2月22日は「猫の日」だったそうで。「2・2・2」で「ニャン・ニャン・ニャン」ということらしいです。わが家の猫はそんなこと知らないでしょうけど。わたしにとっては2月22日は「篠ノ井線でD51のさよなら列車が走った日」として記憶されています。1970年のことでした。今から45年前のことですね。
・・・と普通に言ってますが、先日大学鉄研の同期たちと飲んでいて、ふと「俺たちが学生のころの40年前といったら戦前だったよなぁ」という話になりました。
わたしが大学に入ったのが1970年代中盤ですから、そこから40年前というと1930年代中ごろ、つまり戦前なんですね。もう歴史の中の世界という認識でした。てことは、今の学生諸君に「篠ノ井線のD51がね」などと言ったら同じように思われるのでしょうか。。。
さて、標題の「カラー化」ですが、これは歴史の中のお話ではありませんで、今日ただいまのことです。わが市川蒸気鉄道クラブの機関紙が、ついにカラーになることになりました。この機関紙はわたしが自宅でDTP編集してパーソナル用のレーザープリンターで印刷しているのですが、これを始めた10数年前は、カラーレーザープリンターは大変高価で、寸法も大きく、かつトナーも長持ちしない、つまりは個人ユースには適していない代物だったので、やむなくモノクロにして、それが今日までず~っと続いていたのでした。
それが今年のクラブ総会で取り上げられ、「もうカラー化しようではないか」となった次第です。その後の理事会でも決定され、話はとんとんと進んで昨日わが家にカラーレーザーがやってきたということなのでした。モノクロに比べると一回り大きく、机の上がいっぱいいっぱいになってしまいますが、試しに2月号を刷り出してみると、やっぱりカラーはきれいだな、とあたりまえの感想を漏らしたのでありました。まるで家にカラーテレビが来た時のような気分になりました。あれはメキシコオリンピックのときだったから47年前・・・あれ、やっぱり歴史上のお話になってしまうのでした。
←古くてどうもすみません。
・・・と普通に言ってますが、先日大学鉄研の同期たちと飲んでいて、ふと「俺たちが学生のころの40年前といったら戦前だったよなぁ」という話になりました。
わたしが大学に入ったのが1970年代中盤ですから、そこから40年前というと1930年代中ごろ、つまり戦前なんですね。もう歴史の中の世界という認識でした。てことは、今の学生諸君に「篠ノ井線のD51がね」などと言ったら同じように思われるのでしょうか。。。
さて、標題の「カラー化」ですが、これは歴史の中のお話ではありませんで、今日ただいまのことです。わが市川蒸気鉄道クラブの機関紙が、ついにカラーになることになりました。この機関紙はわたしが自宅でDTP編集してパーソナル用のレーザープリンターで印刷しているのですが、これを始めた10数年前は、カラーレーザープリンターは大変高価で、寸法も大きく、かつトナーも長持ちしない、つまりは個人ユースには適していない代物だったので、やむなくモノクロにして、それが今日までず~っと続いていたのでした。
それが今年のクラブ総会で取り上げられ、「もうカラー化しようではないか」となった次第です。その後の理事会でも決定され、話はとんとんと進んで昨日わが家にカラーレーザーがやってきたということなのでした。モノクロに比べると一回り大きく、机の上がいっぱいいっぱいになってしまいますが、試しに2月号を刷り出してみると、やっぱりカラーはきれいだな、とあたりまえの感想を漏らしたのでありました。まるで家にカラーテレビが来た時のような気分になりました。あれはメキシコオリンピックのときだったから47年前・・・あれ、やっぱり歴史上のお話になってしまうのでした。
←古くてどうもすみません。