ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

刻石流水

2019年01月01日 | 日々のつぶやき
刻石流水


刻石流水(こくせきりゅうすい)とは、
「受けた恩義はどんな小さくても心の石に刻み、施したことは水に流す」こと。

人から受けた恩は、その人に返すのみならず、より多くのひとに施すこと。
そして自分が施したことは、その瞬間に忘れる事。

もともとは、仏教経典にあった『懸情流水 受恩刻石』から来ている言葉です。
意味は、「情を懸けしは、水に流し、恩を受けしは、石に刻むべし」というもの。
奥深いですね。

そして、難しい。

新しい年を迎えるたびに、今年はこうありたい、なんてことを思う。


豪雨災害のお見舞い

2018年07月08日 | 日々のつぶやき
このたびの豪雨災害にあわれた地域の方々、
心よりお見舞い申し上げます。




当地での大震災の際に、たびたび励まして下さった中国地方の友人へ

お住まいの地域は大丈夫ですか?
心配しています。
もしこのブログをお読みになっていたら、
内緒でいいのでコメント下さい。


雨奇晴好

2018年01月01日 | 日々のつぶやき
    
   
   

 うきせいこう と読みます

意味は、雨の時も晴れの時も、それぞれに景色がすぐれていること
山水の景色は晴れた日は美しく、雨の日もまた趣があり、どちらも見事であるという意味
人生には山あり谷あり、それはそれで、どちらも意味がありすばらしいものだという考え
雨が降るのもよし、晴れるもよし、そんな、何事にもとらわれない心境のことなのだそうだ。
禅の言葉だそう。

物事は全て多面体だと学生の頃に教わった。
どの角度から見るかによって、同じものでもちがった形に見える。
そのどれもが間違いではない、といった内容だったかな・・・。
その時は ふぅ〜ん ぐらいにしか考えなかったけれど、
この年齢になるとほんとうにそうだなと思う。

雨の日を鬱陶しいと感じ気持ちまで滅入ってしまうのではなく、
プラス思考で捉えれば、雨の日もまた楽し、ということかな。

贅沢じゃなくても、毎日のごはんを美味しくいただけて、たまにお洒落をして、
その日いちにちの暮らしを楽しむ術(すべ)があれば、
きっと人生は心豊かに過ごせるはず。

そう信じて今年も頑張ります。


 おまけ

   初冬の茂庭でくつろぐ猿たち

    今年もよろしくお願いいたします 
                                



秋の気配

2017年09月07日 | 日々のつぶやき
今年の梅雨明けは本当だったのか、
夏はいつからだったのか、
曖昧なまま、
いつのまにかすっかり秋の気配。
河原にはススキの穂や虫の声。
日本に生まれて良かったなと思えるひとときがある。

震災からまもなく6年半、という文言がニュースなどで聞かれる時期になった。

わたしはわたしのするべきことを、出来る範囲で粛々と続けるだけさ。
ぶれずに。これからも。

さてと・・・。
この6年半、胸につかえていたしこりというか心の奥底の澱のようなものが、
ようやく消し去ることができるような出来事が、最近あった。
う〜ん、出来事というのではないかな、わたしには関係ないことだから。
でも、関係あるんだな〜、私にとっては。

なんて書いても、なんのことやら、わからないよね。
いいんです。
詳しいことは書けませんが、
最近、ひまわりの心がかる〜くスッキリすことが、あったの。
それだけ。
やっぱりこれはご報告しておきたくて。

ついでに体重も軽くなるといいんだけど。苦笑。

半年ぶりのブログです。
たまに訪問して下さってるみなさま、
内緒コメント下さった方々も、ありがとうございます。
なかなか更新はできませんが、
これからもぼちぼちお付き合いのほど、
どうぞよろしくお願いいたします。

行雲流水

2017年01月01日 | 日々のつぶやき
「行雲流水」とは
 空を漂う雲や流れる川のようにとどまることなく自然の流れに逆らわず、
 自然体でいること。
 自然の移り変わりにに任せよどみがないこと。



  写真はある秋の日の茂庭・摺上ダム上流
  この湖の底にわたしの暮らしていた家が沈んでいる。



また、新しい年が明けた。

昨年わたしは、何をしてきたたかな。
どう暮らしてきたかな。

この頃とみに、日にちが過ぎるのがあっという間のように感じる。
年齢を重ねるほどに、やらねばならぬことが増え、
それはすでにわたしの許容量をはるかに超えているにもかかわらず、
なにも整理できないまま年を越してしまった。

わたしは小さい頃からちょっと変わった子どもだったと思う。
だから

 人と違っていてはいけない
 みんなとできるだけ仲良くしなければいけない
 みんなからできるだけ嫌われないようにしなければいけない

こう思ってずぅっと生きてきた。
そのおかげでいいこともたくさんあった。
思うように振る舞うことができず失敗することは今もたくさんあるけれど。

リアルひまわりを知るひとたちは、

 えっ? それで努力してるつもり?

