旅行・レジャー

山の中腹にそびえる美術館 

美術館から見下ろす宮島全景

国道2号線を広島に向かって40分も走ると、左手山の中腹に、御殿を思わせる立派な建物が見えてくる。なんじゃろうあれは・・・と思いながら数年を経た。
美術館を併設していることは知っていた。春の陽気に誘われ、この建物で開かれている“きらめく装いの美・香水瓶の世界”という特別展を見学した。

お揃いのスーツを着て、あっちこっちに立っている駐車場案内のお兄さんに、建物の由来・目的など軽く尋ねてみた。
仏教を基盤とした新興宗教総本山の位置づけであるような話を手短にしてくれた。不得要領、もう少し聞きたかったが、先方も詳しく説明したがらない様子も見えた。それ以上掘り下げるのも憚られ、曖昧のまま駐車と本館を結ぶ送迎バスに乗った。

まさに一つの山を好きなように手を加え、豊かな自然を取り入れて豪快に開発した御殿そのものの雰囲気がある。瀬戸内海に浮かぶ安芸の宮島が、朱の鳥居を含めて一望に見渡せる贅沢なロケーション。見応えはある。

今回の目的は、飽くまでも「海の見える杜美術館」としての訪問であった。
古代より香水は神と人間、そして男女を結びつける役割を持っていたと言われる。宗教儀式では、神に芳香を煙として手向け、その煙に願いを込めたという。

それほどの貴重品・高級品を保管する容器である香水瓶にも、格別な思い入れがあって、金銀ダイヤオパールなど、最高級の装飾が施されているのだ。
それにしてもフランス王侯貴族などという人達は、遙か高いところで雲の上の生活をむさぼり、その下に何千万人という庶民が細々と生活していたのかと思うとちょっと切なさが頭をよぎる。 

どうしても庶民の悲哀のほうに目がいってしまうようだ。
 

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「こんぴらさん」

2011年04月18日 | 旅行・レジャー

        
                 金刀比羅宮 本宮拝殿         

    
           石段の途中あれこれ             大門

正式の名前を金刀平宮(ことひらぐう)。通称金比羅さんへお詣りしてきた。
四国香川県琴平町の象頭山(ぞうずさん)中腹に鎮座する神社。
長く続く参道の石段が有名で、奥の院(奥社)まで登ると1368段にもなるという。
通常お詣りする本宮拝殿は、「上がろうか止めとこうか・・・」ナヤム786段の石段を登ったところにある。

海上交通の守り神として古くから信仰されていて、現在も漁師さんや船員さんなど海事関係者の崇敬を集めていると言われている。
想像を遙かに超える海の魔力に翻弄された大津波被害。再び繰り返すことのなきよう、海の神にお願いを込めた静かな祈りを捧げたい気持ちも多分にあった。

3月11日以来どうしてもふさぎ勝ちになる気持ちを、何とか奮い立たせたい、しかも被災された方々の霊も慰めたい・・・という気持ちもあって、かの有名な石段制覇を試みたかった。また最近、時々ではあるが膝が痛むことがある。無理をしない程度に鍛えてはいるのだが、兎に角挑戦してみたかった。

いざというときのために膝用サポーターをバッグに忍ばせ、霊験あらたかな足腰お守りをポッケに、淡々と挑んだ。
意外や意外、294段目の石塔も難なくクリアー。大門で記念撮影のひと休み。さらに心地よく上った。肌寒かった上り初めがウソのように汗が流れ始める。

       
     見上げる本宮    幸せのお守り    帰り道下をのぞめば

途中ただ一箇所下りの一段を入れて786段、見事予定の時間で上りきった。本宮拝殿に、諸々の思いをお預けして、ここでしか手に入らない幸せの黄色いお守りをゲット。
どこからか笑い声が聞こえる。耳を澄ますとなんと両膝はケタケタ笑っていた(??)。

見下ろせば気が遠くなるような急な石段。幸せのお守りを手に勇躍下っていった。

この急な石段を上ることに悩み、思い切ってチャレンジする。汗をかく。ここに金比羅さん詣での御利益があるとみた。
祈りを捧げた下り道。黒板塀の中から聞こえる三味線・太鼓にあわせて♪ こんぴらふねふね おいてにほかけてシュラシュシュウシュ・・・♪の歌声が何とも心地よい金比羅詣でとなった。

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「有意義に・・・」

2010年12月05日 | 旅行・レジャー

          

1960年に岩国で結成され、地元を中心に活躍している演劇研究会「劇団のんた」。 

その長い歴史の中で、毎年秋に行われる岩国市民文化祭公園は46年間、一度も欠かしたことがないという。 さらには4回の海外公演や、ふれあい巡回公演、気軽に要請に応じる出前公演など、幅広く活動している。 今年の山口県演劇祭・岩国市民文化祭にあわせて、新作「銀河鉄道の夜」が上演された。 4年生と2年生の孫を連れて観劇会と洒落込んでみた。

幻想の世界と現実の世界を行き来しながら、銀河ステーションから宇宙へ旅立ち、途中から乗り合わせた別世界の人たちと交流し、やがて地上に降り立つという、三次元・四次元の世界を描きたかった・・・ということであった。 私のような宇宙に対する壮大な夢を持ち合わせない者にはちょっと難解なテーマだったようだ。 二人の孫君は、それぞれに見入ってはいたが、感想は? ウーン・・・ジジと似たようなものだったようだ。

特にこういった内容については、テレビなどで強烈なビジュアル動画で詳細に見せつけられている。そんな二人にとっては、ステージの動きと台詞だけでは、解釈に無理があったかもしれない。 でも見せておく必要はあると思って、日曜日の午後のひと時を一緒に過ごした。 これはこれで、やらないよりやっておく必要のある時間だったと思いたい。

ちなみに、「のんた」とは、・・・~ねーあんた、と、相手に同調を求める呼びかけ語である。 山口弁で、ねーがのーになり「のーあんた」「のーあんた」が段々詰まって「のーんた」「のんた」となったと聞いたことがある。

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「いのちの山河」

2010年11月07日 | 旅行・レジャー
小雨けぶる晩秋の寒い日曜日。久しぶり映画館に出向いた。
娘の仕事関連で依頼されたらしく、是非前売り券を買ってくれと頼まれての映画鑑賞。
形は頼まれ付き合いであったが、映画の感想は「やっぱり行ってよかった」となる。

長く無医村だった岩手県の、冬場は豪雪に閉ざされる山あいの沢内村。
村の抱える「豪雪・多病・貧困」を「沢内村三悪」として、都会から故郷に帰った夫婦が、教育長・村長を歴任していく中で、村の組織作りに始まって村民の意識改革を成し遂げる。ドキュメンタリーの物語り。

自分が生まれた村に並はずれた愛着を持ち、村民の生命と健康を守り「この村で生きてきて良かった」と思える村にしようと立ち上がった深沢村長と村民の奮闘の日々がつづられている。
「生命尊重」の理念を掲げ憲法25 条を盾に老人と乳児の医療費無料化を実現し、全国でも最悪だった乳児死亡率を全国初の死亡率ゼロにまでもっていった。
村の財政を村民の包括的健康のすすめや、福祉重点において「生命行政」を実現していく。

テーマは、映画を通して日本国憲法25条を今一度考えてみようということだった。
『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』 と

そして、大きな変革を遂げるには、人間愛ともいうべき奥深い優しさを土台にした、強いリーダーシップが欠かせないことを言いたかったのだろう。
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