ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

雨ニモアテズ(作者不詳)

2007年07月12日 | Weblog
ネットでこんな詩を発見した。
ご存知、宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」のパロディである。


      雨ニモアテズ

   雨ニモアテズ 
   風ニモアテズ 
   雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ
   ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ
   意欲モナク 
   体力モナク 
   イツモブツブツ 不満ヲイッテイル
   毎日 塾ニ追ワレ 
   テレビニ 吸イツイテ遊バズ
   朝カラ アクビヲシ 
   集会ガアレバ 貧血ヲオコシ
   アラユルコトヲ 
   自分ノタメダケ考エテカエリミズ 
   作業ハグズグズ
   注意散漫スグニアキ 
   ソシテスグ忘レ
   リッパナ家ノ 
   自分ノ部屋ニ閉ジコモッテイテ
   東ニ病人アレバ 
   医者ガ悪イトイイ 
   西ニツカレタ母アレバ 
   養老院ニ行ケトイイ
   南ニ死ニソウナ人アレバ 
   寿命ダトイイ
   北ニケンカヤソショウガアレバ 
   ナガメテカカワラズ
   ヒデリノトキハ 
   冷房ヲツケ 
   勉強勉強トイワレ 
   叱ラレモセズ
   コワイモノモシラズ 
   コンナ現代ツ子ニ 
   ダレガシタ

なんとも、現代の子どもや親・教師・小児科医が抱えている問題を言いえている。
賢治の故郷・盛岡の小児科の先生が学会の際に披露なさったのだそうだ。
作者は不詳であるが、どこかの校長先生らしい。
・・そして、「コンナ現代ッ子ニ」したのは、私たちオトナの責任ななんだなぁ。

ちなみに、本物の「雨ニモマケズ」は、次のような詩である。
片仮名だけだと読みにくい部分を、( )で注釈つけました。

   雨ニモマケズ
   風ニモマケズ
   雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
   丈夫ナカラダヲモチ
   慾ハナク
   決シテ瞋ラズ           (決して怒らず)
   イツモシヅカニワラツテイル    (いつも静かに笑っている)
   一日ニ玄米四合ト
   味噌ト少シノ野菜ヲタベ
   アラユルコトヲ
   ジブンヲカンジョウニ入レズニ   (自分を勘定に入れずに)
   ヨクミキキシワカリ        (良く 見聞きし 分かり)
   ソシテワスレズ          (そして忘れず)
   野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
   小サナ萱ブキ小屋ニイテ
   東ニ病気ノ子供アレバ
   行ツテ看病シテヤリ
   西ニ疲レタ母アレバ
   行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
   南ニ死ニソウナ人アレバ
   行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ (行って 怖がらなくてもいい と言い)
   北ニケンクワヤソシヨウガアレバ  (北に 喧嘩や 訴訟があれば)
   ツマラナイカラヤメロトイヒ    (つまらないから やめろと言い)
   ヒデリノトキハナミダヲナガシ   (日照りのときは 涙を流し)
   サムサノナツハオロオロアルキ   (寒さの 夏は オロオロ歩き)
   ミンナニデクノボートヨバレ    (みんなに でくのぼう と呼ばれ)
   ホメラレモセズ          (褒められもせず)
   クニモサレズ           (苦にも されず)
   サウイウモノニ          (そういう者に)
   ワタシハナリタイ         (わたしは なりたい)


ナゴヤドライブ:1.父は偉かった!

