ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

今日も青い空

2018年03月11日 | 東日本大震災
 

朝から抜けるような青空だった。
庭のサンシュユのつぼみがふくらんできた。
少しずつ、春が近づいてきている。

今日は、祈りの日。

7年目の今日も、テレビやラジオは「特集番組」一色。
毎年これが繰り返されるのだろうなぁ・・・。
忘れないことは大切だけど、
今日もわたしはそれらの番組を観ずにいつも通りに過ごした。

あの日から今まで、
わたしはわたしの立場でできることを粛々とやってきた。
それはこれからも変わらない。

何もなければ出会わなかったであろう方々と出会い、
たくさんの励ましもいただいたことは、
これからもずっと忘れない。

ありがとうございました。



やまなみを越えて

2017年03月11日 | 東日本大震災
今年もこの日が巡ってきた。

特別な日だけど
大げさに特別扱いにはせず
今日もわたしはいつも通り過ごす。
それがいちばんの供養であり復興につながると信じているから。





写真は阿武隈山地と福島盆地。
画像ではわかりにくけれど、
画面中央付近のずっと奥に、天王山(日山)がうっすら見える。
そのふもとは浪江町津島、父のふるさとだ。
このやまなみの向こうには太平洋が広がる。


夫が富岡町に単身赴任していた頃、
子ども達を車に乗せてあの山々の峠道を何度となく往復した。
富岡町には東京電力のエネルギー館というのがあって、
子ども達はそこで遊ぶのを毎回楽しみにしていた。
天神浜のアスレチックにも行ったっけ。
広野町の火力発電所の近くの公園の長い滑り台も大好きだった。
富岡町に行く途中、山木屋にあるグリーン牧場では必ず休憩して、
アイスクリームを食べた。
山木屋牛乳も美味しかったな。


父が生きていた頃、子どもの頃に天王山に登ったことをよく聞かされた。
阿武隈山地では一番高い山だということ。
山頂からは太平洋が見えること。
いつかひまわりも登ってみるといいと言っていた。
でも、わたしは天王山には一度も登らないまま、震災になってしまった。


父は双葉町の旧制中学を出た。
今はいわき市で新しい高校に統合されてしまったが、
父の母校の校歌や応援歌は何度も聞かされ、
卒業生でもないのにわたしもほとんど覚えてしまった。

 (校歌) ♪楢葉標葉(ならは しねは)の いにしえの
       名も遠きかな 大八州(おおやしま)
       その東北(ひがしきた) ここにして
       天のめぐみは みちたれり

 (応援歌)♪東太平洋の潮をあび 西阿武隈の風を受け
       鍛えに鍛えし この腕(かいな)
       振るえ双葉の健男児

わたしの母校じゃないのに、
今この歌を口ずさむと目頭が熱くなる。

父の生家は貧しくて、
祖父母が苦労して兄弟姉妹たちを学校に通わせ一人前にしてくれたという。
当時の双葉地方の貧しさは現代のわたしには想像もつかない。
貧しさから脱却するために、
一家の大黒柱のお父ちゃんが出稼ぎにいかなくてもいいように、
原発を誘致したことを責めることは、わたしにはできない。
時代は少し違うけれど、
わたしが子どもの頃に暮らしていた茂庭の同級生たちにも、
冬になると出稼ぎに出るお父さんがいたから。
後出しじゃんけんなら誰だって勝てる。


どうか
彼の地の人たちに
いつの日か必ず、かつての営みが戻りますように。

ゆりもどし・2

2016年11月24日 | 東日本大震災
おとといは、久しぶりの大きな地震だった。

やっぱり地震は怖いなぁ・・・。



最近、横浜に自主避難したお子さんの手記の記事をあちこちで見かける。
テレビでも新聞でもネットでも。

自主避難だから、避難指示命令での避難とはちょっと違う。

わたしの父の実家は浪江町津島で、父の兄弟姉妹は12人もいるから、
双葉にも浪江にも小高にも富岡にも親戚がたくさんいる。
みんなそれぞれ避難している。

たしかに、避難している人たちにも色々な人がいるのは事実。
いろんな人がいるから、
言われたくないことまで言われてしまう原因を作っている側面があるのも事実。
でも、そういう人たちばかりじゃないのも事実だ。

