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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「2分48秒の思い出」

2023年11月07日 | 趣味・・エッセイ

我が住む町、岩国のシンボル錦帯橋が今年で創建350年の記念の年を迎えた。
市を挙げ、色々な組織を挙げてお祝いムードに包まれている。そんな中で行われた「錦帯橋思い出エッセイコンクール」に応募した拙い一編を、ここに恥ずかしながら厚かましくもブログアップさせて頂きます。自分がよそ様に向けて書いたものをここにアップしていいものかどうか考えるうちに一日遅れになってしまいました。

『2分48秒の思い出』

 岩国城ロープウエーが開業して間もない昭和39年の春、わずかな期間ではあったが岩国市の臨時職員、いわゆるアルバイトのご縁を頂いて、混雑する山麓駅山頂駅の乗客整理係を担当した経験がある。当時のロープウエーは昇降客を乗せたゴンドラにはガイド嬢が添乗し、岩国の歴史や名所を肉声で観光案内をしていた。
 仕事柄、山麓駅と山頂駅を1日に何度も往復するうちに、片道2分48秒の観光案内の文言を完全にマスターした。
 たとえわずかな期間でも、錦帯橋を中心とした岩国市観光事業の現場に居合わせたことは、その後の長い人生の色んな場面で、岩国市民としての誇りを自覚し、岩国の歴史や観光名所を2分48秒の名調子に乗せて宣伝することになる。
 改めて市内の大手企業に入社して数年を経たころ、日本全国に点在する工場や営業所の担当者が岩国工場に集結して全社大会が開かれた。行事の進行とともにお酒も入り他工場の参加者がお国自慢を繰り広げた。引き受け担当の私も岩国のPRを何かと考えたとき「ヨシッこれだ」とひらめいたのが、「2分48秒のお時間を頂き、この会場を岩国城ロープウエーゴンドラに見立てまして・・・」と前置きして、吉川広家公に始まる岩国の歴史に触れ『天下の名橋錦帯橋をはじめ、春は桜、夏の鵜飼い、秋のもみじや冬の雪景色など、自然の織りなす美観は風光明媚な景勝として年間〇〇万人の観光客を迎え、観光と工業の町として発展しているのでございます・・・』と、ロープウエー上りの観光案内をやり切ったところ、意外に大きな反響を得て岩国工場の面目を施した思い出がある。その後も本社転勤の折には歓迎会の席で挨拶代わりに2分48秒間マイクを握らせてもらった。
 それから数年を経たころ、単身赴任時代にお世話になったマンション管理人さんから「世界遺産ツアーで山口広島に行く。錦帯橋にも寄ります」との連絡を頂いた。遠い昔の恩返しになればと張り切って待っていたところ改めて「錦帯橋は約45分間の滞在です」との連絡が入り愕然とした。
 「なんだそれは、単なるトイレ休憩じゃないか」と怒ってみても仕方ない。羽田から宇部空港へ、秋芳洞で一泊。萩・長門、津和野を経て錦帯橋でひと休み。安芸の宮島で一泊する旅程だという。バスの到着を待って大急ぎで錦帯橋を往復するのが精いっぱい。観光案内もお茶を飲む間もなかった。
 岩国での観光案内をあきらめて、翌日早朝の宮島の観光を個人的に引き受けることして、昼食付のゆったり観光でささやかなお接待ができた。
 そんな寂しい記憶の中で思うのは、旅行会社にとっては世界遺産の宮島と国の名勝錦帯橋ではこれほどの差がつくということを思い知らされた。この口惜しい体験を考えても、全長190mに及ぶ5連アーチという木造建築の高い芸術性や地元宮大工の技術伝承も踏まえて、錦帯橋世界文化遺産への格上げを強く強く望む岩国市民の一人である。    以上、お後がよろしいようで!!

