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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「歌手 八代亜紀」

2024年01月10日 | つれづれ噺

               

額に汗して働いた私たちを、色んな形で癒してくれたネオン街。そんな場所には必ずと言っていいほど、歌手八代亜紀のあの独特な歌声が流れていた。テレビ映えするパフォーマンスと何となく愛嬌のある人柄、そんなものが見えるような気にさせられて応援したくなる歌手の一人であった。もちろん好みがあるからこれは私個人の話である。

しかも彼女とは、超一流の売れっ子時代に思いもよらぬ偶然で、至近距離といってもいいほどとても身近に感じさせる出来事があった。これもこちらが宝物のように大切に覚えているだけで、彼女の頭の片隅にも記憶のかけらも残ってはいない話ではある。世の中には演歌歌手と言う名の素敵な女性は星の数ほどいるが、そんな中でもたった一人だけ特別に近しく感じている。

お隣広島県にある、習字の筆からお化粧に使う柔らかい刷毛まで、ありとあらゆる筆を作る「熊野筆の里工房」がある。何年前だったか筆の里工房に遊びに行こうと思い立って、何の下調べもなく何も考えずにふら~っと出かけた。筆の作り方などを見る前に先ず目を引いたのが素敵な風景画であった。「歌手八代亜紀作品」と書かれていた。ふ~ん、彼女は画家とは聞いていたがこんな絵を描くのか、ぐらいの感想だった。

そこへ中国新聞の記者が表れていきなり「間もなく八代亜紀さんご本人が自身の絵を見に来られるので、このまま自然な形で一緒に絵を見てください」とエキストラを頼まれた。まさしく彼女が腰を曲げてのぞき込む傍でカミさんと二人で、それとなく絵を見てはいるが心臓はバックンバックン。それに続く彼女のトークショーと抽選会では、これも偶然で彼女お好みの頬紅刷毛が当たって彼女と握手して刷毛をもらって帰るという偶然が重なった。そんな印象深いご縁もあって少なからず応援していた八代亜紀さん。73才の生涯は速いよねー。

第一線を走り続ける歌手と言う仕事。中傷や蔭口の山を乗り越え、自分の地位を守るのは並の精神力ではないのだろう。華やかなイメージのままで永遠の眠りにつくのはいいねー。惜しいが仕方ない。安らかな眠りを祈りたい。 合掌

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「やはり今年も・・・」

2023年12月29日 | つれづれ噺

     
    今年の証券取引所 大納会。鐘を打つのは栗山WBC優勝監督            今年1年の日経平均株価

今夜あたり、この1年の日経平均株価の推移に乗っかって大笑いしている人も多いのに違いない。
今年の取引を終えて大納会を迎えた東京証券取引所、お終いの合図の鐘を打ち鳴らすのは、今年の人栗山WBC前監督で日本チームをワールドチャンピオンに導いた人。躍進のイメージにぴったしというところか。イメージ通りに年初に比べると半年後には一気に跳ね上がった感がある株価。

業界や投資家の話では、十二支干支の卯年はまさにウサギの如くピョンと飛び上がるように株価も上昇することがあるという。え~そんなバカな・・・などと呑気に笑っているとこの上昇機運に乗れないのだ。そんな哀れなチビッ子投資家がここにもいる。やっぱりだめか~~と嘆くのがお似合い。
今年1年の日経平均株価のチャートを見れば確かにそんなジンクスめいたはなしも現実味を帯びてくる。

ヘタな鉄砲数も撃ちゃ当たるというが、下手な鉄砲の割に数打つほどの弾がないとなれば、結果はおのずと外ればかりになる。
こういったものは、お金持ちのところに流れ込むように仕組まれているのかも。そうでない者には流れ込まないように出来ている。学習が必要なのだ。
何事も、努力も学習もしないで笑えるわけがないということ。ならばやめるか、そうもいかないところにこの道の面白さとスリルがある。塩漬けになったヤツはあきらめが肝心、その分を取り返そうなどと考えるとさらに傷は大きくなる。