だからこそ、「福島からの避難者」とひとくくりにはできない。

でもそんなことは関係なく、

いじめることは、どんな理由でもいけない。

たぶんこれは氷山の一角だろうと思う。

釈然としないのは、
まるで鬼の首でも取ったかのように一斉に
学校や行政の責任を糾弾するかのような記事をどのメディアも書いていることだ。

そもそも「福島だから・・」と誹謗中傷を受ける原因の一因となるような、
誤った情報をこれでもかと垂れ流したのはどなたでしたっけ。
そのために無用な偏見を生んだと言っても過言ではないと思う。

今でも耳にする両論併記、
これ、本当に正しいのですか? と言いたい。
正しい情報・理論と、誤った情報・理論(の解釈)を
1対1の割合で呈示することが、本当に正しい報道の在り方なんだろうか?
いや、むしろあの当時は誤った情報9割、
まっとうな情報はほとんど見なかったように思う。

だから、
誤った情報を多くの人たちが信じ込んでしまったがゆえのいじめ、
じゃないの?
これは、周りの大人の責任でしょう?

あの当時
本当にまっとうな情報を記事にして下さったメディアはあっただろうか?
今に至ってもなお、誤った情報のまま突っ走っている週刊誌などがある。
最近はそういう記事を目にしてもばかばかしくて腹も立たなくなっていたけれど、
今回の手記報道に関しては、
久しぶりに当時のあれこれを思い出してむかっ腹が立っている。


ここまで書いてきて、ふと気付いた。

今年の3月に、IAEAのセミナーがあって、
福島県の小児科医としてのリスクコミュニケーションの試み、
というテーマでお話しをさせていただいた。
あ。もちろん日本語です。(同時通訳の方がいらした)

セミナーが終わってから、ある先生から個別に質問をいただいた。

 あなたはどうしてこんなに一生懸命なのですか?

と。

予想外の質問だったので咄嗟にはうまく答えられず、
自分でもよくわかりませんが、使命感、みたいなものでしょうか?
と、苦笑いと照れ笑いを交えて答えたのだけれど、
もちろん、使命感が心の奥底にはあるのは本当だけど、
わたしを今まで突き動かしているのは、

理不尽なことへの、静かな怒りだ。

う〜ん・・・。
活性酸素溜まる一方かも・・・。苦笑。


あさイチ in 東北・福島

2016年07月29日 | 東日本大震災
番組表で気になっていたので録画しておいたNHK「あさイチ」を観た。

土湯温泉の復興・復活への取り組みや、
会津の仮設にいらっしゃる方々の様子などが収録されていた。
そして、福島県の高校生の取り組みもかなりの時間をさいて紹介されていた。
その取り組みとは、
その高校の「放射線班」の活動として、
地元の信夫山の放射線量を測定し、
小さなお子さんを持つ親御さんに健康影響はとても低いことをお伝えしたり、
国際学会でプレゼンテーションをする、etc.
高校生と一緒に南相馬市立病院の坪倉先生も出演されていた。

やるじゃん、福高生!
早野先生のTwitterなどでは活動を知ってはいたけど、
日頃ネットに接していない世代の方々へのアピールにはなったように思う。

キミたちが大人になる頃には、
もっともっと福島がよくなっていって欲しい。

わたしも、気力が続く限りは頑張るから。

ゆりもどし

2016年04月16日 | 東日本大震災
熊本で被災された方々は今、どんな気持ちでいらっしゃるだろう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしたちは名古屋で結婚式を挙げ、
翌日車で1週間の九州一周の新婚旅行に出かけた。
そもそもわたしは結婚式前日まで体調不良でろくに食事も摂れていなかったので、
 (今にして思えば春先のインフルエンザ?)
旅行出発当日にはだいぶ回復はしていたけれど念のため点滴も積んで出かけるという有様。

