蒸気鉄道日記

5インチゲージ・ライブスチーム活動の日々を書き連ねます。

花の季節に

2010年03月16日 | Weblog
 中央線・東中野の切通し斜面の菜の花が咲きました。もっと前から咲いていたのかもしれませんが、本日気がついたしだいです。紫色の花大根も咲き始めていました。春ですね~。
 この場所で花が咲くとその上の桜の開花も間もなくです。快速電車からは良く見えないのが残念ですが、桜が咲き、その根方の斜面に一面に黄色と紫の花が咲くと、その辺が一気に明るくなった気がします。桜が散っても菜の花はしばらく咲いていますので、これから一ヵ月間ぐらい楽しめます。

 昨年も書いたかもしれませんが、この季節になると世間にはなんとも多くの桜があるものだ、と気づかされます。花後の地味さ加減がうそのようにあっちもこっちも多くの花が咲きます。通勤電車の高架線の上からこれを見るのも一興です。そして、今年も市谷見附、地元K分寺跡、国立駅南口などの桜を見て回ることにしたいと思っています。特に今年は市谷の斜面の桜と201が写りこんだ写真を撮りたいと思っています(運がよければですが)。

 第四日曜には市川クラブのお花見運転会が行なわれます。枝垂れてくる花をよけながら汽車を運転するのは楽しいものです。「花より団子」組もいますので、第二レイアウトの単線運転でもけっこう楽しめます。わたしはB20が修理完了していればB20を、そうでない場合はフォルテで参加するつもりです。いずれにしても雨だけは願い下げにしたいところです。

blogram投票ボタン ←本当は花も団子もなんですが
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦線縮小

2010年03月15日 | Weblog
 本日から19日(金)まで仕事が忙しくなりますので、本ブログは開店休業状態になってしまいます。とはいえ何も書かないというのもさびしいので、身辺の雑事のみご報告して失礼させていただこうかと考えております。

 鉄道関係の話題がありましたらもちろん通常通りに書かせていただきます。

 ということで、よろしくお願いいたします。

blogram投票ボタン ←短縮版ですがご投票を!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月定例運転会

2010年03月14日 | Weblog
 なんとか花粉症を乗り越えて運転会に行ってきました。しかし、薬のせいかぼ~っとしていて煙管ブラシ、エンジンクリーナー、帽子、携帯、財布を忘れ、さんざんでした。妻からは「いったい何を持っていったのよ」と呆れられる始末です。自分でも呆れます。結局機関車と工具箱と石炭しか持っていかなかったのです。しかも石炭バケツをシートベルトで固定するのも忘れ、湾岸線で急ブレーキをかけた(急に割り込んできた車がいたのです)とたん、バケツがリアシート前に落下して石炭はこぼす、洗い油をぶちまけるといったおまけまでついて、朝からすっかり脱力してしまいました。

 さて、運転の方はどうだったのかというと、傍からみれば順調な走行であったと思われます。しかし、運転している当人はヒヤヒヤものの2時間でした。というのも、なぜか圧が出下がってしまい、半周すると3kgあたりまで下がってしまうのです。どうも通風がうまくいっていないようで、ブロワーを開けっぱなして走りました。

 煙管が詰まっていたのかな、と思っています。先月運転した後、例の前からブラシの入らない部分をそのままにしていたからです。火室側からなら掃除ができると思いますが、やってなかったのでした。もう一つは軸動の扱いが良くなかったことがあると思います。なにぶん、よく入る軸動というものに慣れていないので、どうしても過給水になってしまい、いわゆる「水ガマ」状態に陥ってしまったのです。フォルテのような小さなカマはあまり一度に大量の水を送ると冷えて圧が下がってしまうのです。頭では分かっていてもそのように手が動かないのです。バイパス弁をうまく調節して6分ていどのレベルを保って行けるようにしないとすぐに下がってしまうようです。

 石炭については、そういうわけでしたので有煙炭(マンデリと太平洋のブレンド)中心の走行となりました。フォルテは顔のすぐ前に煙突がありますので、できればウェールズを中心に焚きたいのですが、本日はすぐに火勢を上げることができる有煙炭に頼りきりでした。お客さんには煙くて申し訳ない次第でした。やはり昨日の花粉症の後遺症だったのでしょうか。何となく盛り上がりに欠ける走行でした。