2007年07月08日 | Weblog
ドライブの話を書いていて思い出した。

東北、ことに当地の高校生は、進学先は地元か仙台か東京、とだいたい決まっていた。
わたしもそのつもりで勉強したのだが、受かったのは、名古屋にある大学だった。
(といっても正門が名古屋市にあるというだけで、大学そのものは名古屋市ではない)
初めて行ってまずびっくりしたのが、
「まむしに注意!」という看板があちこちにあることだった。
学生駐車場には時々イタチが出るし、近くの養鶏場から逃げ出したと思われる鶏が道路を横切るし、
まぁ、なんてトコロに来てしまったんだぁ・・・、と、当時は思いましたよ。
で、電話で愚痴ったんですな、親に。
こんなトコロ、ウチよりイナカじゃないか、と。
通っていた予備校が東京だったから、尚更そう感じたのだ。
実際はもちろん、実家のあった村のほうが、はるかにイナカである。

その時の父の言葉を、今も時々思い出す。

 ナゴヤをばがにすんでねぇぞ。
 信長も、秀吉も、家康も、みんなナゴヤでねぇが。
 ついでに歴史の勉強もして来い。

まぁ、正確に言えば、信長・秀吉は尾張、家康は三河なので、
「ナゴヤ」という表現は間違いなんだけど、東北のニンゲンからは、
愛知県地方=ナゴヤ、という捉え方なんですな。

父は、こうも言った。

 休みで帰って来る時は、東京経由でまっすぐ帰るなんて面白くないぞ。
 長野から新潟経由だの、いろんなルートで帰って来い。

これをお読みになってるみなさま。
私は、ひとり娘なんです。 ええ、ほかに兄弟はいません。
ひとり娘にこんなアドバイスをする父親って、なかなかいないんじゃないでしょうか。

という訳で、厳格な父からお墨付きをいただいた「歴史の勉強」で、
私の大学生活はスタートしたのだった。
どんなところに行ったかは、おいおいUPするとしよう。

七夕ドライブ

2007年07月07日 | Weblog
午後から用事で街まで出かけたら、浴衣を着たオネエチャン達がたくさんいた。
そうか。今日は七夕なんだ。

夕食後は、所属するジャズバンドの定期コンサートの打ち合わせで、また外出。
開業前は夫も一緒にやっていたけど、今はわたしだけ参加している。
本番中にお産があったら大変だからねぇ・・・。
妻だけ趣味を続けていることにいつも後ろめたさを感じながら、
でも、やめられないのさ。
 ごめんね、オトウチャン。(^^;

帰り道、途中から夫に電話を入れた。

 今夜はお産ある?
  ・・今のところ、ない。
 じゃあ、ドライブ、いこ。
  ・・わかった。

家の前で夫をひろい、ぷらっとドライブに出かけた。
時間は22時。私たちには、まだまだ宵の口。

ドライブと言っても、所詮、開業産婦人科医と小児科医。
何かあれば30分以内で戻って来れるところまでしか、行けない。
携帯の電源はONのまま。その辺をひと巡りするだけなんだけどさ。
でも、ここはは盆地だから、ちょっと車で20~30分行けば、
小さな街の灯が見渡せることろはいくらでもある。

学生の頃も、いろんなところに行ったっけねぇ、
と、思い出話になる。
昔話ばかりするような年齢になった、ってことなんだなぁ・・・。

途中、大学の寮にいる娘から夫の携帯に電話がはいる。
パソコンの使い方がわからないんだそうだ。
月曜までのレポートもあるし、テストもあるらしい。
頑張れ、ムスメ! 激励して電話を切る。
で、つい、息子はどうしているかふと思い出し、息子の携帯に電話した。
(わたしはハンドルを握っているので、かけたのは夫)
彼の部屋はどうも友人達のたまり場になっているらしく、
電話の向こうからはいつも誰彼の声が聞こえる。
いいなぁ。楽しそうだよなぁ。
テストが終わったあと、夏休みの旅行の計画があるらしい。
行き先も日程もまだ不明なのだそうだ。
口ごもっていたので、親にはあまり言いたくないこともあるんだろう。
でも、まぁ、いいさ。
わたしたちも、通って来た道。
キミ達の行動なんて、手に取るように想像できるのさ。(^^)

 事故にはくれぐれも注意して。
 よそさまには迷惑をかけないように。
 無事で帰ってくれれば、いいよ。

結局、夫婦の七夕ドライブのはずが、子どもの話をしながら帰って来た。
親なんて、こんなものかも知れない。