それでも運転が好きなので、少し体調が回復していたのをいいことに、
当時はまだ交通量の少なかった中国自動車道で運転を交替、
ちょうど岡山県に入った時だった。
あろうことかスピード違反で免停。あああ・・・。
当時の中国自動車道は80キロ制限。
わたしは105キロぐらいで走行していたのだ。
 (なにせ免許を取ったのは名古屋だからねぇ。あ、言い訳にはなりません。)

その上、最初の宿泊先予定の山口県の途中でエンジントラブル。
車はJAFに引かれインター近くのディーラーに一泊。
幸い大きな故障ではなく旅行は続行。

長崎県を除く九州をぐるっと周り、最終は宮崎県からフェリーで大阪に向かったのだけれど、
これが大時化で2人ともひどい船酔いで一睡もできず、
行きも帰りもトラブルに見舞われた旅だった。

 ん? その後のわたしたち夫婦を暗示していたか・・・?

冗談はさておき、
途中の九州ドライブ旅行はとても楽しかった。

今回の地震で寸断された阿蘇の道路は、
きっとわたしたちも通った道だ。
熊本城も見学した。

ふるさとの美しい風景が台無しになり、
ふるさとのシンボルが無残な姿になってしまったことは、
地元の方々でなければわからない憤りがあるだろうなと思う。



今回の地震で、
5年前を思い出した東北の方々も多かったと思う。
5年前に被災した方々の心にゆりもどしが起きませんように。
そして、今回被災された方々の心が折れませんように。
一日も早く復興しますように。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


いつか、今の仕事をリタイヤしたら
また車で九州の同じルートを長崎県も含めてぐるっとのんびり旅行するのが、
夫とわたしの夢です。

記憶のかけら

2016年03月11日 | 東日本大震災





5年前の今日はどんな朝だったか、よく覚えていない

グラグラッときたあの瞬間を境に
「あの日」の前、「あの日」のあと、
そう記憶をたどるクセがついてしまった

5年がたった
悲しみも 悔しさも 喜びも あった

空を見上げて深呼吸してみる
今年はいつもより早く庭の梅が咲いた
人の心がどんなふうでも
季節は変わらずめぐり
朝はかならずやってくる

今日もいちにち、感謝して過ごそう





曙光

2015年03月11日 | 東日本大震災
 
 
朝起きると、青い空がさわやかだった。

今日もわたしは、いつもと変わらずに赤ちゃんや子どもたちを診察した。

数日前から震災の特集がさかんだ。

でもわたしたちの毎日は同じようにくり返し過ぎていく。

 忘れてはいけない。
 風化させるな。

それはその通り。あたたかいお心遣いに感謝いたします。

だけど。

あんまりあんまりそう連呼されると、なんだかせつなくなる。

わたしたちって、そんなにかわいそう?

そうだよ。かわいそうだよ。だって被災したんだもの。

だけど。だけどね。

たとえば、やけどかケガをして、頬にキズが残ったとする。
それは生きていくにはなんの支障もない。
お化粧すれば全然わからないぐらい。
でも、キズは残っている。人が気づかなくても、自分は知っている。

そのキズを、

ああ、これね、あの時の。
ここに残っちゃったのね。これ、消えないのよね。
大変だったのね。お気の毒に。
でも大丈夫。心配しないで。
わたしたちあなたが受けたキズのことを忘れないから。