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「錦帯橋の思い出」

2023年11月06日 | 趣味・・エッセイ

    

今宵はちょっとだけ、面白くもない話にお付き合いください。
面白くもなんともない話ですが、本人にとっては、久しぶりの「えも云われぬ楽しい話」になるのだから世の中複雑、というか自分が黙っていれば何事も起こらない話でもある。それでいてちょっと知って欲しい、ちょっと聞いて欲しい話でもある。

このブログに何度も登場する故郷自慢、岩国のシンボルとも言うべきあの日本の名勝錦帯橋が、今年で創建350年の記念の年に当っている。
兼ねてより「錦帯橋を世界文化遺産に押す会」などが盛んにPR活動を続けて来た。そんな活動の一環で、吉川家第32代当主吉川重幹氏の肝煎りによる岩国吉川会オープンフォーラム2023、錦帯橋の思い出をテーマにしたエッセイの公募があった。夏の盛りの頃だったか。

ナヌ? 錦帯橋の思い出エッセイとな? これは放ってはおけない。子供の頃から馴れ親しみ、初めてのデートも先ずは錦帯橋というほどに、もう心の中に沁みついた大切な場所。しかも個人的には錦帯橋に続く岩国城ロープウエイの、片道2分48秒の観光案内はいつまでたっても頭から離れない、自分を助けてくれた大切な思い出がある。自己紹介を求められたら「2分48秒のお時間を頂きまして・・・」と、錦帯橋を中心とする岩国の歴史と観光ガイドを披露するかくし芸として持っていた。東京本社に転勤した時の自己紹介は文句なし自分の紹介というより住んでいる岩国を吹聴して好評を得た。

そんなこんなを「錦帯橋思い出エッセイ」を1360字に認めた。
意外や意外、思わぬ賞を頂くことになった。普段はけなされることはあっても褒められることの少ない我が人生。ついつい喜んでしまう。
錦帯橋を世界文化遺産に押す会会長賞を頂いた。何のとりえもない平凡な人生の中で、これだけは!と言う気持ちの依りどころがあるのは心強い。
これからも数少ない我が住む町のシンボルを披露させて頂きたい。辛抱強くお付き合いください。

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「記憶と記録と」

2023年08月25日 | 趣味・・エッセイ

     

5人いる孫たちそれぞれの成長を記憶として遺しておきたいがそれには限度がある。じきに忘れてしまうリスクが大きい。ならば記憶と同時に記録も残してやりたいということで始めたのが「孫ニュース」と言う名の写真集である。もちろん、その時々の印象や彼と彼女たちの努力の跡などを、ジジババ目線で書き留めて一応ニュースの形に仕上げて渡す。孫はともかく、娘も嫁も親の方が大喜びで、大事にファイリングしてくれている。

制作者のジジは可能な限りカメラを抱えて現場に赴き、メモを取りながら取材してしっかりネタを蓄える。かつて新聞社のタウンリポーターとしてあちこち走り回って写真と記事を書きあげた経験にも助けられている。カメラの腕は芸術祭などに出展する芸術写真は撮れないが、動きの中から一瞬を切り取る報道写真には少しのウンチクも持っているつもり。それより何より、ボケ防止としては格好の活動である。

なんだかんだ言いながら、早い話が孫の活躍する姿をこの目で追いかけていたいだけのことである。追いかけられない時は、ラインという武器で娘や嫁さんが現場写真を送ってくれる。そんなこともあって、Aー4版1枚を1号としてトータルが400号近くになった。
特に今は、中学2年生の野球部活動の追っかけはリポーターというより、どうかするとシャッター押すのを忘れて彼のプレーの応援に血道を上げる始末でリポーター失格でもある。

それでもこうして、野球応援、運動会、大学卒業式、海水浴などなど季節に応じた活動を追いかけ、記憶と記録を残しながら愚作ではあるがもうしばらくこんな日々を続けていきたい。暑さにも老いにも負けないように。      

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「辛抱に甘えて15年」

2023年07月15日 | 趣味・・エッセイ

                    


2023年、令和5年7月14日昨日のこと。「世の中、ちょっとやぶにらみ」ブログが開設から5並びの「5555日」を迎えました。

早いものだね~という感慨と、よくぞここまでというくすぐったい思いが交錯する。その上何にも増して、このページにお立ち寄り頂き激励や賛同の気持ちをお示し頂いた多くの人に、ただただ感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

