ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

復興ピアノ

2012年08月19日 | 東日本大震災
所用があり、いわき市まで出かけた。

今日も暑くなりそうな快晴の朝、磐越道をひたすら走る。
郡山ジャンクションからいわき方面に向かうのは、震災以降、初めてだ。

思いのほか、道路が傷んでいる。
雪の降る会津側ならともかく、いわき方面は、わたしの記憶では、こんなに傷んでいなかった。
地震の影響で傷んだだけではないのだな、と思う。
「あの日」以降、自衛隊やパトカーや多くの支援の車が、この道を通過したのだろう。

2年前の春、わたしは2回、この道路を通っている。
一度目は3月、南房総に旅行した際、常磐道から磐越道のルートで帰ってきた。
2度目は4月、ぷらっと結城紬と筑波山を観光した帰り。
この時は丁度、小野町の桜並木が満開だった。
来年の春は、この桜を家族で見に来よう、と思っていたのに、震災が起きた。

あの時と同じ景色、阿武隈の山なみは変わらない。

「常磐道・広野町から先は災害により通行止め」の看板が目にはいる。

山懐(ふところ)の人たち、山向こうの人たちの暮らしは、一変したのだ。

運転しながら、さまざまな思いが錯綜する。

飯舘村のこと。
津島のこと。
富岡町のこと。
夜ノ森公園の桜。
双葉町や浪江町の親戚のこと。
お世話になった方々のこと。
子どもの頃、わくわくしながら迎えた海水浴のこと。
いわきや双葉町や原町(南相馬市)の病院に出張に行った時のこと。

なんと平和な日々だっただろう。

車は峠を越え、視界が広がる。
いわきの空は明るくて、空気がさらっとしている。

浜通りから中通りに避難している人たちにとって、きっと、この空が本当の空なんだろうな。

小名浜の三角倉庫というところで、ジャズフェスティバルが行われていた。
近くには、見事に復興しつつあるアクアマリンふくしまがある。

フェスティバルの会場にあったピアノは、震災で津波をかぶったピアノだった。
昨年のNHKの紅白で、嵐の桜井クンも弾いたピアノだ。

    

わたしもちょっと弾かせていただいた。
本来の楽器としての値打ちがどうなのかは、わたしには、わからない。
でも、津波で泥だらけになったとは思えない、深い音色が響くピアノだった。
会場係の方のお話では、苦労して、丁寧に丁寧に、泥を除き、弦を張り替え、
弾けるように再生したのだそうだ。
でも、どうしても、瓦礫でこすれたと思われる傷は、取れなかったそうだ。↓

    

この傷は、このピアノの、勲章だと思う。



いまだに、でたらめなことを言う人たちがいる。
なんとでも、言うがいい。

わたしたちは、負けるもんか。


みんなそろったよ!

2012年08月10日 | 日々のつぶやき
5羽のツバメのヒナたちが、いよいよ独り立ちするらしい。
親ツバメが、さかんに飛び方を教えている。エサの取り方も教わってるのかな。
1羽だけ、いつもちょろちょろしてて、出遅れるのがいる。
なかなか、親の言うことを聞いてない(ように見える。)
どうも、向かって一番左のツバメが、そうらしい。
この時も、ほかの4羽はみんな向を向いてるのに、この子だけ、こっち向いてる。
同じ兄弟でも、やっぱり個性があるのは、ツバメも同じなんだなぁ。

  音符♪ が並んでるみたいだ。

     

来年も、また、おいで。
待ってるから。

  写真は撮らなかったけれど、
  別の場所に、もうひとつ作った巣でも、3羽のヒナが産まれて、無事に飛び立ちました。

8月6日・8月9日

2012年08月05日 | 東日本大震災
もうすぐ、広島・長崎の原爆の日。

毎年やってくる記念式典の意味を、わかっているつもりで他人事だったなぁ・・・、
昨年、そう思いながら厳粛な気持ちで迎えた原爆の日。
あれから、1年が過ぎた。

昨年の、長崎市長の、
「福島の皆さん、希望を失わないで下さい」
という言葉。
わたしは今も、折りに付け、時々思い出す。

被ばくした広島・長崎の方々の、67年間にわたる思いは、
これからの福島のわたしたちの思いになる。


心の闇

2012年08月01日 | 東日本大震災
 追い風なのかな・・・?

という記事をかいた途端に!?
一転、思わぬ向かい風を受けた。(^^;)

わたしが常々ブログに書いてきたこと、
日々の診療の中で親御さんにお伝えしていること、
地元の小児科医として地域の方々にお話していることに関して、
なんら、間違ったことは伝えてないつもりだ。

まぁ、いろいろな考えの方々もいらっしゃる訳だから、
多少の批判や非難や反対意見があるのは百も承知、覚悟の上ではあったけれど。

それにしても、やり方が姑息だ。
言いたいことがあれば、堂々と直接言えばいい。
面と向かって言えないのなら、このブログにコメントすればいいだろうに、
それもせず、実名を出して「悪質」と批判する。
悪質なのはどっちだ、と思う。

あらためて思ったことは、
ネット社会というのは、かつては見えないままで過ごしたであろう、
「人の心の闇の部分」まで、あからさまになる、ということだ。

顔も、名前も知らず、声もない、筆跡もない、
文字通り、「言葉」だけが電子媒体で飛び交う世界。
書き手の「人となり」は、決められた書体で表現される言葉からしか窺えない。
だからこそ、体温や息づかいが伝わるような文章を、
わたしは心がけているつもりだ。
でも、そうではない人たちも、一部にはいる、ということなのだな、と思う。

醜い言葉。
狂気とさえ思えるような、かたくなさ。
誰もが心の奥底に抱えている闇の部分。

その、本当は決して人に見せるものではないはずのものが、
電子媒体を通して我が物顔で当たり前のように広まる。
そして、人は案外、この、闇の部分に群がってしまう。
それはある種の麻薬のようなものかもしれない。

このような言葉を吐いている人たちも、
実は、リアル社会では、案外にこやかな人だったりする。

開いてしまったパンドラの箱は、なにも原発の爆発だけじゃない、ということだ。

だからこそ。
くだらない中傷に怯んではいられない、と思う。