ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

[恥を知る」ということ

2006年04月30日 | Weblog
今日は日曜日。
午後、用事があって街まで出かけました。
通りを歩いていたら、歩道に設けられた木製のベンチで、
制服姿の高校生の男女が抱きあっていました。
正確には抱きあっていたのではなく、彼女が彼の肩にもたれていたのですが。
でも、だらしなくベンチに座っている姿はどう見ても抱きあってるようにしか見えない。
目のやり場に困って、その前を通り過ぎようと思ったのですが、、、
生来のお節介癖がムクムクと沸き上がり、つい、注意してしまいました。

一応、わたしは自分を名乗りましたが、内心はドキドキでしたよ。
ナイフ持ってたらどうしよう、とかね。(そういう雰囲気の子たちではありませんでしたが)

彼はふてくされた顔で、うぜぇ、とか、しらねぇ、とか言ってました。
彼女の方は、困ったような顔でずっと私の話を聞いていました。

そうだよね。
「二人の時間」に突然、見知らぬオバサンが割り込んできたんだから、不愉快なのは当然。
好きなんだから、からだに触れあっていたい、と思うのも当然。


でもね。ちょっと考えて欲しいの。
どの人にも姓がある。ということは、○○家の一員ということ。
外に出れば、あの家の人、ということになる。
わたしたちが他の地域に行けば、福島の人、ということになる。
外国に行けば、日本人、ということになる。
同じように、学校の制服を着ていれば、その学校の生徒、ということになる。
高校の制服を着ていれば、その高校の看板を背負っていることになるんです。
職業にも言えるよね。
警察官が制服のまま公園で昼寝してたらおかしいでしょう。
わたしが白衣のままでバーゲン会場に行ったら、これまたおかしい。

じゃぁ、制服じゃなくて私服なら何をやってもいいのかというと、そうではない。
やっぱり、T.P.O. ってのが、あるよね。
その時間、その場、その立場によって、立ち居振る舞いは変えなくちゃいけない、と思う。
国や地域によっても違うと思う。
ここは日本なんだから。
肩を抱き寄せるにしても、もっと見た目に爽やかなポーズ、って、あると思う。

キリスト教やイスラム教のように、一神教じゃない私たち日本人は、
「誰が知らなくても、神様が見ている」という心理には、なかなかなれないのね。
その代わり、昔からの文化として培われてきたのが「恥を知る」ということだと思うの。
「自分が、こんなことをしたら、恥ずかしい」
そういう気持ちは、社会のマナーを身に付ける上ではとても大切なことだと思います。
いい例が、電車の中でお化粧をする女の子たち。
あれ、全然かっこよくない。
どんなにキレイに仕上がっても、舞台裏を人さまに見せてるうちは、まだまだですよ。

もちろん、個人の権利は大事なことだけど、いつでもどこでも個人の権利を振りかざすのは、
間違ってるんです。権利を主張するなら、義務を果たさなければいけません。
それが世の中のルールなんじゃないかなぁ。

ついでに言うと、今は小学生低学年から性教育が導入されて、
高校では避妊のことも教えてるらしい。
でもね、100%安全な避妊なんて、実はないんですよ。
「えっち」したら、たとえ避妊してても、万が一の確率で、赤ちゃんができるかもしれない。
赤ちゃんができたら、産むか、中絶するか、の選択しかありません。
たった一回の妊娠中絶の結果、子どもができないからだになってしまうことだってある。
産んだ場合、その先に待っているのは、その子が一人前になるまで責任を持たねばならぬ、
という「親」としての生活なのです。「えっち」する、って、そういうことです。
経済的に自立してなくて、赤ちゃんを育てられる?
望まれずに産まれた子どもがどんな風に育っていくか・・・、
望まずに産んだ若い親達がどんな生活を送るようになるか・・・、
そういう方々を、たくさん見てるから・・・。
若い恋人達には、どうか、そのことも頭に入れて欲しいと、心から願っています。

もっともね、最近では、間違ったことしてるオトナ達もいるから・・・。
今の子ども達の問題は、私たちオトナにも、大いに責任があるんですよね。

・・・という、日頃のモロモロの思いもあって、注意ちゃった訳でした。

仏頂面だった彼も、最後のほうは少しまじめな表情になってた、と感じたのは、
わたしの思い上がりかな。
あの子達、たぶん不愉快なままだったでしょうね。
でも、いいの。
いつか彼・彼女がオトナになって、人の親になった時に、
若い頃に見知らぬオバハンにうっとうしいこと言われたなぁ、
むかついたけど、今ならちょっとはわかる、、、
その程度に、記憶に残ってくれれば・・。