これも一つのボケ防止グッズだと思う手もある。何を何時何の目的で買ったのかなどというシナリオが書ける間はまあいい。書けなくなったらお終い。それまでホンの少々、誰にも迷惑かけないようパソコンの前に座るだけで静かに遊ぶ。たま~~~に喜ばせることもあるのよ。ウマやボートに似たワクワク感はある。やはり今年も卯年のピョンに乗り損ねた。静かに年越しそばをいただこう、そして来年の天にも昇るかもしれない辰年に期待して。

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「何を伝えるか・・・」

2023年12月18日 | つれづれ噺

                    
                           書き始めた年賀状

かつては200枚も出していた年賀状。虚礼以外の何物でもないものが多く含まれていた。そういったぜい肉と言うか虚礼の部分が取れて来て、今年などは130枚にまで減った。年を重ねたゆえにそぎ落とされたぜい肉もある。早い話が年を重ねて少し横着にもなって、野暮な虚礼など止めようという落ち着きが出て来たこともある。年賀状を交わしていた同級生が随分減っていったことも理由である。

何十年と書いて来た年賀状を、いまさら何を書くか悩むのもおかしいが、今年の場合少し気持ちは重くなっている部分がある。
割といい加減に、目上の人、同僚、部下、世話になった人ならなかった人、仕方ない出しておこう無難だから・・・いろんな書き方出し方を体験して来た。どれも大きな外れはなかった。大きなあたりもなかった。可もなし不可もなしか。

今年の場合実は、可愛い可愛い甥っ子が、といってもとっくに定年退職を迎えた66歳。悠々自適の生活でこれからは趣味の絵を描いたり、読みたい本もいっぱいあると言っていた。そんな彼が、脚に出来たがん細胞の上体部への侵入を防ぐためとはいえ、片方の脚を大腿部から切断するという、我が身内今年最大の悲劇に遭遇してしまった。

母親が彼のためにと、我が家のすぐ近くに数年前に建てた故郷の家に、都会から帰って一人で生活しているときに発病した。最終的には住いのある都会に帰ってからの大手術となった。元気でこちらにいた時分には何度も顔を合わせた。でも都会に帰ってからはあまり話もできないまま手術になった。術後にはまだ本人との言葉を交わせていない。不憫で話す言葉が見つからない。

そんな彼に思い切って、新たな年に向かう意気込みのような、励ましのような賀状にしたいと考えているところである。まさに何をどう書くか、あふれるこちらの思いをどう伝えるか、何を伝えるのか、それが問題である。これまでの多くの年賀状でも、やはりこの人には何を伝えたいか。その一点だけは外さないよう心掛けてきたと思う。

このたびの甥っ子君に、叔父さんとしてどんな言葉を贈るのか。今年の130枚を代表して余りある重い年賀状。じっくり考えたい。

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「12月14日」

2023年12月14日 | つれづれ噺

                     

12月14日と言えばやっぱり忠臣蔵でしょう・・・などとあまり大きな声で云うのが憚られる時代となった。
朝刊のテレビ番組に目を通してガッカリ。12月14日、赤穂浪士の討ち入り記念日と言うのに、赤穂浪士や内蔵助に関連する番組など一切なし。
民放もNHKも、もうそんな懐旧番組に時間もお金もかけない世の中なんよ、と言わんばかり。いつ頃からこんなペースになって来たんじゃろう。

そんな、討ち入りとか敵討ち、機を窺うための辛抱など、現代人とは無関係な話なんじゃろうね~。などと思いつつテレビのチャンネルをいじくっていたら、やはりBSの某チャンネルで2004年に放映された、松平健さんの大石内蔵助をやっていましたよ。やっぱり誰かが覚えてくれていたのか~と少しだけ安心した。こんな繰り言を述べるアタシも、やっぱり古い人間なんでしょうかね~。その通り!!ってか?