 一方、本日は成田からSL保存会の皆さんが14人もみえて熱心に視察されていきました。実物のD51を静態保存しながら、5インチも走らせているということでした。やはり興味の中心は国鉄型のD52、9600、C12といったところであるようでした。

 ところで、帰り道は2時間かかりました。ここのところ数ヵ月ずっと2時間コースです。首都高の渋滞が激しいのが原因です。なんとかならないものでしょうかねぇ。

blogram投票ボタン ←あれやこれやで疲労困憊です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うらめしや~

2010年03月13日 | Weblog
 昨日の上野駅はやはりたくさんの人が押し寄せたようですね。無事にすんで何よりでした。しかし寂しくなりますねぇ。

 それはさておき、本日は明日の運転会の準備をしなければならないのでしたが、午前中から極度の花粉症が発症し、一日中悩まされました。とにかく涙は止まらない眼は痒い、クシャミは連発する、終いには喉が痛くなって風邪のようになるし、到底準備作業などの出来る状態ではありませんでした。

 いまでもまだぐずついています。薬は飲んだのですが、あまりはかばかしくない状態です。従いまして今日のところは何もできなかったことをご報告してお終いとさせていただきます。

 明日の朝は薬を飲んで、マスクをしっかりしてとっとと機関車を積んでしまいましょう。という次第で本日は失礼させていただきます。

blogram投票ボタン ←眼が痒いって辛いのなんの。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3・13ダイヤ改正

2010年03月12日 | Weblog
 JRのダイヤ改正が明日に迫りました。今回の改正で東日本関係では寝台特急『北陸』と座席急行『能登』が廃止されます。また、お隣(西日本)の大糸線のキハ52がいよいよ引退になるそうです。

 わたしは『北陸』には北陸線内で、『能登』には冬場全区間でお世話になったことがあります。尾小屋鉄道などを訪れたおり、学生時代のことでお金がないので北陸線内を夜行で往復したのです。当時はまだ新幹線も東海道山陽筋だけで、長距離列車・夜行列車最後の全盛時代ともいうべきときでした。北陸周遊券で区間一杯をフルに使って夜行列車で往復して夜を明かすのです。普通列車や快速が主でしたが、急行の自由席は乗り放題でしたので、『北陸』にも乗れたのでした。スハ43主体の編成で、明るいニス塗りの車に東京の車掌さんが乗っていて、急に里ごころがついて「このまま乗って帰ろうかな」などと思ったことでした。

 また、『能登』は当時どんなに積雪があっても運転する列車として学生鉄ちゃんの間では有名な存在でした。たぶん線路確保のための運行か、生命線のような存在であったのでしょう。大雪で全面運休に近い状態でもこの『能登』だけは走っていたのでした。積極的なアナウンスがありませんでしたので、車内はガラガラで、車掌さんに「良く走っているのがわかったね」と感心されたのを覚えています。駅でアルバイトをしていたので、運行情報はちゃんと確認していたのです。
 ナハ10系主体の編成でしたが、中には旧客も混ざっていましたのでそちらを選んで乗りました。
 
 どちらの列車もEF58の牽引でした。『北陸』は寝台列車という性格上、客車列車で残りましたが、『能登』は電車列車となり、それも最後のボンネット型電車ということであったようで、「そうだったのか」と改めて思ったことでした。
 いずれにしろこれでまた夜行列車が減ってしまうことになり、寂しい限りです。いずれJR線上からはすべて消えてしまい、新幹線とそれに接続する区間電車ばかりになってしまうのでしょう。

 キハ52はわたしにとって「小海線の旅客列車をC56から奪ったヤツ」という印象が最も強い車両です。いわば「山岳線用のキハ20改」ですから八高線などでもお馴染みの車体だったのですが、ちょっとの差で小海線のレギュラーの客車列車を見られなかった(例の『八ヶ岳高原号』はありましたが)身としてはなんともうらめしい存在でした。

