ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

嬉しいプレゼント

2010年05月17日 | 医療
赤ちゃんの時から診ている喘息のお子さんがいます。
その子が小さい時にお父さんが亡くなり、お母さんは当地の実家に帰ってきて、
今はおじいちゃんやおばあちゃんも一緒に暮らしています。

小さい頃は本当にからだが弱くて、保育園も月の半分ぐらいしか行けませんでした。
何度も喘息の発作を起こして、点滴も何度もしました。入院もしました。

お母さんは一念発起して少し離れた街の医療専門学校に3年間通い、
理学療法士の資格を取って、今は市内の総合病院に勤務しています。
これだって、たいしたことだとわたしは感心しています。

お母さんが忙しいので、外来通院はもっぱらおじいちゃんとおばあちゃんの役目でした。
この子が小学生になっても、まだ喘息発作のコントロールはあまり良くありませんでした。
時々クスリの飲み忘れや、吸入をさぼったりすると、もうてきめんでした。
そのことで、お母さんはおじいちゃんにもずいぶん叱られたみたいです。
でも、お母さんだって、勉強や資格試験のことで精一杯の時期でした。

あるとき、わたしはおじいちゃんとおばあちゃんにお願いしました。
最終責任は親だけど、どうかここは、おじいちゃん達も親代わりのつもりで、
この子の喘息のおくすりの管理を、あとしばらくの間、お願いいたします。

それからその子は、みるみる良くなりました。
小学校4年生になってから、とにかく何か運動もさせてみよう、休みながらでもいいから、
ということで、ソフトボールのスポ少に入りました。
時々発作はあるものの、彼は頑張って続けました。

そして6年生になりました。
学校の運動会で、なんと、リレーの選手に選ばれたそうなのです。アンカーです。
しかも、白組の応援団長です。

運動会は無事終わり(残念ながら白組は負けたそうですが、応援合戦では勝ったそうです)、
運動会の代休の日、おじいちゃんと外来に報告に来てくれました。
照れくさそうに、お礼です、とケーキを持って。
彼が、自分の貯金から買ってきたのだそうです。

学校だってまともに通えるかどうか心配だったのに、
ソフトもやってリレーの選手にまでなって、
本当にセンセのおかげです、とおじいちゃんがおっしゃいます。
でもそれは、わたしの治療が、ではなく、ご家族みんなが、頑張ったからです。
わたしにお礼なんていいのに、と言いながらも、ありがたくいただきました。
嬉しくて涙が出そうでした。

その子とお母さんとおじいちゃんとおばあちゃんの顔を浮かべ、
これまでのご家族のたどってきた思いをかみしめながらいただいたケーキは、
いままで食べたどのケーキよりも柔らかく優しく甘さが心に沁みました。