蒸気鉄道日記

5インチゲージ・ライブスチーム活動の日々を書き連ねます。

汽車談義

2009年01月31日 | Weblog
 今日はエアポケットのように工作予定がなく、なにもしませんでした。その代りといってはナンですが、クラブ内の中国仲間と新年会を催しました。
 別に派閥活動するほどのパワーもないのですが、中国体験運転ツアーの首謀者が集まって何かと理屈を作っては飲んでいるのです。今日も、いつもの会場である新宿の中国東北料理の店・DONG SHUN YONGに集まってなんとなく今年やりたいことなどを話し合いました。
  
 今回は新たに拙著を読んでクラブに加入された(!)S水さんご夫妻に加わっていただき、例会以外はいつもこんなことをしているのだ、とご披露申し上げた次第です。
 残念ながら中国では蒸機が全廃状態ですので今までのような個別的要望の詰まったツアーはできなくなっているのですが、鉄法炭鉱鉄道では可能なことや、そもそもなんで中国に体験運転ツアーを組んでいくことになったのか、などをお話ししました。S水さんご自身も北海道の三笠鉄道村での体験運転の経験があるのでいきなり機関車運転の手加減などのコアな話になったりして盛り上がりました。

 S水さんの主力機はOSさんのコッペルで、組み立て説明書を見せていただきました。機関車は小さいのですが説明書は分厚いもので、かなり親切な解説集であると思いました。ただ、組み上げた後のトラブルシューティングに使える部品図があれば機関車への理解がより早く進むだろうな、という話になりました。

 飲みながらの話ですから、当然の成り行きで次第に話題が学生時代の話などに拡散していきましたが(それぞれの学校関係が微妙に近いのです)、非常に楽しい時間を過ごしました。

 というわけで、2009年の活動がようやく始まったことを感じて5時間に及ぶ会合はお開きになりました。
 ネット社会ではオフ会というのがありますが、こういうのも一種のオフ会(オフレール=脱線?)かななどと考えつつ千鳥足で帰ってきたのでした。
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蓋の接着成功

2009年01月30日 | Weblog
 昨日接着した補助水槽の蓋は予定通り本体にしっかりくっついておりました。一応もくろみは成功したことになります。とはいえ所詮(?)接着剤ですから耐衝撃性にはもろいうえに、水との親和性もちょっと心配です。新製したときもかなりガッチリ作ったはずなのが、しばらくするとポロリと剝がれてしまったからです。しかし常時水に浸っているわけでもなく、大気中で空気に晒されている時間がほとんどですから、そもそもの寿命が短いのかなぁ、などといろいろ考えてしまいます。

 もっとも、この接着剤を購入してからすでに数年あまりが経過しているので物自体の劣化ということも考えられます。写真をご覧いただくと本体と蓋の隙間で接着剤が固まってストロボ光に反射しているのが見て取れると思います。固着過程でかなり流れ出していることと思いますが、流動性は5分間しかなく、あとはひたすら固まっていくので、とりあえずの固着は成功したといってよろしいでしょう。あとは蓋を外して流出した部分を新たに補ってやればかなり丈夫になると思います。
 ちょっと心配なのはヨー方向への強い入力があった場合です。これにはちょっと弱いというのが本当のところです。

 この運転台車は、そもそも上下方向の入力には強い作りになっています。真中に人間が乗って運転操作を行なうのですから当然これは最重要の課題です。前後方向にがっちりとしたアングルを通して対処してあります。これは同時に縦横の水平方向へも強い構造でもあります。しかし、線路への追従性のためにヨー方向へは特に補強は行なっていません。このため、車体(妻板と側面アオリ戸)は単に載っているだけですし、水槽自体も置いてあるだけで固定してありません。
 とはいうものの配管部分の剛性のために車体側面と水槽側面の間にウレタン材を差し込んで弾力で動かないようにはしております。ここでヨー方向の入力が起きると接着剤組立の水槽は一気に崩壊してしまう可能性があります。

 ではありますが今回の経験で、単に組物が外れるだけなら容易に直せることが分かりましたので、その時はその時と割り切ることにしました。 
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補助水槽修理が完了