 最後の夜である今夜は上野や糸魚川周辺には撮り鉄の人たちが群がっていることでしょう。事故の無いように願いたいものです。

blogram投票ボタン ←ガンバレ夜行列車!
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いすみ鉄道

2010年03月11日 | Weblog
 千葉の第3セクター・いすみ鉄道(旧国鉄木原線)が費用自己負担の運転士を募集しているというニュースが流れたのは先週のことでしたが、本日の新聞によりますと数人の募集に20人が応募してきたそうです。
 一般から費用自己負担で養成運転士を募集するというのは聞いたことがありません。正社員ではなく、契約社員ということになるようですが、風光明媚ないすみ鉄道で気動車を運転するというのは究極的な鉄道趣味ともいえます。もちろん契約社員とはいいつつ、国から免許を得ての本職ですから遊び半分の気分では務まりません。構内を往復する体験運転とは違い、本線を乗客を乗せて走るのですから責任も重大です。試験も厳しいものがあるでしょう。不合格の場合、自己負担金は返却されないそうですから、そうなると生活に厳しいことになるかもしれません。

 その自己負担が700万円というのがちょっときついですが、一方、それが可能な方からすれば「待ってました!」というところではないでしょうか。
 ちなみに賃金は週二回乗務で10万円ほどといいますから、自己負担費用からすればほんのおしるし程度ということになりますね。したがって、応募できる人はよほど金銭的、時間的に余裕のある方に限られそうです。ということで頭に浮かぶ人物像は定年退職したサラリーマンか余裕のある自営業というあたりですが、年齢の上限が50歳代ということですので、残念ながら定年後では遅いようです。応募者がはたして鉄道側が求めている人材像と一致するかどうかは分かりません。

 さて、ここまできてさらに想像をたくましくすると、「では蒸機ではそういうことはないのか」ということが頭に浮かんできます。
 現在蒸機を走らせている私鉄というと秩父鉄道と真岡鉄道、それに元祖大井川鉄道が頭に浮かびます。秩父はJRの有資格者が乗っているようですから除外して、あとの二社はどうなのでしょう。どちらも若い人材を社内で養成しているようですからあえて契約社員を募集するということもなさそうです。
 一方、英国のような保存鉄道大国では、ボランティアによる運営を行なっている保存鉄道が大半を占めています。大所の鉄道では整備(清掃)から機関士まで数年かけて養成していて、その階梯は日本の旧国鉄などと同じようです。

 今回のいすみ鉄道の例が実績・前例となって拡大していけばいずれ日本でもボランティアによる保存鉄道運営ということも夢ではなくなるかもしれません。

blogram投票ボタン ←着実な一歩から夢は大きく
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月10日

2010年03月10日 | Weblog
 今朝、両親が「今日は3月10日だ」と話しているのを聞いてああ、そうかと思いました。本日は東京大空襲の日だったのです。当時父親は出征中でしたので直接の被害には遭っていません。母親は東京の農村部生まれだったため、こちらも被害はありませんでした。ただ、都心の方角が真っ赤に燃えていて「東京は壊滅した」という話は聞いていたようです。母は実家が立川基地に近いので、空爆自体には何度も遭遇していたようです。また、P51による機銃掃射は本当に怖かったとよく話しています。実家が機銃で撃ち抜かれたあとがその後建て替えるまでそのまま残っていたのでした。

 東京大空襲や広島・長崎の原爆被害などの様子を伝える写真に、ときどき汽車や電車が写っているものがあります。被害から日数がたいして経過していない写真にも写っていて、当時の鉄道人の強靭さに感じ入ります。被害に呆然としていたときに汽車の汽笛が聞こえて力づけられた、というお話を伺ったこともあります。
 また、ある機関士OBの著作で、空襲のさなか避難した高台から、ヤードで貨車の入換をしているのを目撃して驚愕した、という部分がありました。これは貨車に弾薬が積まれていたため、誘爆を避けて火の無い方へ次々に移動させていたそうです。