世の中のさまざまな現実を真っすぐ見ることは何よりも大切。その次に「それでどうなの?」「それでいの?」「こんな見方もあるんじゃない?」といった「へそ曲がり思考」「やぶにらみ思考」があってもいいよね~、案外面白いかも・・・などの自己満足をお許しいただいて、勝手思考やまっとう思考を織り交ぜながら綴って参りました。

もっと書を読み視野を広げることを目指す中で、年寄りの頑固さも加味しながら、これ以上もない、これ以下もない拙いブログを続けて参ります。
ただ、これから後が何回なのか、どの程度続くのか自分にもよく分かりませんが、お目通し頂く方に対して失礼にならないネタ探しを心掛けようと思っているところです・・・などと高き理想は掲げて行きたいと思うのですが、果たしてどうなるのでしょう。

ただ孫君や孫ちゃんの成長を見届けるのは、ジジの最大の楽しみの一つとご理解いただいて、これからも時に触れ折に触れて忘備録・成長記録として綴る勝手をお見逃し頂きけると有難しです。
ま、暇な折りに覗いてみてやろうといった軽いノリでお立ち寄り頂ければ幸いです。今後ともよろしくお願いします。 yattaro- 拝

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「久しぶりだね(笑)」

2023年07月13日 | 趣味・・エッセイ

            
                     久しぶりの登場 NHK山口放送ローカルニュースに

NHKローカルの視聴者投稿欄に、短い文章を付けて写真を投稿したら、今日夕方にオンエアーされた。
私は夕方から大事な会合があり直接見られなくて残念だったが、久しぶりの投稿、久しぶりの掲載だっただけに気の利いた友が、すぐに静止画像を送ってくれていた。遠くの友からも「うちにはカボチャがまだ届いてないよ」と催促の電話をもらったりした。

本気で挑戦した初めてのカボチャづくり。思いのほかよく茂りよく伸びて10数個の大きな実をつけた。
娘一家も倅一家もみんなカボチャ好き。特に嫁さんなどは自分流の調理をして家族や友達にも振舞うようだ。そうやって喜んで食する家族がいればこそ、また一つ知恵を絞っていいものを作ろうと励むのだ。

なんだかんだに追われて、写真を投稿するというこんなひと手間を忘れてしまっていた。久しぶりに思い出したような投稿だったが、ちゃんと採用されて画面に映し出されると、気分の悪かろうはずがない。また新たな被写体を求めてみたくなる。

愚にもつかない自慢話で恐縮ながら、あくまでも自己満足の世界であるが、大雨や異常高温など気鬱がつのる日々の中で、少し気持ちを高揚させることができたと喜んでいる愚か者をお笑いください。これでまた拙ブログ訪問者が減るのかも。それはそれで自業自得のなせる業か。

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「時に振り返ることも」

2023年06月09日 | 趣味・・エッセイ

                                                          

普段の生活の中では「老いた」とか「歳を取った」などと考えることはあまりない。皆無ではないがさほど神経質になってはいない。神経質にならないよう努力しているというのが正解なところかも。
健康面や外での活動などで、はむしろ能天気に生きている方だと思っている。飼い葉のお陰もあるし、田舎生活のノンビリ加減もこの身に合っているのかもしれない。

そんな呑気な日々ではあるが、時として自戒を促す言葉やちょっとした反省を求める言葉が意外に目に入ってくることもある。そういうお年頃なのかもそれない。それも流麗な毛筆の言葉となると自然に目が行ってしまう。目が行くとついついウンチクを一筆認めてみたくなる。

今回は『老いの戒め』 義父三十三回忌法要のお寺さんより拝受。

 「紅葉は春の花よりも更に趣(おもむき)あり 若きより老いて後人は円熟す 晩成すべし」

 「昔日(むかし)を自慢すべからず 人の価値は今日(こんにち)に定まる 励むべし」

 「・・・ ・・・ ・・・」

 「・・・ ・・・ ・・・」

 「いまだに死を免れたるものはあらず 迎えのある時は安んじて旅立つべし」  

時にこういった戒めに目を通し、来し方を顧みるのも悪くはない。がしかし、所詮落ち込むことばかりの我が人生なり。
それでも、いまだ死を免れたるものはあらず。やがて往くのだから、せめて一つだけ、横柄に構えても許してもらえる自我が欲しい。それは、自らの終焉を自ら選ぶ権利を与えて欲しいということ。横柄すぎてやっぱり無理かね~。そんなのを「我がまま」というと諭されるのかね~。