2009年01月29日 | Weblog
 補助水槽の修理が終わってしまいました。しまいました、というのも何だか変ですが、あ、そうかということでパタパタと終わってしまったのでした。

 はじめは蓋と取り付け用のアングルは別々に修正し、新製の時のように、まずアングルを本体にガッチリつけて、そのうえに蓋を一枚ネジ止めするというつもりでいました。しかし、アングルがくねるように曲がってしまっていたため、蓋から外すと修正は容易でないことに気付きました。むしろ蓋に取り付けてあるほうが真っすぐ状態で好都合です。

 ということで蓋の歪みを修正し、その状態で四辺のアングルが真っすぐになっていることを確認、そのまま上からばたんと閉じてしまうことにしたのでした。そして、アングルと本体との接合部分に接着剤を厚めに塗布し、隔壁の肩に設けたアングルの逃げにはめ込んで、めでたく修理が完了したというわけです。写真は今まさに蓋をして四辺に塗布した接着剤が硬化しつつあるところです。大きさの確認のため使い古しの軍手を載せてあります。

 どうも接着剤工作というと、ピッタリとした面に最少限度の接着剤を塗布して貼り合わせるイメージがあったのですが、この接着剤は逆に充填する方向で考えた方がよさそうだと考え方を改めたので一気に完成してしまった、ということなのです。蓋の接着がその考え通りにいっているか否かは明日の朝にでも確認してみましょう。
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本日全面(的)運休

2009年01月28日 | Weblog
 本日は午前中外出、午後ひたすらダラダラで、ここに書くべき仕事は何もしませんでした。あ、ひとつだけありました。補助水槽の控え類の接着状況の確認をしましたが、なかなか頑固で、大気中にはみ出た部分がまだ粘っています。ひょっとするとロックタイトのように接着する相手が見つかるまで乾かずにいるのでしょうか。そうするとちょっと困るのは接着剤自身で隔壁を本体に固定しようと盛った部分(つまり控えのない部分)です。まぁいずれは固まってくれるのでしょうが、それまでに水を入れてしまってよいのかどうか悩んでしまいます。
 
 やろうとして忘れてしまったのが、水槽の蓋を取り付けるアングルがちゃんとくっつくように平面が保たれているかの確認です。ダラダラのおかげで今月中の完成が危なくなってきたのが本日の主要な内容です。

 ところで何でダラダラしていたのかというと、お昼にワインなどというものを飲んでしまったからでした。極めて個人的に(家族内でも)良きことがあったからですが、内容は個人情報に類することなので公表は差し控えさせていただきます。
 それにしても昼酒は効くということをこの年になっても忘れてしまうオロカモノです。しかし、飲んだのは小さなグラスに一杯だけなんですよ(本当に)。何か急激に体力が衰退しているのを感じます。

 そうそう、もうひとつ忘れてました。OSLSCの会員の有効期限の更新を忘れていました。これは明日忘れずに会費を納入しますのでよろしくお願いいたします。
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ドンキーのいない工作室で

2009年01月27日 | Weblog
 昨日入院が決定したドンキーポンプですが、未練たらしくいじくりまわして徒に時間を使ってしまうのもいかがなものかと思い、さっさと降参して分解した部分を組み立ててOSさんに入院させてしまいました。

 それで手も空いたことだし当面の工作として補助水槽の蓋を載せようと思って、一応の点検のつもりで昨日接着した第二隔壁の具合を見たら、なんとまだ乾ききっていないではありませんか!
 そうなると、後に残るのは運転台車の台車(ややこしい)、特にブレーキの再調整ですが、家の用事があれこれあって何だかんだで落ち着かず、結局手がつけられませんでした。
 煙室や煙管の掃除でも、と思ったらこれは運転会で走らせなかったのでほとんどシンダもなく、煙管もきれいにブラッシングをしてありました。
 それでは抜け落ちてしまった煙室扉の取っ手でも作ろうと材料箱を探しましたが、1.8mmの真鍮棒がありません。いつの間にか使い切っていたのです。しかたないから鉄でもいいや、と思ったら鉄もありません。それどころかステンレスもアルミもドリルロッドも銅棒も1.8mmという寸法は一欠けらもないことを発見して驚いたり、後からみればちぐはぐなことばかりで、結果的には二時間ていどしか汽車関係に割けなかったのでした。