 戦後65年が経過して、こういう戦争の記憶も時とともにだんだん薄れていくのはある面避けられないものではありますが、たとえば鉄道博物館などに戦時型の機関車などを戦時型のまま展示する、というような保存があっても良いのではないか、とふと思いました。どこかの公園に置かれている戦時型改装の機関車を戦時型に復元(?)するのです。粗末な装備で機銃掃射を恐れながら運転していた年若い機関士や、乗り合わせていた乗客は何を思っていたことでしょう。機銃弾には遭わなくても粗製乱造されたボイラーの爆発で命を落とした乗務員もいたと聞いています。
 また、そんな状況下でも活動を続けていた鉄道模型ファンもいたというのも驚きです。16番の神話時代に車輪のスポークを一本一本切り抜いていた、とTMS旧号で読んだこともありました。その情熱には感嘆するばかりです。今、それをやる必要も技量もないわたしのような者にとって、ただただ畏敬の念を強めるしかありません。

 本日はいつもと変わって神妙なお話になってしまいましたが、東京大空襲65年の日に当たり、一晩で焼き殺された10万人の皆さんに対して現代の東京都民として合掌したい気持ちです。

 blogram投票ボタン ←本日もよろしくお願いいたします。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

線路わきの充実のススメ

2010年03月09日 | Weblog
さて、この写真は何でしょう。レイアウトセクションであることは、見ればお分かりですね。ではどんなところにあるのか、というと、実は行徳レイアウトのクラブハウスに、もう何年も放置されているジオラマです。だれがいつどんなつもりで持ち込んだのか、というと全然わからないのです。

 実はこれは最近流行の食玩といわれるもののようです。お菓子に付録で付いてくるいわばオマケですね。
 ゲージはいちおう9mmらしいのですが、だれも測ったことがないのでわかりません。車両もありません。しかし、こうやって写真にしてみると、なんだかちゃんとしたレイアウトセクションに見えます。夏のローカル線の踏切風景です。

 もちろん写真がアップで撮られているせいもあります。しかし、まぎれもなく鉄道風景に見えるでしょう?それはなぜでしょう。小スケールの鉄道模型を楽しんでおられる方ならすぐに分かることですが、踏切設備や線路わきの柵など、細かい道具立てがそろっているからにほかなりません。
 そして、同じ鉄道模型でありながら、この種の道具立てに最も疎いのがライブスチームの世界ではないでしょうか。
 どうもわたしたちはアウトドアの世界にいるものですから、シーナリー付きの固定レイアウトにいるように思ってしまいがちです。それは一面では合っているのですが、しかし、そのシーナリーは実物の世界のもので、模型ではありません。線路わきの柵も、人の侵入を防ぐための実物です。そして線路以外に鉄道を感じさせるものが無いのが現状なのではないでしょうか。

 英米などライブ先進国の公園レイアウトが鉄道らしい雰囲気を醸し出しているのは、巧みに配置されたストラクチャーやダミーのアクセサリーなのだと思います。
 16番などでは自転車やリヤカー、チリトリやほうきといった物までが配置され、それらしい雰囲気を作っています。それらのパーツが豊富に販売されており、気軽に実感味を出すことができます。 ひるがえってライブスチームの世界ではそういったものは全くと言ってよいほど既製品がありません。もちろん公園などではそれらのモノを配置することに制約があったり、だれかに壊されるというおそれもあるのですが、なんとか走行中だけでもそういったものを配置して見たいと考えています。
 たとえば窓のない小さな倉庫でも作って置いただけで雰囲気が少し変わると思います。

 わたしは機関車作りも好きですが、ストラクチャー作りも好きなので、なんとか一つ二つストラクチャーを作って線路わきに置いてみたいと思っています。

 オモチャのジオラマから話が飛躍してしまいましたが、ライブスチームの世界が機関車だけのものではなく、鉄道全般を楽しむものであってほしいという個人的な考えをちょっと述べてみた次第です。

blogram投票ボタン ←模型大工になろうかしらん。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと先走りですが