って思うだろうとは容易に想像がつくけど(苦笑)、
はい、これでも精一杯なんです。


でも
さすがにもう、いかさか疲れてきたかな。

だから、今年から少しずつ、
できないことはできないと勇気を持って伝えたい。
わたしの時間を、わたし自身を、もっと大切にしたい。

わたしなりに頑張ってきたから、
「おおやけのひまわり」は少しずつフェードアウトしていきたいな。
今年はその初めの年にしたい。
もちろん、わたしにとって大切なこと(仕事も含めて)は続けるけど。




名古屋ぎらい?!

2016年10月25日 | 日々のつぶやき
時々お訪ね下さっている皆さま。
もうすっかり秋〜初等の気配ですね。
ここ福島は、朝晩の冷え込みが くうぅぅ・・・ とからだに凍みます。

でもわたしは、そこそこ元気でした。

なんの脈絡もありませんが・・・、唐突に、久しぶりの投稿です。

   ・・・・・・・・・


ネットサーフィンしてたら
こんなタイトルの記事があったた。

「名古屋嫌い」真相はこれだったか…「本当の田舎ならシャレにならん」叩いても『いじり』で済む立ち位置
https://withnews.jp/article/f0161024001qq000000000000000G00110601qq000014186A

ううむ・・・。
これはどういうことか。
この記事の結論は良い具合にまとめてはいるけど・・・。

わたしが12年とちょっと暮らしていた印象としては、
名古屋(愛知県)の方々って、自分たちの地元に対する静かなプライドは結構あって、
実際、信長。秀吉・家康を輩出した地元、としての誇りは相当高かったように思う。
たしか今も「名古屋まつり」で「三英傑」の行列があるはず・・・。

でも一方では、

 信長は天下めざして名古屋を出てあっけなく殺されたし、
 秀吉は大阪に行ったし、
 家康は江戸に行ったし、
 みんな名古屋を捨てたんだヮ・・・。

・・・という話をかつて名古屋に住んでた頃に地元の友人が言ってたことがあって、
戦国時代の名残がそこここにある土地に、素直に畏敬の念を持っていたわたしは、
その自虐的な考えにとても驚いたことを覚えている。

地元の人の地元への感想と、他の地域の者のその土地への感想とは、
必ずしも一致しないことはあるしね。

そもそもこの調査も東京・大阪・横浜など主要8都市での調査だそうだから、
あまり意味はないのかも。

わたしは名古屋大好きだよ!!

加藤清史郎くん

2016年05月01日 | 日々のつぶやき
「こども店長」が中学生になってあるドラマに出演している。
ドラマの中では、
ピアノが得意で女の子にモテるという設定のようだ。
心の中に何かモヤモヤした思いを抱えているらしく、
音楽室でピアノを弾いている清史郎くんを取り巻く女の子たちに向かって
弾いていたピアノをバーン!!と叩き、
 「出て行け!」
と言った。

その次に
 「わしは、こんなところ、来とうはなかった!!」(注)

という台詞をつい期待してしまったわたし。(冗談です)

パパ役は山本耕史さん。
NHKの朝ドラではあった
 「待たせたな!」
という台詞はさすがにありませんでしたね。


 (注)このセリフは
    清史郎くんが直江兼続の子役で出演した大河ドラマの中でのセリフです。

雲外蒼天

2016年01月01日 | 日々のつぶやき
 「雲外(うんがい)に蒼天(そうてん)あり」

 「雲外」は雲の向こう側。地上からみて雲の上を指す。
 「蒼天」は青空のこと。

 今は雲のなかにいて先が見えないけれど、やがていつかは雲が晴れ青い空が見える。
 困難を乗り越え努力して克服すればよいことが待っているというたとえ。
 絶望してはいけないという激励のことば。
 
 自分も含めて、今生きている全ての方々へ。
 今年も一年つつがなく暮らせますように。

 

