ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

絵本を届けに行ったら・・・

2011年03月26日 | 東日本大震災
午後から、県庁の児童課まで絵本を届けに行った。


うちの子どもたちが小さい頃に読んで聴かせた本、
読ませたいと思って(でもほんとは自分も読みたくて)買った本、
ついつい集まってしまった数々の本は、一部屋分、図書室のようになっていた。
今回の地震でその部屋もめちゃくちゃになり、まだ片付いてない。
散らばった絵本を片付けながら、
これらの絵本を避難しているお子さんたちに寄付したらどうかな・・・、
そう思って地元の大学小児科にもMLを通して提案したら、何人かの先生達も手をあげて下さった。
小さいお子さん向けのはだいぶ集まったようなので、
わたしは小学生のお子さんも読めそうなものも選んだ。

最近の外来には、被災したお子さんじゃないのに、
夜泣きしたり、お母さんや大人にまとわりついたり、
自動車やブロックを並べては「ツナミだぁ~!!」と乱暴に壊してみたり、
やっぱりストレスでしょうか? という相談が増えた。
一日中流れているTVの災害映像、ずっと見せてませんか? と訊くと、
情報がわからないと怖いので、そういえばTVつけっぱなしでした、
というご家庭がほとんど。
(そういえば我が家もそうだった)
子どもは、大人のようにごまかす術を身につけてないから、
怖い思いはそのまま心にダイレクトに植え込まれてしまうことが多い。
災害映像は、なるべく見せない方がいい。

お子さんが起きている間はできるだけラジオなどから情報を聴くなど、
ご家庭でもちょっとの間は工夫なさった方がいいかもですね・・・。
お母さんとのこんな会話も外来で増えてきた。

こういう時こそ、絵本の出番。

県庁前についたら、大きな観光バスが停まっていた。
ナンバーを見たら、なんとなんと、鹿児島だ!

はるばる陸路を来て下さったのだろうか。
バスの中には、支援物資と思われる段ボールの箱がたくさん積み込まれていた。
本当に、こういう時に人の温かさがわかる。

鹿児島県と福島県・・・。
まさか、明治維新のわだかまりにこだわる福島県人はいるまいね。


(携帯で撮った縦長の画像を横にしてアップするのがなぜかうまくいかず、数日間下書きのままでした)

福島原発1号機運転開始の日

2011年03月26日 | 東日本大震災
40年前の今日、3月26日。
この日は奇しくも、福島原発1号機が営業運転開始した日なのだそうだ。
東京電力にとっても、初めての原発の営業運転だったとのこと。

当時の誰もが、40年目の今日、こんな事態を迎えるとは予想だにしなかっただろう。
いや、本当は県民の誰もが、アタマの隅の隅に、心の深い深いところでは、
怖れていたかもしれない。
国と企業側の「安全です」という言葉を、怖れながらも信じるしかなかった。

福島県の貧しさが産んだ悲劇だ。




東京電力のお姉さん

2011年03月26日 | 東日本大震災
昨日の昼過ぎ、登録してないアドレスからの着信があった。
03・・で始まるから、東京からだ。
誰だろう? 東京にいる友だちの誰か? などと考えながら電話に出ると、
「○○さんでしょうか? 東京電力です。」と爽やかなお姉さんの声。
実は大学を卒業した娘の引越が、震災翌日だった。
地震のどさくさで、電気は止めたものの、どうも解約するのを忘れてきたらしい。
電話は、解約の確認だった。

爽やかなお姉さんの声は続く。
「2月の電気料金の領収書をお送りしますので、今のご住所を教えて下さい。」

郵便番号のあとに、福島県・・・ と言いかけると、
電話の向こうで、お姉さんが一瞬、息を呑んだのがわかった。

「あの・・、大丈夫だったでしょうか・・・?」

 ーはい、うちは内陸部なので、津波の被害はあまりありませんでしたが・・。

「そうですか、よかったです・・。本当に、申し訳ございません・・・。」

 ーいえいえ、おたくさまの責任ではございませんから・・・・。
  東電の作業員の方々も一生懸命やって下さっているのは、わかってますから・・。

こうお伝えすると、
 
「ありがとうございます。本当に、申し訳ございません・・・。」

そう言って、電話を切った。

こんな、部署の異なる社員まで、謝っている。
ただの社交儀礼じゃないことは、電話を通していても、その口調でわかった。
そうなんだ、東電が、東電が、とひとくくりに非難するけれど、
東京電力の社員は、いっぱいいる。みんな、肩身が狭かろう。
原発の作業員にも、関連会社の作業員にも、家族がいる。
いってみれば、そのひとたちも、被害者かもしれない。

悪いのは、誰?

わたしたちは、誰にこぶしを振り下ろせばいい?