2010年03月08日 | Weblog
 今日は寒かったですね。雪でも降りそうな天候でした。
 さて、本日はちょっと先走りすぎていますが、フォルテのドンキーポンプ取り付け位置の検討を行ないました。なにしろ小さな機関車ですから、あまり適当な場所がありません。本当はB20同様のキャブ内に取り付けたいのですが、まったく余地がありません。となると、空いているのはキャブ床下かサイドタンク前端あたりになります。どちらも一長一短で、本当にここしかないのか??といった場所です。フォルテに与えた性格は「東京の西郊にある2フィート軌間の軽便鉄道で働くシンプルな蒸機」というものですから、あまりドンキーのようなものがドンとくっついていると雰囲気が損なわれます。

 まぁそれでもB20のようなスケール機ではありませんから理屈はどうにでも付くのですが。。。ドンキーは本体だけでなく、例のルブリケーターがセットになっていますので、それ相応のスペースを必要とします。それを考慮に入れるとほとんど場所が限られてきます。近いうちに結論を出すことにしてしばらく悩むことにいたします。

 さてさて、B20ですが、いつになったらブレーキの修理ができるのでしょうか。晴れて予定の入っていない休日が丸一日必要です。近々では今月の20~22日のうち20日と22日が空いています(21日はボイラー隊のミーティングです)。このどちらかが晴れてくれれば工作ができます。さらに時間があれば汽笛弁の改善工作にも手が付けられます。

 もし予定どおりにこの連休で工作が完了しましたら、4月3~4日のライブスチームin裾野に展示しようかと考えています。
 ちょっと先走った計画ばかりを並べましたが、春らしくなってくれればわたしの精神状態も良くなって工作がはかどることになります。ぜひ晴れた休日が訪れますように…。

blogram投票ボタン ←春よ来い♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ああ花粉症

2010年03月07日 | Weblog
 本日は久々に何も予定のない日曜日でしたので、フォルテの清掃、運転台車の整備、給油用の潤滑油の補給などを一気に行なう、ことになっていたのですが、雨降りにもかかわらず朝から花粉症の症状が出始めて終日クシャミの連発を招いてしまいました。
 ということで結局工房での作業は出来ませんでした。ほかの花粉症の方はどういう症状か分かりませんが、わたしの場合、一回クシャミをすると10回は連続して出てしまい、その後にジィーンとクシャミの種が残って、ちょっとした刺激でくしゃみを繰り返してしまうのです。こうなると鼻水は止まらないは涙は出るはでまったく普通の社会生活が営めなくなってしまいます。

 本日の状況はまさにそれでして、始末に負えません。こうなると一旦睡眠するしか方法がありません。眠ると不思議に症状が出ずに、クシャミの傷跡(?)も改善されるのです。しかし、職場でこうなると「ちょっとひと眠り」というわけにはいきません。薬が効いてくれるのをひたすら待つしか対応策がないのですね。

本来わたしは秋の花粉症(イネ科の植物アレルギー)だったのですが、最近は春秋二シーズン制に切り替わってしまい、極寒時と猛暑の期間中以外は花粉症なのです。つまり「良い気候」の時分はずっと花粉症と闘っているという不幸な運命にもてあそばれているわけです。なんという悲しい境遇なのでしょう。
 今度の運転会はマスク着用で走らねばなりません。もちろん朝は薬を服用し、点鼻薬と眼薬も持参です。明日から三日間ぐらい雨の日が続くようですから、いくらか落ち着きます。その間に今の状態を少し改善させなければなりません。まことに憂鬱な次第でございます。これをお読みの皆様もさぞ憂鬱であろうと拝察いたします。という次第で本日はこれまでとさせていただきます。

blogram投票ボタン ←涙ポロポロ日曜日

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春風や…

2010年03月06日 | Weblog
 本日は春の行事に参加しまして、終了後に昼間から焼肉で一杯やるという理想的な土曜日をすごしました。終日小雨が降るという、あいにくの天気でしたが、別段気にもならず(酔っ払っていたので)帰宅し、おかるちゃんとゆっくりと昼寝してしまいました。

 したがいまして本日は夜になってからおもむろにフォルテのご機嫌伺いをしただけで業務終了となってしまいました。明日は来週の運転会に向けて走行用の整備を行なっておくこととします。本来であればB20の修理をしなければならないのですが、雨ではしかたありません。そろそろ暖かくなってくる季節で、工房のほうもぼちぼち動きだす予定ですが、この季節は例の花粉が跋扈する季節でもありますので、それを考えると気が重くなります。