・・・こんな風に言われているように感じてしまうわたしは、
このわずか4年の間に心がひねくれてしまったのかな。

遠くにいるみなさん、いっそのこと、きれいさっぱり忘れてください。
なにごともなかったようにしていて下さい。
記憶にとどめているのは、わたしたちだけでいいんです。

そう叫んでしまいたくなる時がある。

もちろん、本当に感謝してるんです。本当に。

あと1年で丸5年になる。
5年の区切りには今よりももっといろいろなことが明らかになるだろう。
それまでの辛抱だ。

本当の被災地の方々へのエールと、
亡くなられた方々への追悼をこめて、
今日も静かに過ごそう。


 写真は、ケヤキの枝と青い空。
 両手を空に向かって広げるように伸びるケヤキは、福島県の樹だ。



希望

2013年03月11日 | 東日本大震災
「あの日」がめぐってきた。
3回忌を迎える方々もいらっしゃる。

今年も、静かに祈りたい。

庭の梅のつぼみがふくらんできた。
ろうそくの炎の形に似ている。

こうやって、毎年春は必ず訪れてくる。

いつだって、希望を捨てないでいたい。


        

言霊の幸う国

2013年03月10日 | 東日本大震災
のっけから漫画の話で恐縮だが、
購読しているレディースコミックに、山岸凉子氏の「言霊」という漫画が短期連載されていた、
山岸凉子といえば、バレエ漫画「アラベスク」や聖徳太子を描いた「日出処の天子」など、
若い頃、いずれも連載の漫画誌を毎号楽しみに読んだものだ。
今回の短期連載も、バレリーナを夢見る少女が主人公。

 主人公が通っているバレエスクールには、ちょっと意地悪なライバルの少女がいる。
 主人公の少女はテクニックも表現力もあるのだけれど、本番に弱い。
 そこがライバルにかなわないので、いつも悔しい思いをしていた。
 彼女は次第に、ライバルの失敗を願うようになり、そういう自分の心を恐ろしくも感じてしまう。
 ライバルの少女と親しい、国際コンクールレベルの男の子にもほのかな恋心も抱き、
 それもライバルの少女への嫉妬心を募らせ、苦しい日々を過ごす。
 でも、主人公もその男の子と親しくなるきっかけができ、その彼の励ましで、彼女は自分を取り戻す。
 コンクールの時に、出番前に緊張しているライバルの少女に、「頑張って!」と思わず声をかける。
 いままでその子の失敗を願っていた自分が、「頑張って」と思わず声をかけた、
 その瞬間に、自分の心も何かから解き放たれたように軽くなり、本番では大成功。
 晴れて主人公が優勝した。

・・・というストーリー。

主人公の少女は、それまで自分の失敗はライバルのせい、あの子がいなくなればいい、
といったマイナスの思いを心にためこんでいた。
でも実は、自分の失敗はそのマイナスの思いのためだった、
自分の思い(言葉)が自分の失敗を招いていたのだ、ということに気付く、
という設定になっている。
言葉に宿る力というのは、人をいかようにも操ってしまうことがある、ということかな。

だから「言霊」というタイトルなんだ、と読んだあとにわかった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、前置きが長くなった。

何が本当のことなのかがわからない、という質問をこれまでたくさん受けてきた。
最初の頃は、ひとつひとつを説明していたのだけれど、
これだけではだめだ、と感じることが多かった。
具体的なことばかりではなくて、もっと哲学的(という表現もへんなのだが)に伝える必要もあると思った。
悲しいことに哲学者でもなんでもない凡人のわたしは語彙も乏しく、こんなことしか言えなかった。

 ここで暮らしているわたしたちが、聞いて不快・不安になる情報は、
 あれ? なにかおかしいんじゃないか? そう思って下さい。
 そして、ほかの情報もいろいろ調べて、冷静に判断するのがいいと思います。

先日、ネコさんのブログのコメントに、糸井重里氏の言葉が紹介されていた。
そうそう、こういうことだよ、とわたしも思ったので、ここにも紹介する。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ほぼ日刊イトイ新聞ー「しがらみ」を「科学」してみた
http://www.1101.com/shigarami/2012-03-21.html