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「1年に1度!」

2023年03月11日 | 趣味・・エッセイ

                

趣味の一つとして続けている毎日新聞「はがき随筆」は、日々の紙上掲載に加えて月間賞・山口県年間賞さらに山口・九州大会で最優秀作品が選ばれるというステップが設けられている。延べ年間投稿者5000人を超えると言われている長寿欄。
そんな中で今日は山口県の昨年の優秀作品表彰式と会員の親睦交流会が行われた。新幹線の便利を考慮した会場にゆったりと参加した。一応お呼びが掛かったから。

山口県で最優秀賞に輝くと、文部科学大臣杯の大きなカップが頂けるのだが、書き始めてかれこれ15年超になるが未だに手の届かない存在である。
表彰式と共に楽しみなのが、旧知の仲間との近況報告やお悩み相談(笑)など。なんてったって丸3年のコロナによる大会中止。4年ぶりに開かれたこの大会、気持ちが弾むのも無理はない。

一方で3月11日はあの忌まわしい東日本大震災のメモリアルデー。
悲しみを新たにする中で、今を生きる私達の安全をどうやって守るかを改めて考える日でもある。
連日連夜、テレビで流される南海トラフ地震発生予告の恐怖。どうすればいいのか。本当に命や安全を守り通す方策があるのか無いのか。検証を重ねておきたいが、その予知能力の信頼性アップと、最低限の自主防衛の方策を身につけなくてはならない。

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「祈り」

2023年01月09日 | 趣味・・エッセイ

              

 『祈り』
  ❝ 一年の計は元旦にありと言われるように、迎春準備には毎年神経を使う。
    慣れた作業のはずなのに、忘れ物対策に時間が要るようになった。
    それでも鏡餅は手作り、それ以外は買い物で準備万端整え、先ずは神棚の手入れとお飾りを。
    続いて仏壇の掃除からお供え物や花生けなどで仕上げる。

    年改まって手を合わせる元朝、特別に意識するわけでもないのに、神棚には強い父の面影が重なり、
    仏壇には優しい母の面影が重なる。
    亡き父や母の見守りによって生かされていると信じて、今年も家族揃って明るく元気な一年になるよう神仏に祈りを捧げる ❞ 

元旦に目が覚めると、枕元に真新しい白い下着の上下が並べてある。隣には、時に毛糸のセーターであったりジャンパーなど、防寒用の新品の着るものが並べてある。
清らかな下着を着けて気持ちを改め、風邪など引かず元気な1年を過ごすように、という両親の言葉にはしない気持ちが、下着に重ねられている。
子供ころの元朝は、おおよそこんなものであった。出来がよかろうとそれなりだろうと関係なく、何がしかの期待を持たれる正月を迎えたものだった。

そんな思いは、特段に感謝だとか恩を受けたとか言うのではなく、ごく普通に親が6人の子供をしっかり守り育てた、その中の一人がオレなんだよね~という軽い感情ではある。しかしそれは、自分の命が続く限りこの頭から離れない感情でもある。

元気な80才として迎えた年末年始に、少し思いを込めて神棚や仏壇の正月準備をした。そうして迎えた元朝は、ご来光の写真撮影に震えた手でお灯明をともし掌を合わせたら、ふと頭に浮かんできたのが、冒頭の「祈り」であった。 252字の葉書随筆にまとめて書き残した。

世の中にはもっと大きな祈りを捧げて、人間の良心を呼び覚ましたいことは山ほどある。が、今自分に出来る小さな祈りではあっても捧げたいと思った次第。

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「手紙」

2022年11月29日 | 趣味・・エッセイ

                 