 それでもなにかやることがあるだろう、と考えてふと「おお、今日はまだブログを書いていないではないか」ということに気付いて書いているのが今、皆さんが読んでいる本文です。結局、面白くもない他人の一日を無理やり語って聞かせたようで心苦しいのですが、こんな日もあるだろうと思ってご容赦ください。

 明日はどうしようなどと余計な心配も出てきましたが、とりあえずわたしはこれから風呂に入って奄美の黒糖焼酎のぬる湯割りでも飲んでボンヤリと一日を回想することにします。では明天見。

 
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ドンキー修理へ

2009年01月26日 | Weblog
 11日の運転会で結局本線に出られなかった第一原因者であるドンキー君が入院することになりました。一応、写真にあるように分解してみたのですが、蒸気室内が凝結水で一杯で、ピストンを取り付けるナットが錆びていました。
 ピストンを押し引きしてみると、固いながらきちんと上下します。途中で引っかかったりすることもなく動きますので、かえって原因が特定できません。これ以上分解して取り換え用のパーツなどが必要になってくると面倒なので結局OSさんに連絡して、調子をみていただくことにしました。

 ルブリケーターの排水バルブが固く全閉になって水がかなり溜まっていましたので、蒸気室に水を送ってしまっていたのかも知れません。この辺は素人には勘所が分かりません。次回の行徳運転会まで土日を含めて予定が詰まっていて時間が取れないことと、工作室の寒さに耐えられないことなども理由となってOSさん送りなった次第です。

 真北に向かって作られている工作室なのでせめて家庭用の小さなエアコンでもほしいところですが、今は環境整備できるほど特別会計が機能していないことと、一般会計からの支出は固く止められていることなども工作室に向かう足をついつい遠のかせている原因になっています。

 インジェクターについてはOSさんのF坂さんからこちらで試せる注意点(水路の途中でエアが入っていないかどうか)を教えていただきましたので、とりあえず教えていただいた点を工作してみようと思います。
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再び補助水槽に

2009年01月25日 | Weblog
 補助水槽の隔壁に接着した控え類がしっかり固定されたようなので、今日、明日、明後日の三日間で上蓋の取り付け直しまで進めようと思います。天候や温度の関係で若干伸びるかも知れませんが、遅くとも今週中には終わらせたいと考えています。

 製作の際には全部のパーツを一斉に次々接着してつり合いが取れないまま固めてしまったのが敗因で、隔壁から順に壊れてしまったので、今回は慎重に、まず控え類を十分に固着させてから本体へ接着するという時間をかける方法をとりました。写真は第一隔壁を接着したところです(手前)。向こう側の第二隔壁は仮置きの状態です。両者に僅かな幅の差が生じているようですので、修正しながら無理のない状態で組み上げます。

 それにしても、外気とはほぼ完全に遮断されたはずの水槽の中に意外にも大きなゴミが入っていて驚きました。給水ハッチを開けた時に入り込んだのでしょうが…。やはり配管の吸水口にネットを貼っておいて正解でした。

 さてさてドンキーポンプですが、今週中に水槽と併行して取り外しだけはやっておきたいと思います。一番怪しいのはOリングですので、分解すればほぼ原因は特定できると考えています。
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さてと、どうするかな

2009年01月24日 | Weblog
 昨日出身高校の同期会が開かれ、出席してきました。そこで話題になったのは「今年の花見をどうするか」という課題です。花見自体は実行されることは決まっているのです。問題はどのような演出をするか、です。昨年は完全な自家用(?)屋台を持ち込んで「お寿司屋さんごっこ」をやり、TVのニュースでも中継されてしまいました。要件は1.ほかの人に迷惑をかけない2.自己満足で十分--というもので、毎年なにかをやっているのです。

 で、話は突然わたしに振られてきたのです。「鉄研としてなにかやれ」という幹事長殿のご下命をいただくことになってしまいました。簡単なところでは陣取ったスペースに5インチの直線の線路を敷き、厨房(もちろん仮設)からトロッコにツマミや酒を乗せて現場へ運ぶ、というプランです。場所が場所(U公園)ですから人ごみは相当なもので、動力車はSLはもちろんバッテリーカーも危険です。したがって「人車鉄道」になってしまいますが、致し方ないでしょう。それより問題なのは平面があるのかということです。下が凸凹では固定軸のトロッコでは脱線の危険があります。あれこれ考えると結構手数がかかりそうですが、やってみるしかないでしょう。

