怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

「ゆとり」から「言葉の力」?

2006-02-10 07:03:56 | 教育
学習指導要領、「言葉の力」柱に 全面改訂へ文科省原案(asahi.com.2/9)

すでに読んだ人も多いと思う記事。
「?」はどれほどの人が思ったのだろう。

文科省の功罪は、やはり「総括ぬき」の指導要領改訂ではないだろうか。

「ゆとり」の発展的解消が「言葉の力」であるハズがない。
だれがみてもおかしいことをやっているのに、だれもとめようとしない。
これが文部行政の実態だろう。

さて、「言葉の力」だが、国語の「話す・聞く」を中心の研究を行ってきたからこそ私は言いたいが、少なくとも、真の「表現力」としての「言葉」を持たすための教育が試行しやすい環境だったか?という点は否定的なのである。
加えて、発達段階も、教科書的な問題も、その教育工学的な部分も、未完成といえばいい言い方で、とても「思考力」の伴ったよいものとはいえないのが実の所だと思う。

他の教科においても、その論理的思考を生かす段階で、「言葉の力」を!と言ってきそうなのだが、「オイオイ」と突っ込みたくなるほど実態は伴っていない。
先のエントリーの理科「ものづくり」での実践は、まさにそんなところだし、広島大学のK氏推奨の「反証」授業も、きっと成り立たないことが更に浮き彫りになるだろう。

文科省が考えることなんて、実態無視のそんなもんだろうし、ブレーンの底も知れたもんだろう。
また、降って湧いたような施策が降りてくる。
実現されなかった「ゆとり」は地にしみ入るように消えていくのだろう。
前に失敗した、「支援」教育のように。

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