以下は、このシリーズの「震災リテラシ-」の中の言葉。
長くなるが、糸井氏の言葉を抜粋する。

   やはり「戦う」にはテクニックも必要で、
   闇雲に体当たりすればいいというわけじゃない。
   ときには、逃げることだって必要です。

   ぼくは、自分が参考にする意見としては
   「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
   「より脅かしてないほう」を選びます。
   「より正義を語らないほう」を選びます。
   「より失礼でないほう」を選びます。
   そして
   「よりユーモアのあるほう」を選びます。
    ・・・
   つまり、人の選択肢を狭めようとしていたり、
   考えることをやめさせようという
   意図のある言葉には、
   「あ、気をつけよう」と思うようにしていて。
   ・・・
   たとえば「スキャンダラス」というのは、
   「最近、鼻血が出るのは放射能の影響だ」
   みたいな、
   「大変だぞ!」と思わせて
   人を動かそうとする発言のことです。

   でも、少し調べれば
   それが「嘘、あるいは嘘の可能性が高い」と
   すぐにわかるんです。
   ・・・
   だから、あまりにスキャンダラスだなと
   感じた場合は、
   「本当なのかもしれないけど、
   ちょっと落ち着こう」
   と、思うようにしているんです。
   ・・・
   「より脅かしてないほう」というのも、同じ。

   「こうしないと、大変なことになる!」
   と、ぼくらを脅してくる言葉とは一線を置く。
   ・・・
   また「正義」の名のもとに
   ひとつの選択肢を
   選ばせようとする言いかたも、違うと思う。

   選択肢というのは、たくさんあるわけだし、
   だから
   「より正義を語らないほう」を選ぶんです。
   ・・・
   つまり、人の選択肢を狭めようとしていたり、
   考えることをやめさせようという
   意図のある言葉には、
  「あ、気をつけよう」と思うようにしていて。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本語は美しくも複雑で、漢字と平仮名と片仮名で成り立つ。

  「福島」「ふくしま」「フクシマ」

どれもイメージが異なる。
どの表記をどのような時に誰を相手に用いるかは、その使い手の心ひとつによる。
たかがブログのコメントでさえも、優しさが伝わったり悪意を感じたりする。
そこに表情や口調が加われば、さらに「言葉」の持つ力は大きくなる。
そこが「言霊」といわれる所以でもあろう。

いつも負のイメージの言葉ばかり心に浮かべ口に出していれば、
その人の心も体にも、それは「負」がかかるのではないか。
そしてそれは、その人にかかわる人たちへも伝わってしまう。
不安などのストレスが活性酸素を増やし遺伝子を傷つけることもあるという、
これは、何度も書くけれども、医学・科学的にも証明されていることだ。

人の不幸を願ってはいけないのだ。

もっとも、「福島の人達を助けてあげます」と信念を持って活動なさっておられる方々は、
それがここで暮らすわたしたちにどれだけの負荷を与えているかということに、
気付いていない。
(もしわかっていてやっている人がいるとしたら、それは人ではない)

このことについても、同じブログのコメントで紹介されてたので、ここにも紹介。

放射能被害の発生を声高に訴えてきたオオカミ少年は、悲劇を望むようになる - 開米 瑞浩
http://blogos.com/article/57796/?axis=g:0

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

表題は、「ことだまの さきわうくに」と読む。
古代の日本では、言葉には呪術的な力があり、言葉にしたことは現実になる、と考えられてきたそうな。
現代においては科学的ではないけれども、心の在り方には言葉の影響は大きい。
一度口をついて出た言葉は、もうその人だけのものではない。
時々遭遇してしまう品性のないコメントなどは、その人の内性を表しているともいえる。
せめて自分は、人を不快にさせたり悲しませる言葉を口にしたくはないと思う。

 ・・・と思いつつ、前の記事の「奴ら」は品性がないかも。反省。



3月になった

2013年03月01日 | 東日本大震災
3月になった。
まもなく「あの日」を迎える。

先月末に、ある小学校の依頼で放射線の話をした。
先生方全員と、PTA役員の保護者の方々が対象だった。
内容は、放射線の基本的な知識と、
県内の被ばく検査データの結果とその解釈について。
もちろん、甲状腺エコーの話もした。

