怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

人間関係づくりの基本(かな?)

2006-02-11 09:42:45 | 教育
学校生活は多人数で過ごすことが基本です。
子ども達のキモチは多様で、起伏に富んでいるため、トラブルをよく起こします。
しかし、これは当たり前ですから、私なんかは、ぜーんぜん気にならないのです。

よく、その裏に親の顔を思い浮かべて対応しようとする先生がいますが、私はそんなに気を遣わない方です。
(というか、気が回らないのかもしれないが・・・自爆だなぁ。)


危険回避が目的の場合はさておいて、普通に過ごしている中でのトラブルは、当事者同士を付け合わせての事実確認から解きほぐしていきます。

時に、男の子の方が直情的な行動に移りやすいせいか、その行為の説明に際して、
「男だろ!」
と、性急かつ一方的な価値観で確認をせまる先生(女性である場合が多いと思う)に出くわしますが、「そうではないだろう」と思っています。
あまり、他の児童の前で見せられない状況だなと感じます。(特に女子の前では)

また、時に、話が収束し、次回からの注意事項を確認した段階で、
「仲直りの握手!」
と、終結の形をせまる先生がいるが、これも私は「そうではないだろう」と感じます。
(別に「形の指導」を否定はしませんが。この場合は先生の自己満足である場合もあるということです。)


私は子ども達によく話すのですが、
「人間関係上のトラブルは、それぞれの想いがみんな違うから起こるのです。だから起こるのは当たり前なのです。だからこそ、そうなったら、お互いだけでなく、周りの子も、ちゃんと相手を受け止めてあげてほしいのです。」
そして、
「自分の周りに100人いたら100人、同じように仲良くすることはできません。仲の良い人、悪い人、遊ぶのによい人、勉強する時の相手としてよい人、助けてあげなくてはいけない人、なかなか話せない人、いろいろなんです。」
こう確認して、結論。
「だから、友達と仲良くする努力はとても大切ですが、その前に、どんな人とも上手につき合えるようにして欲しいのです。そこが人付き合いの第一歩だと思います。自分で付き合いの輪を狭くしてはうまくいかない事が多いのです。」
そう説明しています。
「だから、喧嘩したときは、その瞬間、誤れなくてもいい。握手なんかしなくていい。だけど、絶対人付き合いをお互いあきらめちゃダメなんです。少しずつでも前向きに、うまくつき合う方法、話し合う方法を考えなくてはダメなんです。」
私は、人付き合い(人間関係作り)に関してそうまとめています。

最終的には、先生が間に介在して何かをする(してあげる)ではなく、自分達でいろいろ解決するためのスキルにまで到達してほしいのという願いもあります。
また、その前段階として、私のスタンスを説明することにもつながることで、私との対話づくりのきっかけにもなりますし、学級内でトラブルを解決する時、当事者間の対話を基調として、他の子ども達もそこに介在してよいという雰囲気もつくれます。
そして、「仲良くする」という交渉な理想への腐心に悩むのでなく、様々な状況でどう対応していくのかを考えさせるきっかけにもなると思うのです。
トラブルで人間関係を割り切るのでなく、トラブルを割り切ることで、人間関係の次のステップへ進むということです。

1年生くらいには、話自体が難しいかもしれませんが、2年生ぐらいでも、根気づよく話し続けていくと、1年ぐらい暮らせば、ずいぶん自分達の自制心を発揮したり、ちゃんと相手の話を聞いてあげたり、おかしいことについて意見をいったりすることができるようになります。
私の学級経営の根幹に、この人間関係作りの基本指導はあります。

もちろん、それ以前に、幼児教育段階で、謝り方、許し方などの基本ができていての話ですが・・・。
(幼児教育段階は大事だなと常々感じます)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
BBSの方にコメントしました。 (こが)
2006-02-13 20:22:33
こがです。BBSの方にコメントしました。

ただ、この記事から受けたインパクトがあまりに強烈過ぎて感情先行の拙文になってしまったかもしれませんが、どうかご容赦のほどお願い致します。(何しろ、私にとってはそれほど強烈な内容だったもので…。)
返信する
お褒めいただきこわいくらいです。 (yo)
2006-02-13 22:17:26
ヒジョーに恐縮して読んでしまいました。

この文は「そのまま私の学級経営の礎であります。」とは誇れますが、こればっかりは中々まわりから同調してもらうことがないもので、自問自答の毎日です。

ただ、子どもは素直で、ちゃんと受け止めて育ってくれるので、それなりに自信をもって書いたつもりです。



二つ、長々と書きます。

一つは努力点。難しいのは、学年単位、学校単位の生活指導へ生きにくいこと。クラス替えや担任替があると、とたんドライな生活指導にもどり、そこに慣れてしまう子、逆に息苦しくなってしまう子が出るので、もっと私の力をつけて、それこそ私の担任した子どもならば、どんな状況でも確信を持って過ごせるようになるよう、いっそう努力をしなければならないこと。

私の前任校では、私の最後にもった3年生が、4年生で担任がかわり、ガタガタになってしまったと聞き、心が痛みました。繰り返さない力をつけたいです。

一つは姿勢。これは「引く指導」なのだと思います(「受け止める」という方がいいのかもしれませんが)。これは根気と目線を落としたユーモアとウィット、そして数々の場の設定(時には教科・教科外との合体)が必要なので、人によっては嫌になってしまうことだと思います。でも、厳しい現場ほど、「押す指導」は通らないし、やってはいけないと思っています。

最後に、この指導の基本は、前任校の苦労ときっかけを作ってくれた子どもたちの笑顔から獲得したものです。私の宝です。そして、私が尊敬する教諭の実践がベースにあります。私も、もっと力をつけて、そういった先生のような、人の足場の一つになりたいものだと思います。
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