かれこれ30年前の話になって申し訳ないけど、東京本社へ転勤したときの土日の休日は、お上りさんにとってそれはそれは大切な時間でしたね~。
歌にうたわれた場所はもちろん、歴史や小説などで聞き覚えのある場所を、自分で道順を調べ上げて間違いなく到着するように。胸躍る日々を過ごした。そんな中でも、有楽町で逢いましょうは、本社ビルが有楽町駅のすぐそばだったのでここばかりは毎日飽きるほど眺めた。わざわざ足を運んだのは、高校の修学旅行でも訪れたこのあるあの赤穂の浪士四十七士が眠る、高輪泉岳寺だった。当時はまだ日がな一日線香の煙が絶えないと言われていたが、まさしくその通りだった。

今ではそんな時代じゃないよ。主君の仇討? 主君って誰のこと? 本懐を遂げたら切腹? 漫画の世界でも理解されるまでに時間がかかりそう。
と言うことで、今年も残すところ2週間余り。寒暖の差に気を付けて風邪など引かんように、健やかに正月を迎えましょうや、ご同輩。

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「小さな親切にご用心!」

2023年12月10日 | つれづれ噺

                      

つい先日のこと。「近くで工事をしますので、通行のお邪魔になるかもしれません。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」と、職人さん風のお兄さんが我が家にやってきた。「どこのお宅の工事?」「ついそこのところ」。我が家から離れていて交通には全く関係ないので「よく分かりました、わざわざご丁寧に」と、ここまでは何の不信もないよくある話。ただ、何で関係ない我が家にまでやって来たのかな?不思議に感じるものはあった。

そしたら、帰りかけたお兄さんが「〇〇さん、お宅の棟瓦の止め金が古くなってヤバイ状態ですよ」とのたまう。すでにスマホで撮った寄棟の瓦の写真を見せて、ほらこの通り、あそこですよ、指をさして「早めに修理しないと台風などで棟瓦が落ちますよ」と穏やかでない話をする。「エッ!どうすりゃいいの?」「私が一度屋根に上がって検査をして見積もりをしましょう。検査料は5000円でいいですよ」と来た。そっか~5000円なら・・・とその場ではそう思った。

待てよ今年の春、外壁塗装工事をしたばかり。その時の職人さんは屋根の近くを存分に点検したはず、その時は不具合など何の話もなかったことを思い出した。ひょっとしたら5000円どころでは済まない、飛んでもない工事代を吹っ掛けられる危険性を察知した。
その昔、床下のシロアリ点検をしましょうという甘言に乗って「シロアリ駆除」の名目で大金を請求された話を思い出した。

床下も住人には見えない。二階の棟瓦の損傷も住人には見えない。しかも、話の持ちかけ方と言い、頼みもしないのに素早くスマホで写真まで撮るやり方。なんかしらうさん臭い。何人かの知人に話をしたところみんなやめた方がいいという口ぶり。屋根が本当に不安なら屋根の本職に相談するべき。となって、屋根の点検する話は事前にキャンセルし、5000円の支払いもせずに済んだ。降ってわいた災難みたいなものだ。小さな親切も中味を見極めましょうよご同輩。

こんな話は世の中に溢れていますね~。油断、いい顔、甘い言葉、気を付けましょう。それでなくても出費多端な師走半ば、気を付けましょう。

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「兄と妹」

2023年11月30日 | つれづれ噺

                    

クイズのようなスタートになってしまいましたが、決してそんな意地悪ブログではありません。単純に、久しぶりに妹夫婦宅を訪れて感じたあれこれを書き残して忘備録にしようという魂胆が見え見えのブログですよ。

元々姉弟は全部で6人いて、両親を含めて家族8人が、まぁるいちゃぶ台を囲んでささやかな夕餉を楽しむ数年があった。遠い遠い過去の話である。
それが今では、両親はもちろん、姉兄4人もそれぞれの彼岸に往った。残ったのは、予想通りというか世の習いとでもいおうか、最も遅く生まれた妹とその次に遅く生まれた私の二人が残っている。その二人も間もなく82才と76才というお年頃である。

遺されたたった二人でさえ、クルマで1時間余りの距離なのに、この頃ではクルマの運転が少し億劫になった妹夫婦の活動半径の狭まりや、兄貴も、何の理由もないのにわざわざ時間を作って訪問する努力が欠如していて、互いの夫婦が実際に顔を合わせてしゃべる機会が段々減って来ていた。
今日は思い切って訪ねてみた。