今日の日記は、ちょっと辛口でした。


ピアノ発表会

2006年04月29日 | Weblog
子どものピアノ発表会がありました。
まだ習いたてで、たどたどしく弾いていた小さなお子ちゃま達が、
学年が進むにつれて、それなりに「聴かせる」演奏を披露していく・・・。
今年はどんな演奏するのかな、っていうの、案外楽しみなんですよ。
自分ちの子どもの演奏だけじゃなくてね。
プロの演奏家のリサイタルとはまた違う醍醐味なんですね。

独奏のほかに連弾のコーナーもあるのです。
先生のご意向で、なるべく親も参加して、というもの。
わたしたち親子が選んだ曲は、「パッヘルベルのカノン」。
子どもにとってはこれが最後の発表会なので、心を込めて弾きました。
(あちこちトチッタけどね。^^;)
前回の発表会では、夫も参加しました。

勤務医の頃は忙しくて、幼稚園や学校の行事にはほとんど参加できませんでした。
忙しいのは開業してからも同じで(忙しさの質は違うのですが)、
家族の旅行なんてほとんどできない。
スポ少の試合の応援も行けなかったなぁ。
たま~に、近場の温泉に一泊しても、必ず夫は夜中に呼ばれたしね。

せいぜいが30分ぐらいで帰ってこられる所ぐらいにしか、
家族ではなかなか出かけられない私たちにとって、
「音楽」という習い事を介して、”子どもと一緒に何かをする”、
という時間を持つことができたのは、本当に幸せだったと思います。

参加する場を設けて下さった先生、ありがとうございました。
そして、
本音は、もう親と一緒なんて照れくさくてやだ!っていう年頃なのに、
付きあってくれた子ども達に、心から感謝、です。


頑張らない子育て?

2006年04月21日 | Weblog
最近、「頑張らない子育て」っていう表現を時々目にする。
意味はわかるの。
ひとりで悩まないでね。ひとりで抱え込まないでね。
あなたはそれで十分だよ。
そういうメッセージなんだよね。

でもね、「頑張らずに」できる子育てなんて、ほんとはないと思う。

子どもが赤ちゃんの頃は、睡眠不足とのタタカイ、だったなぁ。

学校に行けば行ったで、宿題の面倒やら、PTАやら、学校の行事やら、
スポ少や、習い事の送り迎えやら、やっぱり忙しい。
子どもどうしの友だち関係もいろいろあるけど、
親どうしの付きあいだって、今はなかなか大変みたいだし。

「お母さん」は、子どもがいくつになっても、心配事や悩み事が尽きない。
それがどんなに小さなことでもね。

でも、日々の生活は待っちゃくれない。

  頑張らなくていいよ、って言われても、
  ワタシが頑張らないで、どうするのさ!?

それよりも、

「頑張ってるね。えらいね。」
「いつも、ありがとう。」

「お母さん」だって人間だから、こう言ってアタマを撫でてもらえるほうが、
ずっと嬉しいんじゃないかなぁ。

お父さんの子育て参加、って、子どもの世話(それも大事だけど)よりも、
お母さんの心のサポートのほうが、もっと大事じゃないかと思う。

じゃあ、お父さんのサポートは?
やっぱり、お母さんからの「ありがとう」かな。

う~ん、子育て、って、奥が深い・・・。



命名

2006年04月07日 | Weblog
産まれたての赤ちゃんには、まだ名前がありません。
お母さんと一緒に退院後、私の外来に健診においでになる時は、
どんな名前になってるのか、実は結構楽しみなんです。

みんな、御両親の気合いが入った名前をつけてもらってますね。
きっと、う~んとアタマを使って、
考えに考えてつけたんだろうなぁ、って思います。

でも、このごろ、ちょっと気になることもある。
「音」・・言葉の「ひびき」だけで、名前を決めちゃってる親御さんが、
最近、増えてるような気がします。
カッコイイ名前は、それはそれでいいんだけど、
日本語の持つ「美しさ」、漢字の「意味」も、大事なんじゃないかなぁ。

