小児科外来は、連日の放射線報道を心配して、いつもより少ない。
でも外来には毎日のように、被災地から避難してきたお子さんがおいでになる。
わたしはつとめて普通とおりに、言葉をかけるようにしているが、
どうしても被災地でのお話を聴くことになる。
今日は数ヶ月前まで県立大野病院に勤務していたというお母さんから話を聞いた。
そのお母さんの、もとの同僚たちから聞いた話だそうだ。
県立大野病院は、例の、産婦人科医が逮捕されたとで全国的に名前が知られた病院だ。
その病院は、大熊町というところにある。
大熊町は、福島第一原発のある町だ。
避難命令が出て、入院患者さんも、職員たちも、急遽避難しなければならない。
地震・津波で、家や身内を失った職員も大勢いたそうだ。
患者さんたちを避難させながら、同時進行で職員たちも避難していく。
被災の免れたひとたちも、自宅に戻る時間さえない。
病院はだんだん人手が足りなくなってくる。
その中で、数名の看護師さんたちが、最後まで残った。
彼女たちは、家も、家族も津波で流され、自分ひとりしか残らなかった、という人たちだった。
わたしたちは、もう待っている人もいないのだから、ここにまだいることができる。
あとの患者さんたちのことは、わたしたちが残ってやるから、
家族やお子さんたちのいる人たちから先に、避難してください。
そう言って、他の同僚たちを先に避難させ、最後まで残ったのだそうだ。
かつての仲間を思いながら話すお母さんの目は、真っ赤だった。
「使命感」と「宗教観」とを一緒にはできないけれど、
わたしはコルベ神父と永井博士の話を思い出していた。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1414/risa-t/st_kolbe.htm
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusato/html/furusato089.htm
ほかの地域にも、消防団や役場の方々の同じような話を耳にする。
救助活動で命を落とした警察官や自衛隊の方々もいる。
原発事故の復旧に当たっている方々も、それぞれの胸の内にあるのは使命感であろう。
いつか、何十年かのちに、歴史の教科書にも記載される方々もいるかもしれない。
映画や小説になるかも知れない。勇気ある美談として。
でも、それがなんだ。
美談がなんだ。
そのひとたちに、家族を帰してくれ。
ささやかな暮らしを、返してくれ。
うつくしい町を、村を、海を、返してくれ。