 もうひとつわたしに振られている話はいつぞやも触れた庭園鉄道の建設です。これはやはり同期のM田君の旧邸(約80坪)にエンドレスレイアウトを作る、というものです。これも現地を見ないとなんとも言えませんが、割と緩やかなカーブが使えそうな敷地のようです。 
 こちらはSLの走行も可能でしょう。そのSLが何になるかはまだ分かりません。

 ただし路盤の構造などは高松方式の本格的手法を使わないともたないでしょう。まぁ建築・土木関係の友人が多いのでそちらの方は何とかしてくれると思います。
 ロケットが常駐機関車になってしまったりして。
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謎の電車開通記念碑

2009年01月23日 | Weblog
 本日はわたしの地元である国分寺市の汽車と電車について語ると致しましょう。鉄道雑誌などでも時々中央線特集などがあって、電化の進捗の経過を紹介しているものがあります。これらによると大正11年11月20日が国分寺電化が成った日とされています。当時の電化はすなわち電車化であり、電気機関車が登場するのはもう少し後のことです。国分寺よりずっと先すなわち中央本線の汽車は始発の飯田町から蒸機牽引で出ていたそうです。

 さて、そのうえで写真をご覧ください。これでは文字が読めないと思いますが、上半分は「電車開通」「札之丘十五年」の二行、下半分は一行で「記念道路碑」となっています。裏には特に何の説明もなく、だた大正11年11月21日と彫られているのみです。

 では何が謎なのかというと、まずこの碑が建っている場所です。普通は記念すべき場所の近くに建っているものですが、この碑は駅から北へ300m近く離れた、それも表通りではなくて、そこから一本入った路地端にひっそりと建っているのです。ちなみに国分寺駅に土地を提供した方の顕彰碑は南口駅前の一等地に建っています。

 しかし、そんなに離れた土地に建っているのは実はわけがあることがすぐに分かりました。その場所こそが「札之丘」という地名だったからです。そういえばわたしが子どものころは「札が丘」というバス停があり(今は本町という名に変わってまだ現役です)、なんでも江戸時代にはそこに高札場があった名残の地名なのだそうです。
  
 したがって「電車開通記念札之丘道路碑」なら分かります。しかし、碑文には電車開通と並んで「札之丘十五年」という意味不明の文字が並んでいるのです。大正11年時点で15年前というと1907年(明治40年)となりますが、そのとき「札之丘」になにか記念すべきことがあったのでしょう。それにしてもその記念すべき時から15年も経って、なぜ鉄道の電化と抱き合わせみたいに碑を建立したのかという謎も残ります。

 その一帯はかつて「本多新田」と呼ばれていたので、ひょっとすると「札之丘」という地名で「独立」を勝ち取った日から15年だったのかな…などと考えてしまいます。

 札之丘の住民が電車開通に喜んで、ついでに地元の「独立記念」の碑も一緒にして建立したのか、逆に電車開通は口実で、それに便乗する形で地元の記念碑を建ててしまったのかな、という気もします。
 いずれにしろ謎は謎を生み興味がまた興味をかきたてます。歴史家でもない一介の住民ですが、機会があったらちょっと調べてみようかと思います。
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初代アコード発見

2009年01月22日 | Weblog
 散歩をしていると普段は目につかないものがいろいろ見えてきて興味深いものがあります。いわゆる路上観察というものですね。

 毎日歩くところがきまっていても、少しずつ変化しているのが分かったりするとうれしくなってきます。今日も新しい発見をしました。先日フィアット500を発見したと思ったら、今度は初代のホンダ・アコードを発見したのです。ちょうどわたしが運転免許を取ったころに発売されたので、良く覚えています。