名前は、特別なことがないかぎり、一生涯、付きあうものだから。

「音のひびき」が気に入って付けた名前でも、
何か、親の願いが込められた、エピソードがわかるような、
そんな名前だったら、その子は、自分がこの世に産まれてきたことを、
誇りに思って生きていけるような気がします。

「名前負け」っていう言葉もあるけれど、
「文字」の持つイメージ、って、大きいと思う。
もしかしたら、名前の「文字の意味」によって、その後の人格が形成される部分も、
少しはあるのかも、って思うこともあります。
これは、意味のある言葉として漢字を用いる日本(と中国?)だけかもね。
 (あ、韓国はどうなんだろう・・・?)

名無しのゴンベちゃんだった赤ちゃんが、
御両親の期待と願いのこもった名前を付けてもらって、外来においでになる。

この子はどんなオトナになるのかなぁ。
みんなみんな、いい子になってね。幸せになってね。

そう願いながら、診察させていただく。

小児科医になって、良かったなぁ、と思える瞬間です。



緊急帝王切開とアンナ・ガーデン

2006年04月02日 | Weblog
 今日は日曜日。
 水曜日に帝王切開予定の妊婦さんが、陣痛が来てしまったので、
 朝から急遽帝王切開に。幸い夜勤の助産師・看護師が残ってくれて、
 スタッフも万全の体制で、手術は無事終了。
 小児科医のわたしもこういう時は立ちあうのです。
 ちょっと小ぶりながら、なかなかイケメンのボクでした。
 ロビーで待ってたお父さんも、嬉しそうでした。
 
 医療界では絶滅危惧種と言われてるのは産科医で、
 次に絶滅が危惧されてるのが小児科医、なんだそうだです。
(となると、ワタシら夫婦は特別天然記念物かいな?!)
 でもね、元気な赤ちゃんと、赤ちゃんを抱っこする親御さんの
 幸せに満ち足りた笑顔を見ると、
 忙しいことなんてどうでも良くなるのね。
 毎日、いろんなお子さんや親御さんから、
 わたしたちも元気と幸せを分けていただいてるんだなぁ、と、
 しみじみ実感します。

 午後は、ドライブがてらアンナ・ガーデンまで足をのばしました。
 山のふもとの、ちょっとおしゃれなお店がたくさんある場所です。
 喫茶店でハーブティーとケーキをいただきながら窓の外を眺めてたら、
 白いウエディングドレスのお嫁さんが教会から出てきたところでした。
 結婚式のことをゴールインと言うけれど、ほんとはスタートですよね。
 そして、妊娠のゴールは出産だけど、
 ほんとうは、出産って、長い長い子育てのスタートなんですね。

 結婚したからといって、
 必ずしも子どもを持たねばならない訳ではないし、
 夫婦の数だけ、いろんな結婚生活があっていいと思ってます。
 でも、妊娠して、産む選択をしたら、それは、
 ひとりの人間を一人前になるまで育てていく、という、
 「親」としての人生の始まりなんですね。
 長男がわたしのおなかにいたのは約20年前だけど、20年たって、
 ようやくそんな大事なことが少しだけ、わかったような気がします。
 これも、毎日出会うお子さんと親御さんのおかげかな。

 お嫁さんの後ろ姿を見送りながら、こんなことを考えた午後でした。

 

春休み

2006年04月01日 | Weblog
昨年秋からHPを作ろうと思い立ち、ホントは11月末にはできるはず、
が、年の瀬になり、新年を迎え、なんともう、春になってしまった・・・。
今、こどもたちは、春休み真最中!
今日外来においでになった小学生に、
「春休み、なんか楽しいことあった?」
って聞いたら、
「宿題がないのが楽しい!」って、にこにこしてました。(^_^)
いいなぁ、そうだよなぁ。
唯一、宿題がないのが、春休みだもんね。

わたしの場合、いつもいつも、宿題はギリギリ提出。
夏休み終了前は殆ど徹夜状態でしたね。読書感想文とか、自由研究とか。
それは今も変わらず、つい、いろんな仕事を引き受けては、
ギリギリ崖っぷちを歩いている毎日です。
人生の春休み、って、いつだろう?
いや、考えようによっては、笑って暮らせばいつも春休み?