 実はすでに春風に乗って花粉が飛んできてあの症状が現れ出しておりまして、鼻がむずむずして、ときおりクシャミを連発しています。
 マスクが離せない季節ですが、気温が高いとこれがけっこう鬱陶しいのでつい省略してつらい目に遭ってしまいます。旋盤で微細な旋削を行なっているときなどは本当に困ります。

 その点、明日は雨ですから助かります。というわけで、今もクシャミを五連発したところなのでした。頭がいつにも増してもうろうとしております。駄話はこれくらいにして明日のために休ませていただきます。うう~。。。

blogram投票ボタン ←@*+×=><!!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お立ち台

2010年03月05日 | Weblog
 EF58のお立ち台(試運転線)を作ろうなどと考えていて、フォルテのお立ち台作りをころりと忘れていました。例のオーディオラックの上に設置しようと思っていたものです。写真はその用地です。どうも架台上でドレン抜きを行なって転がりを見ると安心してしまい、部屋に持ち帰るのを忘れてそのままになっているのでした。
 
 さて、ではどのように作れば良いのか--と考えてはたと当惑してしまいました。
 なぜかというと、16番的製法で良いのかどうか、ということです。なにしろ役者は本当に石炭を焚いて蒸気で走る、いわば本物の蒸気機関車です。その伝でいえば自然素材で本物の土を敷いたりして作らねばならないのかな--と、ふと考えてしまったのです。
 結論から先にいえば16番的製法で正解、ということになるのですが、なんだか妙な気分です。もちろん地面は本物の土ではなく、石膏なり紙粘土なりで製作し、塗装するわけですが、そこに滴るのは本物のオイルであり、水であるわけで、本物の素材(?)でウェザリングされるということですね。。。

 一昨日のブログにも書きましたように、生きている蒸機ですので手で動かせば突然油水を噴き出したりするわけで、そうやって自然に汚れていくのです。。。お立ち台はそれでいいのですが、その周囲の本やら書類やらに汚れが広がらないように十分ケアしなければなりません。難しいところです。

 ロケットではそういう事態にはならないで済んでいますので、心配するほどのことはないのかもしれません。フォルテも基本的には大丈夫、と踏んでいるのですが、洗い油を吹き付けていますから、石油臭く、かつ直接手で触ると大変汚れます。まぁ、部屋にはわたし以外めったに入りませんから心配するほどのことはないのですが、ネコが触る可能性もあります。こればかりは言い聞かせても納得してくれませんので、今のところなすすべがありません。

 いずれにしても、作ってしまえば何とかなるさ、といういつものあまり深く考察しない作風でパタパタと作ってしまうことになると思います。具体化しましたらまたご報告します。

blogram投票ボタン ←こちらもポチポチとお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

201系引退イベント

2010年03月04日 | Weblog
 中央線201系の引退がいよいよ現実のものとなってきたようです。これに合わせてJR東日本ではさまざまな引退記念のイベントを企画しているようです。

 JR東の資料を見ると、中央線はもとより、八高線、青梅線、五日市線、富士急線など、この間201系が足跡を残した線区に、もれなくさよなら列車を走らせるようです。特に中央線関係では東京~高尾間のみならず、山線での運転があるということで、「行ってみようかな」という気にさせられます。
 中でも、初狩駅でスイッチバックを経験するというイベントには心を動かされます。はじめこの企画があると知ったときは「わざわざ篠ノ井線まで行ってスイッチバックするのかな」と思っていました。それが初狩駅の残された設備を使ってスイッチバックをするというので、大いに食指が動いているのです。わたしが中学に進学し、本格的に鉄道趣味に入ったころ初狩・笹子・勝沼のスイッチバックが廃止され、これらの甲府以東のスイッチバックをわたしは経験していないのです。幼児期を別にすると、単線時代にここを通っていませんので、わたしにとってはワンダーランドなのです。こういうことになってくると、わたしの中の乗り鉄の虫が起きだしてくるのです。

