昨年発見されたB20初火入れの写真に続いて同日の初走行の写真が発見されました。O川代表が撮ってくれた写真で、なぜかT野氏のところにあったものです。拙著の改訂版が出されるときにぜひ掲載したい写真です。この写真が撮影された数分後、本線へと走り出して100m走っただけで圧力が低下して運転できなくなってしまったのでした。そこからB20の長い改良の工程が始まるのでありました。
写真に写っている自分を見ると、初火入れ・初走行の感動より、早くも不安な近未来を予測したような表情をしているのが印象的ですね。このときから試行錯誤・疑心暗鬼・暗中模索・五里霧中の日々が始まるのですから、いかに能天気なわたくしでも動物的な勘が働いていたものと思われます。機体にはまだ手すり類のディテールがついておりません。まさに半完成の状態なのでした。なにしろ運転台車はもちろん(?)のこと、着火用の薪すら持っておらず、当然石炭もありませんから初日からいきなりクラブの薪と石炭(有煙炭と無煙炭の区別も出来ないのでした)を火室に放り込んでとにかく火を燃やさねば、とそればかり考えていたのを思い出します。にもかかわらず、あっという間に圧力低下--走行不能に陥ってしまったのですから当人としては????の状態でした。
それでも動いてくれたことに大いに気をよくしてウキウキしていたのは以前にも書いたとおりです。
これに比べるとロケットやフォルテは「走って当たり前」といった風情で、どのくらいの水量と投炭量でどのくらい走れるのか、といった性能計測の世界に入っておりましたから、人間いくらかは進歩するものだと妙に感心しております。
それにしてもこの写真が撮影されてから、はや12年、製作開始から18年の年月が経っているのでございます。3歳児だった豚児も大学3年になり、就職の心配をする年齢になってしまいました。
そういうわけで、妙に神妙になってしまいましたが、このころからの願望であったボイラーの自作という課題にようやくたどり着いているところですので、しっかり身につけたいと思います。
←ささ、ご遠慮なさらず。どうぞ。
写真に写っている自分を見ると、初火入れ・初走行の感動より、早くも不安な近未来を予測したような表情をしているのが印象的ですね。このときから試行錯誤・疑心暗鬼・暗中模索・五里霧中の日々が始まるのですから、いかに能天気なわたくしでも動物的な勘が働いていたものと思われます。機体にはまだ手すり類のディテールがついておりません。まさに半完成の状態なのでした。なにしろ運転台車はもちろん(?)のこと、着火用の薪すら持っておらず、当然石炭もありませんから初日からいきなりクラブの薪と石炭(有煙炭と無煙炭の区別も出来ないのでした)を火室に放り込んでとにかく火を燃やさねば、とそればかり考えていたのを思い出します。にもかかわらず、あっという間に圧力低下--走行不能に陥ってしまったのですから当人としては????の状態でした。
それでも動いてくれたことに大いに気をよくしてウキウキしていたのは以前にも書いたとおりです。
これに比べるとロケットやフォルテは「走って当たり前」といった風情で、どのくらいの水量と投炭量でどのくらい走れるのか、といった性能計測の世界に入っておりましたから、人間いくらかは進歩するものだと妙に感心しております。
それにしてもこの写真が撮影されてから、はや12年、製作開始から18年の年月が経っているのでございます。3歳児だった豚児も大学3年になり、就職の心配をする年齢になってしまいました。
そういうわけで、妙に神妙になってしまいましたが、このころからの願望であったボイラーの自作という課題にようやくたどり着いているところですので、しっかり身につけたいと思います。
←ささ、ご遠慮なさらず。どうぞ。