 排ガス規制(いわゆる53年規制)がひと段落した時期で、それまで新型の発売を控えてきた自動車各メーカーが次々と新型車を発表して、今日の惨憺たる状況とは全く逆の華やかなひと時だったのでした。また、『間違いだらけのクルマ選び』という辛辣な批評を加えた本が出版されたのもこのころでした。
 同じ時期に三菱からギャラン∑という、在来種のギャランの進化系のような車が発売されました。当家ではそちらを買ったのですが、アコードとどっちにしようか最後まで悩んだのをよく覚えています。

 「後ろ髪を引かれる加速感」という表現をした人がいますが、まことに言いえて妙でした。当家のギャラン∑も1tのボディにたった86馬力のエンジンを載っけた、大変非力な車でした。排ガス規制をクリアはしたものの、ぎりぎりセーフというのが正直なところで、今のように300馬力もある車が平気でそこらを走っている世界がやってくるとは夢にも思えない時代でもありました。

 したがってこの時代の中古車(もはや大古車ですが)は今ほとんど残っていないと思われます。むしろそれ以前の規制前のハイパワー車の方が残っているのではないでしょうか。ですから今回発見した初代アコードなどはまことに貴重な現存車といえるわけです。ナンバーから推察して最近になって購入か譲渡かされたようです。おそらく事情をよくご存じの方が乗っておられると思います。当家の∑も10年間走りましたが、情勢が大きく変わっていく中で、やむを得ず友人に譲渡し、2年ほど後に廃車になりました。

 このアコード、写真でお見せできないのが残念ですが、ボディの艶もしっかり残っております。長生きをしてほしいものです。
 
 
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これは便利 マンデリ炭

2009年01月21日 | Weblog
 先日の運転会の報告はドンキーの不調をうったえただけで終わってしまいましたが、肝心の火力を維持した石炭のことをご報告するのを忘れていました。
 いつもはクラブのT平洋炭とウェールズ炭の混合で走っていたのですが、今回はOSさんから購入してそのままになっていたマンデリ炭をT平洋炭に換えて使ってみようと考えていました。

 そこへドンキーの不調で、すっかりマンデリ炭もT平洋炭もどこかへとんでしまい、とにかくD51498にならないように水と火を保ってドンキーのトラブルシューティングに夢中になっていました。

 しかし、後になってよく考えてみると、13時から15時までずっと火勢を落とさず圧力も時々安全弁が噴く程度に抑えながらシューティングしていたのですからなかなかな成績です。どういう具合に保っていたかというと、内火室の低層部にマンデリ炭を敷いて火床とし、真中にウェールズを盛り上げるという方法です。実物でいう埋火(まいか)状態に近かったのではないかと思います。
 すなわちウェールズ炭がじわじわと燃えながら圧力を保持し、周辺のマンデリ炭が火床になってウェールズ炭に燃焼を伝え続けていたのではないかということです。

 こういった場面でT平洋炭は燃えがらがくっつきあって例のクリンカーになってしまうのですが、今回のマンデリ炭にはそういう現象は起こりませんでした。
 一歩も動かない状態ではウェールズ炭だけで埋火できますが、調整のために蒸気を使いつつ埋火状態を維持するのは火付きの悪いウェールズ炭だけでは不可能だったのではないでしょうか。そういった意味で、今回のマンデリ炭は非常に便利な石炭だと感じました。

 今後、走行時にもいろいろ試してみようと思います。ちなみに私は決してOSさんの回し者ではありません(会員ですけど)。
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中だるみ

2009年01月20日 | Weblog
 毎回のことですが、『クラブ通信』を発送し終わるとちょっと気の抜けた状態になります。今日は朝一番で発送した後に散歩をしましたのでちょっと疲れて3時間も昼寝をしてしまいました。その間に昼食をとっているはずなのですが、寝ぼけていてよく覚えていないというアブナイ状態です。
 しかし、そのおかげで目が覚めてオバマ大統領の就任演説が聴けそうです。

 さて、工作の方はどうなったかといえば、補助水槽の隔壁の補強と控えの接着工程は終わりました。あとは接着剤が完全に固化するまで1~2日待てばOKです。というところで、手のきれいな仕事はここまでで、ここから先は油や煤との格闘です。特に下回りは走行後の清掃できれいになっているものの、時間とともにこぼれ落ちたオイルや取りきれなかった煤が固まっていて手はあっという間に真黒になります。

