怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

立場をかえりゃあいいのかな?(「教育」の先行き)その1

2006-02-18 05:44:47 | 教育
「教育」について、今まで言ってきたように、私は、マスコミも、中教審や文科省も現状認識に関して立場を超えた自由な解釈をしているとは思えません。
特に、文科省はおかしな教育施策を降ろし、責任を現場に丸なげし、総括なく猫の目のように切り替えてくる点は国家犯罪的な行為を繰り返しているのだと思っています。
また、財政的な苦慮は一定理解できるのですが、単なる政治的な予算分捕り合戦であったり、必要財源減らしの口実だったり、もっといえば、自分の懐勘定だったりする点は理解できないし、そこに関わる(のらくらした)政治家達は許し難いと思っています。

では現場に問題はないのか?と問われれば、常に刷新の心がけが必要なくらいにはないわけはないです。
が、それを揚げ足とる議論はここではレベルが異なり無効です。
少なくとも、心がけがあっても、現場に有効な研究、研修の場を与えない、金は出さない、人も出さない、けれど有用無用の管理だけは厳しくする、では立ち行かないことは明白です。
叩いても埃もでない教師面なのです。

よく、上意下達の教育施策を「読み違えていないか?」「消化不良なのか?」などと言われることがありますが、そういう発言を聞く度に、「わかってないな」と思うのです。
現場側は常に「読み違え」もしていないし、「消化不良」でもないのです。
おかしな文章をそのまま読み、食えないものを消化していると言っているのです。
それが気持ち悪いと言っているのです。

例えば、
おかしいおかしいと思いながら「支援」教育をしてみれば、今や「支援」なんて強調する指導主事はいない。
「T.Tがいい」といわれれば、やってみて、「いや、あれはうまくいかなかったんでしょう。」などと言われて小人数習熟度別。
週3時間相当もの「総合的な学習の時間」づくりに苦労すれば、「いや、今度から英語に切り替える部分があるので、カットね。」とくる。
(どう逆さに読んでも、こっちが読み違えているのではなく、施策を降ろす側が無責任なだけでしょう?)

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