ちょっと嬉しいひとこと

2015年10月18日 | 日々のつぶやき
この間の日曜日、たまたま子どもも帰ってきていたので、
すごく久しぶりにみんなで焼き肉屋さんに行った。

そのお店で、時々外来においでになる小さいお子さんとお母さんに会った。
4歳だか5歳の年中さん?と2~3歳のきょうだい。
上のお子さんは、わたしの顔をみて にぃっ と笑ってくれた。
下のお子さんは、時々わたしたちのテーブルを覗きにきて、
そのたびにお母さんに確保されていた。

じゃあ、カゼひいたら、またね、ばいばい。
と行ってお店では別れたのだけれど・・・。

今日、その下のお子さんがほんとに風邪を引いて来院した。

ー案外早くにお会いしてしまいましたね~(笑み)

とわたし。

ーほんとにね~(苦笑)

とお母さん。

ーでも、ちょっと安心しました。

とお母さんがおっしゃったので、

ー???  

と怪訝な表情だったわたしに、お母さんが続けた。

ーセンセイたちも、ご家族でお出かけすることがあるんだな、ってわかって、
 安心しました。いつも忙しそうなので。

あら~。
そんな風に気遣ってくださって、嬉しいです。ありがとう。

心から御礼をお伝えした。

我が家では、家族そろってどこそこへ行こう、というのはなかなかできなくて、
近場の温泉だの外食だのも、計画して出かけられるということがあまりできない。
計画してても土壇場で夫が行けなくなることが多いからだ。場合によってはわたしも。
その上今は子ども達も仕事についているので、
今日は(クリニックに呼び出されるようなことは)何もないぞ、というときに、
たまたま、家族がそろっているということも、まれになってしまった。

だから、家族で焼き肉屋さんは本当に久しぶりだったのだ。
豪華なレストランや料亭に行ったわけじゃないけれど、
家族みんなで食事に行く、って、あと何回できるかな、って時々思う。
こういうことも しあわせ のひとつなんだな、とそのたびに思う。

だから、そのお母さんのひとことは、とても嬉しかった。



遊び心

2015年10月14日 | 日々のつぶやき
先月のコンサートに来て下さった友人からいただいた靴下。

 堅い職業(わたしは全然カタくないけど)のヒトがこういうの履いたら面白いと思って。

とメッセージつきで。
そうそう、わたしも、こういうアソビゴコロが大好き。
で、ハロウィン柄だったので、10月になったら履こうと思っていた。
今日は保育園の健診があったので、赤ちゃんたちの反応もみたくて。



残念ながら子どもたちには気づいてもらえなかったけど、
保育園の先生たちやうちの看護師たちから カワイイ~~
って褒められた。

 (誰 足首太い って言ってるヒト

飯坂けんか祭り

2015年10月03日 | 日々のつぶやき
毎年楽しみにしている行事のひとつに、飯坂のけんか祭りがある。
飯坂の親戚の家に皆で集まって飲めや歌えや・・・、とまでは最近はさすがにいかないけれど、
 (理由はみんなそこそこの年齢だから)
楽しいひとときを過ごさせていただく。

震災のあとはいろいろ外部からも言われることもあった地域の祭り、
健在ですよ。



これから御神輿さまが神社にむかいます。
この御一行の中には天狗さまもいて、親戚の小さな子が昔泣いてたっけ。
御神輿さまは毎年このお宅から出発している。
神主さんのお話しでは、140年も前からなのだそう。



ピンぼけはご愛敬で。
躍動感が出てると思って。





これは上町の屋台。
町内各地区、お宮元の上町、瀧の川・若錦、立綱(たちつな)・横町・梍花(さいはな)、
の6地区がれぞれ屋台を担ぎ、街中を練り歩く。

屋台の中では太鼓を叩いていて、屋台の動作?によって太鼓のリズムやらメロディーが違ってくる。
あ。太鼓のたたき方によって屋台の動きが変わるんだったかな?
この太鼓、れぞれの地区が「おらほ(自分ところ)の太鼓が一番!」って思ってるらしい。

街中を巡ったあと、
最後は八幡神社の境内に勢揃いして屋台どうしでぶつかり合いをするのが、
このお祭りの見せ場だ。
昨年は事情があって屋台どうしのぶつかり合いを控えたのだけれど、
今年は盛大に「ぶつかり合い」をやれたそうだ。


「飯坂温泉オフィシャルサイトのけんか祭り」
 http://www.iizaka.com/event/event01/