 さらにすごいのが廃車回送のスジで松本まで行ってしまう、という企画ですね。ロングシートの通勤電車で4時間以上かけて中央東線を走破する、というのはすごいイベントだと思いませんか??
 どうせなら塩嶺線を通らずに辰野経由で行ってくれるともっと良いのですが、さすがにそこまではやらないようです。
 こうなってくると、もう行かずにはいられないという気になってきますが、そこはなかなか簡単にはいかないようです。はがきによる応募で、抽選になるようです。一応エントリーしてみたいと思いますが、さて、うまくいくでしょうか・・・。


blogram投票ボタン ←こちらはまだまだ続きます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォルテの整備行なう

2010年03月03日 | Weblog
 フォルテのドレン抜きのために新たなオイルを送って架台の上を前後させたところ、いきなり黒い油水が煙突から噴き出して衣服を汚してしまいました。やはり工場は作業服で入らなければいけませんね。やれやれ。。。

 ドレンの方は順調に排出されているようですので、ひと安心です。引き続き加減弁ハンドルの重さを調節しました。ちょっと軽すぎて手ごたえがなくなってきていましたので、パッキン押さえのボルト(VC12)を10mmのスパナで締めこんで軽く抵抗がかかる程度にしました。
 この加減弁ハンドルを新製する材料を確認しました。5×5の軟鋼角棒から削り出して、別途に旋削したハンドルつまみと合体させるつもりです。同じ工法で作ったB20の加減弁ハンドルの写真を掲載します。こちらは角棒が無くて六角棒から削り出しましたのでちょっと形状が良くありません。まぁ、このようなものがフォルテにも付くということです。
 本当はフライスで削りだせば綺麗に出来上がるのでしょうが、これだけのものでも段取りがかなり大げさになりますので、手作業で削っていこうと思います。

 今月の運転会で、フォルテ初の洗い油吹きつけによる清掃を行ないましたが、塗装面などの傷みもなく、錆びていたところもコーティングされたような状態になって、良い感じです。半艶の良く整備された機関車の風合いが生まれています。こうなってくると俄然本物の軽便蒸機らしくなって、見ているだけでもうれしくなります(根が単純なのです)。
 走り装置も異常なく、ちょっと押すだけでスルスルと動いて行きます。この分なら次回の運転会も順調に運客してくれることでしょう。
 さて、汚れた服の洗たくにかかるといたしましょう。

blogram投票ボタン ←こちらもスルスルポチッと

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

非常停車

2010年03月02日 | Weblog
 今朝、わたしの乗っていた中央線電車が、四谷駅を発車の際、非常制動で停まってしまいました。あれ、また事故か--と思いましたが、ドアに荷物が挟まったための停車でした。もともと混雑で5分ほど遅れていたのが、この一件でさらに5分遅れて御茶ノ水に着きました。
 この停車は非常ボタンが押されたためのようでした。先日の高円寺での人命救助の際は、非常ボタンが見当たらなかったので線路に飛び降りて助けた、とのことでした。非常ボタンがどのくらいの数設置されているかわかりませんが、全部の柱に取り付けるのがよろしいのでは、と思いました。

 わたし自身は2度ほど乗っていた電車が人身事故を起こしたことがあります。事故を起こした場合、後方の安全確認と、巻き込まれた当人の捜査が行なわれますが、その際列車は動かせません。当人が存命している場合があるからです。下手に動かすと二度轢きとなってしまう可能性があるからです。
 中央線のように頻繁に人身事故が起きると、つい「迷惑だな」と舌打ちしてしまいますが、現場ではそれどころではないわけで、くれぐれも事故を引き起こす側にならないよう気をつけなければ、と思います(自戒)。

 というわけで、本日は大人しく帰宅しまして、例の紛失した蝶ネジ(OU40)の捜索を行なったのですが、どこにも見当たりません。どうやらうっかりとそこら辺に置いてそのまま忘れてしまったようです。行徳レイアウトのどこかに転がっているのではないかと思います。次回の運転会まで行徳には参りません。見つかるかどうかも分かりませんので、OSさんにお願いして分売していただくことといたしましょう。
 というわけで(こればっかり)なすすべもなくパソコンに向かっているという次第です。
 

blogram投票ボタン ←力が入りませんが、ひとつ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする