ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

春の便り

2013年02月20日 | 日々のつぶやき
毎日寒い日が続くのだけれど、
この間の日曜日はいいお天気だった。
今日も日中は少しだけ陽が差していた。

庭のロウバイが、数日前からおそるおそるといった面持ちで蕾を開きはじめた。

いいの? わたしたち、もう、咲いてもいいの? みたいな・・・。

今日はかなり咲いてきたので、今がチャンスと昼休みに撮った。

  

  


なのに・・・。

なんで午後になって急に天気が変わるんだよぅ

ロウバイも狼狽しているに違いない。

  (お粗末でした・・・)


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2月21日追記)

昨日の午後から天気が崩れ、今朝は一面雪景色。
あ~あ、ホントの春はまだだなぁ・・・。

   
     サムイヨ・・・。

   
     サムイヨ、サムイヨ・・・。

     
     それがなにか?
  

診察室のお友だち・2

2013年02月20日 | 日々のつぶやき
インフルエンザの流行はだいぶ下火になって、比較的穏やかな外来が続いている。
胃腸炎の患者さんも、あまり重症の方はいない。

ただし、インフルエンザが下火になったといっても、それはA型のことで、
例年、B型の流行はまだこれからだ。
油断は禁物というところか。

   ・・・・・・・・・・・・・・・

わたしの外来においでになるお子さんは小さい子が多いので、
診察が終わったら手の甲にご褒美シールを貼ってあげることにしている。
シールのほとんどは、小児科関連のクスリを販売してるメーカーさんからいただき物なんだけど。
それは新幹線や車や動物たちだったり、そのクスリのキャラクターだったり。

もうわかってる子は、診察が終わるやいなや、
手の甲をにゃんこのように突き出して、ちゃんと待ってる。
忙しくて貼り忘れたりすると、催促されることもある。

だいぶ前のことだけど、ある時、幼稚園の子から、
「ボク、二枚持ってるから、センセ、これ、あげる。」
ともらったシールがこれ。
いつもシールもらってるから、そのお返しの気持ちだったみたいだ。

    

流行りの「なめこ」
嬉しかったので、早速診察机のパソコンに貼った。
その時、これは○○なめこ、これは◇◇なめこ、と名前を教えてくれたのだけど、
いかんせん、年のせいか忘れてしまった。


   

これは、開業間もない頃に、当時通院してたお子さんのお母さまが作って下さった日めくり。
お母さまは幼稚園の先生をしていたのだそうだ。
毎日、曜日と日付けを変えられるようにできている。
この赤ちゃん日めくりを壁に飾って、17年が過ぎた。
この赤ちゃんたちも、17歳になってるという訳だ。

この日めくりも、忙しいとつい忘れてることがあって、
今日は○曜日だよ、とか、○日だよ、なんてお子さんから教えてもらったり、
お子さんが自分で直してくれちゃったりしてたのも、懐かしい思い出だ。

昨年末に、ほんとうに久しぶりにそのお母さんとお子さん(もう大きいお兄ちゃんだけど)が来院した。
 「えぇ~っ これ、まだあったんですかぁ~
赤ちゃん日めくりをまだ使ってたことにとても喜んで下さって、
もう何年もたって画用紙の色もぼけてしまってるからと、新しく作って持ってきて下さったのが、
これ↓

    

ウサギさんが持ってるニンジンが、月・日・曜日になってる。
これからはこのウサギさんと一緒に、いつまで続けられるかな。

持ってきて下さったのがたまたま1月17日だったのだけれど、
赤ちゃん日めくりがちょうど17年。
「17」を記憶しておこうと思って、写真に撮って赤ちゃんたちにさよならした。

そしてこの日は阪神大震災が起きた日。

福島だっていつか必ず復興するぞ。




親心

2013年02月16日 | 日々のつぶやき
  這えば立て 立てば歩めの 親心

とは、我が子の成長を願う親の気持ちとしてよく使われる言葉だ。

赤ちゃん健診での相談は、湿疹とかウンチの回数とか小さなアザとか、
実はわたしからみれば、生きていくのになんていうことがないことが多い。
でも、そんな小さなことが気になるのも親ならではの当たり前の感情だ。

ひとつひとつにお答えしながら、
でも、これから先、もっと大きなことで悩んだりすることがあるよ。
・・・と思う。でも、それはまだ言わない。

育てながらじゃないと、実感できないことだと思うから。


結婚したらいずれ子供を授かって、兄弟は何人がいいかな、なんて語り合って、
子供達が幼稚園や学校に行って、就職して、結婚して、孫を授かって・・・。

誰もが思い描く当たり前の営みは、ほんとうはちっとも当たり前じゃなくて、
もしこのとおりの人生を歩むことができたのなら、それはただの幸運に過ぎない。

赤ちゃんを授かることに何年も悩む方々もいる。

辛い出産を経験する方もいる。

五体満足で産まれたと思ったのに、その後病気をしたり、学校に行けなくなったり・・・。

こんなはずではなかったのに、どうして・・・?

予想通り、期待とおりに我が子が成長しないことに、
親は心を痛め、自分を責める。
・・・・育て方がいけなかったのだろうか・・・?

でも、親のこの言葉を聞いた子供は、自分の存在を否定されたように感じてしまう。
だって、今の「僕・わたし」を、お父さんやお母さんは満足していないのでしょう?
でもそれは、親が自分を責め、悩んでいるがゆえの言葉だということは、子供にはわからない。
当たり前だ。親じゃないんだから。
それは、親になってみないとわからないことだから。


先日、ため込んでいた録画番組を整理した。
特に震災関連のものは、記録としてとっておこうと思って録画したのだけれど、
いまだに辛くて、きちんと見ていないものもあったから・・・。

その中に、宮城県で津波被災後のPTSDに取り組んでいる医師のドキュメント番組があった。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を予防・治療するための工夫として、
「あの時に起こったこと」から目をそむけずに、心の中のものを吐き出すことが大切。
そのためにどんなことをしたらいいのか、といった内容だった。
医療・福祉関係の学生さんも参加していた。

番組の最後のほうに、津波で中学生のお子さんを亡くしたお母さんのお話があった。
そのお母さんは公民館の2階に逃げて無事だったのだけれど、
お子さんは学校に逃げる途中で間に合わなかったのだそうだ。
家もなくし、他の御家族もお亡くなりになった。

 お母さんだけ生きていて、ごめんね。そう思ってしまうんです。

笑顔で、でも涙声でこう言いながら、さらにこう続けた。

 でも、あの子は、むこうで友だちも一緒だし、じいちゃんばあちゃんも一緒だし。
 案外寂しくないかもしれません。
 お母さんもいずれそっちに行くけど、まだこっちでやることがあるから。
 それまで待っててね。そう言ってるんです。

聞いていた学生さんたちも泣いていた。



巷では今、受験シーズン。
高校や大学進学で勉強の真っ最中だろう。
進級や卒業で悩む学生さんもいるかな。
まだ就活中の学生さんもいるのかな。

希望とおりになることもあれば、不本意な結果になることもある。
でも、死ぬまで生きていくこれからの何十年という人生を大きくとらえたら、
たかが受験、だ。
仕事がなかなか見つからないのは辛いけれども、生きていればなんとかなる。
思い通りにならなくても、それでキミたちの人格が評価される訳じゃない。

思い通りにならなかった時こそ、これからの日々をどう生きるか、
大事なことはそっちじゃないかな。

我が子が思い通りにならなくても、
それは、お父さんお母さん、あなたが悪いということじゃない。
もちろん、子供のせいでもない。

一生懸命がんばっても、思い通りにならないことはたくさんあって、
だからこそ、ちょっとした出来事にもささやかな幸せを感じられるのだと思う。

体裁とか、世間体とか、気にしだしたらきりがないでしょう?
親も(神様に)試されているのだ、と思う。

我が子が生きていることの幸せ。
これを忘れてはいけないのだと思う。



良性発作性頭位めまい症

2013年02月05日 | 日々のつぶやき
  ↑
 というのに、最近なった。

それは3週間前の水曜日のこと。
朝ふとんの中で目が覚めたら、天井がグルグル回る。
えっっ???
これ、めまい、だよなぁ。
少し、吐き気もある。

もしかして、また突発性難聴?
(以前になったことがある。手当が早かったので幸いにも完治した。)

突発性難聴だったら、今度はやばいなぁ・・・、
そう思いながら、両方の耳元で、指先をこすり合わせて音を聞いてみる。
両耳とも、ちゃんとこすり合う音が聞こえる。左右差もない。

転ばないようにゆっくり起き上がって、少ししたら治った。
外来で聴診器を使っても、困らない。ちゃんと聞こえる。
でも、視点を移す時に、ぐらっとなる。でもすぐに治る。

へんだなぁ。
風邪ひいた訳でもないし。

水曜日は午後休診なのだけれど、用事があって耳鼻科受診はできず。
木曜日はいつも行ってる耳鼻科が休診日。
金曜日も忙しかった。
で、土曜日。
夕方には所属するジャズバンドが頼まれている演奏があって、
わたしのパート(ピアノ)はわたしひとりしかいないので、
どうしても行かなくちゃならない。

午後やってる耳鼻科に行こうかと思っていたのだけれど、
夫も職員たちも、まずは脳外科に行くのが先だと言う。
というのも、約1ヶ月前に、転んでアタマを打っていたのだ。

 話せば(書けば)長いことになるが、
 師走に入って間もない頃に、クリニックのインターネット回線に不具合が生じ、
 業者の方に直してもらっていた。
 その時に床が汚れたのでワックスをかけていことを知らずに、
 粗忽者のわたしはツルツルの床でスッテンコロリンと転んでしまったという訳。
 その時、左手には昼食のハンバーガー、右手には書類を持っていて、
 両手が塞がった状態で横滑りに転んで、左の肋骨を強打した。
  (でもハンバーガーと書類は死守した!)
 しかもその日に限ってスカートをはいていて、転んだ足下には業者のお兄ちゃんが・・・。

  センセ、だいじょぶですか?

 とお兄ちゃんが駆け寄ってくれたのだけれど、
 わたしはスカートでスッテンコロリンが恥ずかしくて、
 すっくと立ち上がり、全然平気で~す! なんてやせ我慢してすたすた歩き、
 人がいないところまで行って、イテテテ・・・・状態だった。
 多分、この時に左の側頭部もコツン、となったのだけれど、
 あまりの肋骨の痛みに、アタマ打ったのは忘れていた。

・・・ということがあったのだ。
自分では、アタマ打ったことによる症状とはちょっと違うなぁ、と思いつつ、
めまいやふらつきをきたす疾患をいろいろ思い起こすと、そういえば小脳の病気もある。
で、脳外科でMRIも撮ってもらったけど、何ともなかった。
わたしが何を心配して受診したかは先生もご承知で、
まずは、小脳部分も問題ないです。とおっしゃって下さった。

センセ、脳みそ縮んでないですか? と冗談ぽくたずねたら、
脳外科の先生曰く、いえ、まだ大丈夫です。
(「まだ」って、どういうことじゃぁ!? とツッコミ入れようかとも思ったけど。笑)

耳鼻科に行く時間はもうなかったので、その日は適当にめまい用のクスリを飲み、
週明けて月曜日に耳鼻科受診。
そしてタイトルの病名を診断されたという訳だった。

耳鼻科の先生曰く、やっぱり12月のアタマコツン、が原因かも、とのこと。
耳の奥には内耳という平行感覚を司る場所があって、
ここの前庭という部分にある「耳石」という小さな石のようなものが、
何らかの原因で、前庭の隣にある三半規管という場所に入り込むと、
今回のようなめまいが起こるらしい。
自然に治ると言われ安心。
http://www.memai-navi.com/chishiki/genin01.htm

そうかぁ!餅は餅屋だなぁ。
後で教科書を開いたら、ちゃんと書いてあった。
習ったことはすでにはるか記憶の彼方だ。いや、覚えてさえいなかったかも。

この病気の場合は、安静にしていてはダメだそうで、
まったくいつもとおりの生活をしてはいたのだけれど、
一点をじいぃっ、と見つめていて、視点を移すとぐらっとなるので、
しばらくはパソコンも最低限のことにしか使わなかった。

もう、すっかり治ったので、こうしてまた書いている。