終わってから、保護者の役員のお母さまが言った。

 今まで、こういう話をきちんと聴いたことがありませんでした。
 不安になる話ばかりで、まだそういう親(不安な)はたくさんいます。
 保護者全員にこの話を聴いて欲しいと思いました。

そのお母さまの言葉は素直にありがたかった。
と同時に、一昨年の秋から市内で開催している放射線の講演会のアナウンスは、
まだまだ行き渡っていなかったのだな、ということが残念でもあった。
そのお母さまは、事故後、不安になるような内容の講演を最初に聴いてしまい、
その後は、講演会のたぐいには近寄らなかったのだそうだ。
このような内容のお話は、他の講演会でも寄せられた。

昨年末の乳幼児健診では、
いまだに、県内産のものは一切口にせず、
子どもも外遊びは県外に出かけている、というお母さまに出会った。
その方の住まいは市内でも線量の低いところにもかかわらず。
歯磨きさえもペットボトルの水を使っているのだそうだ。

2年近くたった今でも、たまにこのような方に出会うことがある。
アナウンスが行き渡っていないというよりも、
すでに「聞く耳」を持たない、と表現した方がいいのかも知れない。

正しい情報を得る前に、誤った情報を「真実」としてインプットしてしまった脳味噌には、
今や何をどう説明しても、伝わらないようである。
得たいの知れない新興宗教と同じだ。
しかもインプットされたそれらの情報は、あちこちはまっとうなこともあるから始末が悪い。
でも、聞く耳を持てなくなってしまった方々を責めることはできない。

一昨年、事故のあとに書いたブログに、
 
 わたしたちは、誰にこぶしを振り下ろせばいいい?

と書いた。
あの頃は、誰かを責めるとか責任取れとか、そんなことよりも、
目の前にいる子ども達とその親御さんへの思いでいっぱいだった。

今、わたしがこぶしを振り下ろしたいのは、東電でも国でも県でもない。
人の不安につけ込んで、誤った情報解釈を未だに平然と正義漢ぶって垂れ流している奴らだ。



福島県小児科医会声明

2012年09月22日 | 東日本大震災
毎年7月に、福島県小児科医会の総会が行われる。
この会において、
 福島県小児科医会総会声明
「福島のこどもたちの未来を守るためにー原子力災害と子育て支援-」
を出すことを、全会一致で承認された。

  昨年度も、福島県知事宛に県小児科医会から声明を出してはいるけど・・。
  http://blog.goo.ne.jp/yi78042/e/466ae2ef47392f708369cc89d5d4006c

先日、会長代理として、県小児科医会副会長の先生と二人で、
この声明文を以下の3箇所に提出してきた

 福島県子育て支援課
 復興庁・福島復興局
 東京電力・福島原子力被災者支援対策本部

県・国の行政担当の方々とお話していて思ったことは、
やっぱり、それぞれの立場で、現場の方々は努力して下さっているのだな、ということ。
言いたいことはたくさんあるけれども、
行政を非難・批判ばかりしていてもいけないな、ということだ。

東京電力の方々は・・・、現場の方々が大変なのは、こちらにも伝わった。
 (・・・あんまり、ここでは、書きたくない。)

以下は、声明文。(要望といってもいいかな)
会長が草稿を作成し、理事会で何度も取り上げ、完成した。
それぞれ、県知事宛、復興大臣宛、東電の会長及び社長宛の、会長からの依頼文も添付した。
会長は普段から物静かな方なのだが、この依頼文を拝見すると、その熱意が伝わる。
(ここでは載せません)
 ____________________________________

 ____________________________________

 ____________________________________

具体的には、
 ・全てのワクチンの無料化(任意接種のもの)
 ・思い切り遊ぶ場所として、子ども健康センター(仮称)等の施設を県内各地に設置

などなどをお願いしてきた。

小児科医会の一員としては、自画自賛みたいだけれど、
わたしたちだって、指を指を加えて事の推移を見てるだけじゃない。
実現するかどうかはともかく、伝え続けることが大事かな、と思っている。






エネルギーは「断捨離」できるのか?