私より3才下の妹婿殿の老化に驚いた。もちろん病に侵された結果ではあるが、それにしても精彩に欠けるな~。お酒は欠かせないことは知っているので手土産の焼酎ボトルを手渡すとにニンマリ。妹と二人の会話は弾むが、久しぶりの私たちとの会話には言葉少なではある。もともと穏やかな性格で声を荒げることなど一切なく生きて来た彼。一つでも二つでも趣味の巾を広げていけるといいね。
妹は、おふくろのDNAを引いたのか、元気そのもの。あまり気にしない大ざっぱ加減が元気の源といった感じ。あの旦那にこの女房あってこそほどよいバランスが取れていると見た。

一人の人間も夫婦も、それぞれに持って生まれた天性と、結ばれあった赤い糸の絆がある。人生の綾もある。互いの存在に気を配ることはあっても、深く干渉するなどはご法度。これからはもっと交流を深めたいが、JRでの交流が主力となるなど、年齢と言う障害もあるね~。

さて、兄妹は英語で「sibling」というのだそうだ。ついでに、兄弟はbrother 姉妹はsister 色々ですね~。

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「勤労感謝の日」

2023年11月23日 | つれづれ噺

                  
                  2023.11.23 勤労感謝の日、下界を見下ろす朝の雲

11月23日「勤労感謝の日」。若かったころは「お父さん、いつもお仕事ご苦労さま」とか言われる日という時代もあった。
「お仕事ご苦労さま」なんて言われるかたわら、働けど働けど我が暮らし楽にならざりじっと手を見る そんな心境でもあった、が、精一杯働いた。
今じゃ働かないサンデー毎日。ご苦労さまなんて言ってもらえるわけもない日々である。

それどころか、薬飲めど点滴すれど我が病楽にならざりそれとなく空を眺める。ア~ア・・・。長引く帯状疱疹後遺症に悩まされる朝、窓を開け放ったとたんに目に入った初冬の雲の流れ。そっか~、初冬と言うよりも晩秋と言う方が似合う、暖かい勤労感謝の日の朝の雲はこんな表情なのか。思わずパチリ。秋のうろこ雲が冬に向かうためにエネルギーを蓄えたかのように成長して力強さを感じさせた。

そしてすぐに起きるのではなくて、白内障の疑いがあって眼科医から処方された点眼液を毎朝1滴左目に落として1分間軽く押さえる。そんな安静時間を経てやっとこさ布団をはねのける。予定はあるが急ぐこともなし、ゆっくりの朝飯・ゆっくり新聞の活字を追う。

この頃では、勤労で生活を支えるための感謝ではなく、この年でも、ボランティアと言う名の勤労をさせて頂けることに感謝する日でもある。
「勤労感謝の日」も年齢によってさまざまに変化するんだね~。

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「きょう国際男性デー」

2023年11月19日 | つれづれ噺

「男らしさ」の呪縛苦しく という大見出しで、きょうは国際男性デーとの新聞記事に目が留まった。
正直なところ ふ~~んそんな国際デーがあるん? なんのため?、何をどう意識させようという意図なの? 先ずはクエスチョンマークが並ぶ。それほどに、現代社会において男性デーなどと性別を意識させる必要が今もあるの?ついでにいうなら国際女性デーというのがあるのもおかしいよねーと思う。

男も女も人間同士。宗教の戒律によって男女差別をしなければならない社会や地域に向けては必要かもしれないが、今や世界中が男・女の境をなど考えないのが当たり前。この大切な思想自体が否定されてしまうのではないの? そんな危惧さえ感じる。
「管理職の女性が男性より数が少ない」「地方議員の女性登用率が男性に比べて低い」などと言うネタを新聞記事にすれば人目を惹きやすく、話題にもなり為政者や行政の怠慢だと非難する。本当にそうなのだろうか、それで何かが解決するのだろうか。疑問である。

神様はこの世に男と女、アダムとイヴを誕生させた。それは男と女によって子を為し子孫を反映させるのが目的ではなかったのか。そこには当然男と女の間には違いがあって当然。その最たるものが「子どもを設けられるのは助成の特権、男には出来ない」「但し女だけでは子供は設けられない、そこには男の存在が要る」。この原理原則を踏まえた上で物事を判断しないと、人間社会はやがて消滅するのではないかと、大きなお世話かもしれないが心配する。