思いもよらぬ人から嬉しい便りを頂いた。こんなことは久しくなかったので、ちょっとハイな気分を隠せない。

今月19日に、岩国が生んだ作家宇野千代さんの生家で行われた「もみじ茶会」に行った。そこでの感想をローカル紙の読者投稿欄に投稿したところ運良く掲載された。そのことに関して投稿したローカル紙の元記者の方からお手紙を頂いた。全く思いも掛けない出来事に、こんなこともあるのかと静かに喜んでいる。その内容はおおむね次のような内容であった。

『・・・前略。実は私は50年近く前(記者になって3年目の岩国支局在籍の頃)に宇野千代さんに一度だけインタビューしたことがあり、〇〇さんの投稿を読んでいるうちに、当時の鮮烈な記憶がよみがえってきたのです。インタビューの模様は2018年、広島ペンクラブの会誌「ペン」に書きましたので、拙い文章でお恥ずかしいのですが、そのコピーを同封します。
宇野さんは実に細やかな心配りをされる方で、私にとりましては生涯忘れられない思い出となりました。そのような記憶も踏まえて、私もまたいつか𡧃野さんの生家を再びゆっくり訪れてみたいと思っています。そして〇〇さんがお書きになられたように、心静かにひと時を過ごしたいと考えているところです。・・・」後略

『宇野千代さん』と題したコピー文章には、千代さんのあっけらかんとした性格の裏側にある、母性を秘めた繊細な優しさが、見事な筆致で綴られていて、改めて「故郷の文豪」を誇りに思ったという次第。

去りにし往時を回想されたその名文をここに貼り付けたいのは山々なれど、あまりにも僭越過ぎるし、本人のご意志も確認していないので控えさせて頂くが、ここで思うのは『世の中の縁は異なもの味なもの』。有り難いご縁を頂いたものである。感謝!!

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「失せもん!」

2022年04月15日 | 趣味・・エッセイ

              

断捨離とは数年前から言われ始めており、「モノを持ち過ぎない」「要らないモノを処分する」といった意味から、「身辺整理をすることで、自分のこれまでのライフスタイルを見直すきっかけにする」など、色々言われている。
そして、断捨離が上手な人ヘタな人に大別されるようで、ただ欲深いとか、モノへの愛着の濃淡だけでは図りかねる色んな要素が含まれている。と思う。

かく言う小生は、断捨離という点では全くヘタである。ヘタと一言で言うのか、モノに対する愛着が深いというか、何かの理由を関連付けたり、思い出に結び付けたりして結局断捨離しきれず、身の回りに置いておく。終いには「こんなモノ要るの?」とか「何年も触ってないモノはもう無くなったモノと同じよ!」などと同居人になじられることしばしば。実はおっしゃることが大いに当を得ていて、反省はするのだ。反省はするがなかなか断捨離実行とまでは行かず、ホンの少量を「これだけは思い切って処分しよう」などと言ってはみるのだが、実効はあまり上がっていない。

こんな様子はモノばかりに限らない。あれこれ思いついたエッセイもどきの小文やキャッチフレーズなども保存の対象である。自分の中でお気に入りの書きかけエッセイなどは大切にしまってある。ところが、リスがエサを貯め込んでどこかに隠す。隠した場所を忘れて改めて探し回る行為と同じで、外付けハードディスクだったか、USBか、それともPCのDドライバーだったか、わけ分からなくなって探しても探しても見つからないときは、釣り人の言うように「逃がした魚は大きい」で、あの文章はどこにでも使えるいい文章だったのに。あのフレーズはいつかどこかで使おうと大事にしまっておいたのに。などと、未練タラタラ探し回る。

時間と労力をかけた分、見つかったときの嬉しさと安堵感は天にも昇る心地する。逆に何回試しても、いくら探し回っても出てこないときの焦燥感。打ったはずのメールが相手に届いていなくて消えてしまったとき、前と同じ文章を考えるときの空しさとエネルギーの要ること。一度や二度は経験されているご同輩も多いことだと思う。

実は昨日から、そんな失せもんの捜索に時間をかけすぎて、一回分のブログが飛んでしまったといお粗末。でも今日やっと、古い書きかけのお気に入りエッセイもどきが見つかった。よかった。逃がした魚はあまり大きくなかったが、兎に角しまっておいたモノが見つかった喜びは、他人には理解出来ないね~。やはり断捨離はほどほどに、かな。

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