2012年09月11日 | 東日本大震災
苦し紛れのタイトルですが・・・。
「脱原発」や「反原発」ってタイトルは、突っ込まれそうなので・・・。
(「断捨離」の提唱者・やましたひでこさん、勝手にごめんなさい。)

さて、その、やましたひでこさんによれば、

  だんしゃり 断・捨・離とは、
  自分とモノとの関係を問い直し、
  暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。

だそうだ。

福島県で暮らす者として、原発はもうごめんだ。
原発の電力なしでは医療だって崩壊する成り立たないかも知れないことはわかっているけれど、
感情として、受け入れることはできない。

では、代わりに50年前の暮らしをせよと言われたら、それも自信がない。
モノがあふれ、便利な時代、一度楽することを覚えてしまった身には、
ひとむかし前の生活に戻ることは、できそうでできない。

猪苗代湖の南側に、布引高原という場所がある。
住所は郡山市湖南町になっているが、位置的には会津の猪苗代、という印象だ。
http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot_disp.php?id=3348
http://www.studioo2.co.jp/img/Photo_Library/nunobikiyamakogen/index.html

 (最初にご紹介していたアドレスが開かなかったので、別のものをご紹介します。9/17)

その高原には、風力発電の風車が33基あり、約12,500万kWhの発電ができる。
これは、一般家庭約35,000世帯分の年間消費電力量に相当するのだそうだ。
http://www.jpower.co.jp/wind/win01000.html

わたしも昨年夏に初めて行ってみた。
風力発電がどのぐらいのものか、確かめてみたかったのだ。
かなり広い。
これだけの敷地に、33基。
でも、たったの3万5千世帯分の電力。

当然だが、メリット・デメリットがある。
http://jp.meritdemerit.com/topic/421
http://allabout.co.jp/gm/gc/380620/


1年前にも書いたのだけど、こんなことを時々考える。

 一般家庭・マンションなど共同住宅・会社・工場・官公庁・病院など、
 あらゆる建物には全てソーラーシステムを配備する。
 採算はこの際、考慮しない。
 とにかく、自力でまかなえる分はわずかでも、太陽光発電の電力を使う。
 日本全国、全て。
 国策として、これを行う。

 その上で、絶対的に常に大量の電力が必要な場所には(当分は)原子力発電でまかなう。
 (わたし個人の感情的には、これは暫定的に・・・)

 原発立地の自治体では、万が一に備えて、

  1.避難範囲の設定
  2..避難先の確保(近県自治体とも連携の体制)
  3.原発周辺の気象情報を常にアナウンスする(特に風向き)
  4.付近住民には安定ヨウ素剤を配布しておく(これは非常食と同じく更新する)

 ・・・などなどのシミュレーションを最低限やっておく。


デモや集会で叫んだところで、原発はなくならないよ。当分。
なら、上記の1~4などについて、具体的に行動を起こすのが先決じゃないのかな。
ただ、4,については、どの段階で内服するのか、
住民への常日頃の啓発が必要になると思うけど。

福島県発事故では、一般市民に放射線による健康被害が起きる可能性は、かなり低いと思う。
でもそれは、前にどこかでコメントしたかもしれないけど、
不幸中の幸いでしかないんだ。

今後も、万が一どこかの原発で事故が起きても、
放射線による健康被害には至らないかもしれない。

でも、もしもその万が一、が起きたら・・・。
 そのために、付近住民は、屋内待避かもしれないよ。
 いや、避難生活を送るかもしれないよ。
 命は永らえても、故郷を無くすことになるかもしれないよ。
 「健康には問題がない」ことを証明するために、
 平時なら必要なかった検査を定期的に受けなければならないよ。
 毎日の食品は「測定されたもの」を確認して口にしなければならないよ。
 ベクレルだのシーベルトだのが、いつもアタマの隅にこびりついている。
 公園にも学校にも幼稚園にも保育園にも、モニターが設置されている。