 ということは、つまりこれからはドンキーポンプやインジェクター、灰箱開閉ロッドなど、いずれも油と煤の中で仕事をしている機械たちの健康状態をチェックするのです。にも拘わらず気分が中だるみ状態で、このままではあまり進捗は期待できないところです。こういうときは、特別なオイルを口から給油すればたちどころに治ってしまうのですが、今月の予定は一回しかありません。なにか合理的な言い訳がないものか考慮中です。こういうのを悪事を企むというのでしょうか。善人なおもて往生を遂ぐ。いはんや悪人をや。

 
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電源の話

2009年01月19日 | Weblog
 先週のこと。私のデスク上の電気関係が一斉に停電してしまいました。すなわちブレーカーが落ちたのです。原因は電気ストーブを付けたことでした。
 私のデスクの上にはパソコン・モニター・プリンター・外付けHDD・スピーカー・マウス・USBハブ・スタンド--と8本の電源コードがひしめいているのですが、それはこの部屋に移ってくる前から普通に行なってきたことで、それまで何事もありませんでしたから、今回のようなことは初めてです。

 復帰させるべく配電盤のスイッチをよく見てみると、わたしの部屋のグルーピングが玄関だの和室だのと全部ひとまとめになっているではありませんか。つまり配電の在り方がすでにタコ足状態だったわけです。
 
 考えてみるとわたしの部屋になったのは元応接室で、もともと使用する電気量が少ないのです。玄関も和室もしかり。つまり使用電力の少ないものがひとまとめになっていたわけです。そこへわたしが新入して恒常的に電気を使うようになって、あっさり限界を超えてしまったというわけなのでした。

 幸いなことにエアコンだけが独立して別の専用線からとっていたので、PC関係はそちらに移すことにして、さっそく工事をしてもらいました。結果は順調です。電気ストーブも大丈夫で、足回りの寒さから解放されました。

 おかげで今回はじめて家の中のグルーピングがどうなっているか全体を点検しました。家も建築時から20年も経つと電気の使用パターンが変わるということを改めて実感したしだいです。

 それにしても落ちた時に作業中でなくてなによりでした。
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今日は水槽隔壁のみ

2009年01月18日 | Weblog
 今日の工作は昨日から引き続きの補助水槽の揺動防止隔壁に補強と控え用のアングルを接着することを行なっただけに終わりました。やはり寒さはいかんともしがたく1時間いたら風邪をひきそうな状況です。

 『クラブ通信』の編集もありますので今日明日はデスクに張り付いている状態です。それでも昨日今日の二日で隔壁は出来上がりましたので、あとは上蓋の止めアングルを接着すれば基本的には出来上がりです。そこまで行ったらいったん運客台車を離れてB20の不調の原因であるドンキーポンプの取り外し、分解点検を行ないます。OSさんに入院することも考慮して、これを優先し、機関車のブレーキ回りなどの修正はその後とします。

 ということで本日はおしまいとさせていただきます。
 明日はB20のキャブを下すあたりまで行けば上々の進捗でしょう。
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市川蒸気鉄道クラブ総会

2009年01月17日 | Weblog
 本日は市川蒸気鉄道クラブの総会が開かれました。NPOとして活動を始めてから第三回目の総会となります。第一回が設立総会、一カ月後すぐに第二回総会が開かれましたので、NPOとしての年間活動を総括する最初の総会ということになります。

 はじめにO川代表からあいさつがあり、議長に若手のS水さんを選出、議事日程に則って報告事項、協議事項と議事は真摯かつ熱心な討論とともに順調に進みました。
 また、NPOとして初の一年間の総括では、十分とまではいえないまでも、実質初年度としては定款にうたった活動内容はひとまず順調に推移したのではないかという論議になりました。

 今回は二年に一度のNPOおよびクラブ役員の改選が行なわれる総会ですが、市川市の公園の改修計画への対応など懸案事項がありますので、大幅な交代は行われず、諸般の事情から退任を申し出られていた数人について役員の配置を見直すことで新たな体制を確立しました。

 総会終了後は例年のとおり新年会となり、昨年やり残したこと、今年の製作予定などあちこちでいろいろな話が盛り上がり、今年一年も楽しく活動していくことを確認して終了しました。

 
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