「男らしさ」ってなに? 「女らしさ」ってなに? いまはどっちもどっちも死語じゃないの??求める側もナンセンス。
小難しいことはよー分らんのですが、男も女も周囲の人と共存している心遣いを忘れず、自らの一生を懸命に生きることに専念すれば、大きな間違いはないような気がするのだが。

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「偶然とは・・・」

2023年11月10日 | つれづれ噺

                      
                       しぐれに打たれる、アジサイの一輪

立冬も過ぎ本格的な寒さを前に、ことしも年賀状に変わる喪中はがきが届く季節になった。
「エッ、あの人がもう亡くなったの?」とか、「やっぱりね~、今年あたりは危ないと思ってたよな~」などと、寝耳に水の意外性とある程度予測が立っていた場合などさまざまである。

早速に届いた喪中はがきの一枚に目が留まった。ビックリしたな~も~ の驚きである。
このたび、錦帯橋の思い出エッセイを書いて少し気持ちよくさせてもらった直後にこんな葉書が届くかね~と言う話である。
思い出エッセイの最大のテーマに掲げたのが、旅行会社から見る錦帯橋の扱いは、観光地と言うよりトイレ休憩くらいの扱いでしかないという鬱憤をぶつけたものでもある。

そんな主題の背景にあるのが、年を取ってからの単身赴任である私を、借り上げマンションの談話室に呼び出し、ヘボ将棋の相手をしてくれたり、ホームシックになりそうな私に故郷の話を思いっきりさせてくれたり、何かとお世話になった管理人さんに対して、観光旅行で岩国に立ち寄られたチャンスを捕まえて少しでも恩返しをしたいという夢を無残にも打ち砕かれた。その肝心の管理人さんが86才で永眠したとの訃報である。それも1か月と少し前というからまさに、エッセイの選考真っ最中と重なる。世の中って、ときにこうした奇怪な因縁を醸し出すこともある。

そんな奇怪への対応として、管理人ご婦人に丁重なお悔やみと少しの思い出話、そしてお線香を送らせて頂くこと了承してもらった。
老少不定、吾や先人や先。やがて往く道ではあるが、年々確実に減っていく年賀状の枚数に初冬の肌寒さを感じている。

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「ひさしぶりの洗車」

2023年11月02日 | つれづれ噺

                  

11月に入ってもまだ残る今年の暑さ、25度を超える夏日の今日。ヒリヒリピリピリの肋骨の痛さをこらえながら、新車購入以来2度目の完全洗車をこの手で施した。従来のアクセラやワゴンRなどはガソリンスタンドにあるコイン洗車に任せっきり。ワックス掛けさえも滅多にこの手でやって来なかった。いくらなんでも、つい先ごろ半年無料点検を受けたばかりの愛車に自動洗車機はないでしょう。カーキチの倅なんかには笑われそう。

それにしても、今年は雨がほとんど降らないので、洗車という点ではほとんど汚れがないうえに、さすが新車だけに少しの汚れはさら~っと流せる。今は確かに新車だからきれいだし、乗る方も汚さないよう気を付けている。だからきれいなのは当たり前。でもきれいを保つってことは易しくない。何事も保つ、保持する、キープするのは容易ではない。どんな上手・名人と呼ばれる人でもいつかは後進に道を譲るか、同僚に追い越されたりする。

さて今日の洗車、何度「せんしゃ」と入力しても出てくる最初の漢字は全て「戦車」である。
これもここ数週間の世界情勢を反映してこんな物騒な変換がされるのだろう。今の時期「せんしゃ」と入力する場合、洗車するなど呑気な話は通用せずに、来る日も来る日もテレビ画面に映し出される砂ぼこりを蹴立てる映像に感化されたということか。

海洋に囲まれたわが国は、差し当って戦車の敵襲はないのかもしれないが、その逆に北から南からミサイルが飛んできては、対応しかねる。
いつまでもクルマを洗っていられる洗車の話ならのんびりでいいが、こと戦車の話になってはそれどころじゃなくなる。単なる絵空事に終わってくれるといいが、今のような侵略者の胸三寸なんて時代は終わりにしないといけない。国連さん、もっと強力なカードをキープしてよ。

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