学校生活は多人数で過ごすことが基本です。
子ども達のキモチは多様で、起伏に富んでいるため、トラブルをよく起こします。
しかし、これは当たり前ですから、私なんかは、ぜーんぜん気にならないのです。
よく、その裏に親の顔を思い浮かべて対応しようとする先生がいますが、私はそんなに気を遣わない方です。
(というか、気が回らないのかもしれないが・・・自爆だなぁ。)
危険回避が目的の場合はさておいて、普通に過ごしている中でのトラブルは、当事者同士を付け合わせての事実確認から解きほぐしていきます。
時に、男の子の方が直情的な行動に移りやすいせいか、その行為の説明に際して、
「男だろ!」
と、性急かつ一方的な価値観で確認をせまる先生(女性である場合が多いと思う)に出くわしますが、「そうではないだろう」と思っています。
あまり、他の児童の前で見せられない状況だなと感じます。(特に女子の前では)
また、時に、話が収束し、次回からの注意事項を確認した段階で、
「仲直りの握手!」
と、終結の形をせまる先生がいるが、これも私は「そうではないだろう」と感じます。
(別に「形の指導」を否定はしませんが。この場合は先生の自己満足である場合もあるということです。)
私は子ども達によく話すのですが、
「人間関係上のトラブルは、それぞれの想いがみんな違うから起こるのです。だから起こるのは当たり前なのです。だからこそ、そうなったら、お互いだけでなく、周りの子も、ちゃんと相手を受け止めてあげてほしいのです。」
そして、
「自分の周りに100人いたら100人、同じように仲良くすることはできません。仲の良い人、悪い人、遊ぶのによい人、勉強する時の相手としてよい人、助けてあげなくてはいけない人、なかなか話せない人、いろいろなんです。」
こう確認して、結論。
「だから、友達と仲良くする努力はとても大切ですが、その前に、どんな人とも上手につき合えるようにして欲しいのです。そこが人付き合いの第一歩だと思います。自分で付き合いの輪を狭くしてはうまくいかない事が多いのです。」
そう説明しています。
「だから、喧嘩したときは、その瞬間、誤れなくてもいい。握手なんかしなくていい。だけど、絶対人付き合いをお互いあきらめちゃダメなんです。少しずつでも前向きに、うまくつき合う方法、話し合う方法を考えなくてはダメなんです。」
私は、人付き合い(人間関係作り)に関してそうまとめています。
最終的には、先生が間に介在して何かをする(してあげる)ではなく、自分達でいろいろ解決するためのスキルにまで到達してほしいのという願いもあります。
また、その前段階として、私のスタンスを説明することにもつながることで、私との対話づくりのきっかけにもなりますし、学級内でトラブルを解決する時、当事者間の対話を基調として、他の子ども達もそこに介在してよいという雰囲気もつくれます。
そして、「仲良くする」という交渉な理想への腐心に悩むのでなく、様々な状況でどう対応していくのかを考えさせるきっかけにもなると思うのです。
トラブルで人間関係を割り切るのでなく、トラブルを割り切ることで、人間関係の次のステップへ進むということです。
1年生くらいには、話自体が難しいかもしれませんが、2年生ぐらいでも、根気づよく話し続けていくと、1年ぐらい暮らせば、ずいぶん自分達の自制心を発揮したり、ちゃんと相手の話を聞いてあげたり、おかしいことについて意見をいったりすることができるようになります。
私の学級経営の根幹に、この人間関係作りの基本指導はあります。
もちろん、それ以前に、幼児教育段階で、謝り方、許し方などの基本ができていての話ですが・・・。
(幼児教育段階は大事だなと常々感じます)
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子ども達のキモチは多様で、起伏に富んでいるため、トラブルをよく起こします。
しかし、これは当たり前ですから、私なんかは、ぜーんぜん気にならないのです。
よく、その裏に親の顔を思い浮かべて対応しようとする先生がいますが、私はそんなに気を遣わない方です。
(というか、気が回らないのかもしれないが・・・自爆だなぁ。)
危険回避が目的の場合はさておいて、普通に過ごしている中でのトラブルは、当事者同士を付け合わせての事実確認から解きほぐしていきます。
時に、男の子の方が直情的な行動に移りやすいせいか、その行為の説明に際して、
「男だろ!」
と、性急かつ一方的な価値観で確認をせまる先生(女性である場合が多いと思う)に出くわしますが、「そうではないだろう」と思っています。
あまり、他の児童の前で見せられない状況だなと感じます。(特に女子の前では)
また、時に、話が収束し、次回からの注意事項を確認した段階で、
「仲直りの握手!」
と、終結の形をせまる先生がいるが、これも私は「そうではないだろう」と感じます。
(別に「形の指導」を否定はしませんが。この場合は先生の自己満足である場合もあるということです。)
私は子ども達によく話すのですが、
「人間関係上のトラブルは、それぞれの想いがみんな違うから起こるのです。だから起こるのは当たり前なのです。だからこそ、そうなったら、お互いだけでなく、周りの子も、ちゃんと相手を受け止めてあげてほしいのです。」
そして、
「自分の周りに100人いたら100人、同じように仲良くすることはできません。仲の良い人、悪い人、遊ぶのによい人、勉強する時の相手としてよい人、助けてあげなくてはいけない人、なかなか話せない人、いろいろなんです。」
こう確認して、結論。
「だから、友達と仲良くする努力はとても大切ですが、その前に、どんな人とも上手につき合えるようにして欲しいのです。そこが人付き合いの第一歩だと思います。自分で付き合いの輪を狭くしてはうまくいかない事が多いのです。」
そう説明しています。
「だから、喧嘩したときは、その瞬間、誤れなくてもいい。握手なんかしなくていい。だけど、絶対人付き合いをお互いあきらめちゃダメなんです。少しずつでも前向きに、うまくつき合う方法、話し合う方法を考えなくてはダメなんです。」
私は、人付き合い(人間関係作り)に関してそうまとめています。
最終的には、先生が間に介在して何かをする(してあげる)ではなく、自分達でいろいろ解決するためのスキルにまで到達してほしいのという願いもあります。
また、その前段階として、私のスタンスを説明することにもつながることで、私との対話づくりのきっかけにもなりますし、学級内でトラブルを解決する時、当事者間の対話を基調として、他の子ども達もそこに介在してよいという雰囲気もつくれます。
そして、「仲良くする」という交渉な理想への腐心に悩むのでなく、様々な状況でどう対応していくのかを考えさせるきっかけにもなると思うのです。
トラブルで人間関係を割り切るのでなく、トラブルを割り切ることで、人間関係の次のステップへ進むということです。
1年生くらいには、話自体が難しいかもしれませんが、2年生ぐらいでも、根気づよく話し続けていくと、1年ぐらい暮らせば、ずいぶん自分達の自制心を発揮したり、ちゃんと相手の話を聞いてあげたり、おかしいことについて意見をいったりすることができるようになります。
私の学級経営の根幹に、この人間関係作りの基本指導はあります。
もちろん、それ以前に、幼児教育段階で、謝り方、許し方などの基本ができていての話ですが・・・。
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