これが、今の福島県の現実。

それでも、なにごともなかったように、暮らしていく。
わたしたちのこの地での日々の暮らしは、今までとおりだ。

でも、「あの日」から今までのことは、「なかったこと」にはできない。
忘れたふりをしてるのでも、ない。
なにも考えてない訳じゃない。
受け入れて、ここで、暮らしている。


今、原発を立地している地域の方々が、原発と共存するということは、
万が一コトが起きたら、どうなるか、
常にその覚悟と備えが必要だということだ。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  今回も、記事をアップするの躊躇してました。(9月17日)




復興ピアノ

2012年08月19日 | 東日本大震災
所用があり、いわき市まで出かけた。

今日も暑くなりそうな快晴の朝、磐越道をひたすら走る。
郡山ジャンクションからいわき方面に向かうのは、震災以降、初めてだ。

思いのほか、道路が傷んでいる。
雪の降る会津側ならともかく、いわき方面は、わたしの記憶では、こんなに傷んでいなかった。
地震の影響で傷んだだけではないのだな、と思う。
「あの日」以降、自衛隊やパトカーや多くの支援の車が、この道を通過したのだろう。

2年前の春、わたしは2回、この道路を通っている。
一度目は3月、南房総に旅行した際、常磐道から磐越道のルートで帰ってきた。
2度目は4月、ぷらっと結城紬と筑波山を観光した帰り。
この時は丁度、小野町の桜並木が満開だった。
来年の春は、この桜を家族で見に来よう、と思っていたのに、震災が起きた。

あの時と同じ景色、阿武隈の山なみは変わらない。

「常磐道・広野町から先は災害により通行止め」の看板が目にはいる。

山懐(ふところ)の人たち、山向こうの人たちの暮らしは、一変したのだ。

運転しながら、さまざまな思いが錯綜する。

飯舘村のこと。
津島のこと。
富岡町のこと。
夜ノ森公園の桜。
双葉町や浪江町の親戚のこと。
お世話になった方々のこと。
子どもの頃、わくわくしながら迎えた海水浴のこと。
いわきや双葉町や原町(南相馬市)の病院に出張に行った時のこと。

なんと平和な日々だっただろう。

車は峠を越え、視界が広がる。
いわきの空は明るくて、空気がさらっとしている。

浜通りから中通りに避難している人たちにとって、きっと、この空が本当の空なんだろうな。

小名浜の三角倉庫というところで、ジャズフェスティバルが行われていた。
近くには、見事に復興しつつあるアクアマリンふくしまがある。

フェスティバルの会場にあったピアノは、震災で津波をかぶったピアノだった。
昨年のNHKの紅白で、嵐の桜井クンも弾いたピアノだ。

    

わたしもちょっと弾かせていただいた。
本来の楽器としての値打ちがどうなのかは、わたしには、わからない。
でも、津波で泥だらけになったとは思えない、深い音色が響くピアノだった。
会場係の方のお話では、苦労して、丁寧に丁寧に、泥を除き、弦を張り替え、
弾けるように再生したのだそうだ。
でも、どうしても、瓦礫でこすれたと思われる傷は、取れなかったそうだ。↓

    

この傷は、このピアノの、勲章だと思う。



いまだに、でたらめなことを言う人たちがいる。
なんとでも、言うがいい。

わたしたちは、負けるもんか。


8月6日・8月9日

2012年08月05日 | 東日本大震災
もうすぐ、広島・長崎の原爆の日。

毎年やってくる記念式典の意味を、わかっているつもりで他人事だったなぁ・・・、
昨年、そう思いながら厳粛な気持ちで迎えた原爆の日。
あれから、1年が過ぎた。

昨年の、長崎市長の、
「福島の皆さん、希望を失わないで下さい」
という言葉。
わたしは今も、折りに付け、時々思い出す。

被ばくした広島・長崎の方々の、67年間にわたる思いは、
これからの福島のわたしたちの思いになる。