ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

今年もあと数時間・・・

2011年12月31日 | 日々のつぶやき
2011年12月31日、午後5時過ぎ。
今年も、あと数時間だ。

やっと年賀状書きが終わった。
昨年の年賀状を見ながら、泣きそうな思いで書いた。
もう、どうしたって、この年賀状をやりとりしてた頃には戻れないんだ・・・。

産科・小児科を含む医療崩壊(それは今も続いているのだけれど)をぼやいていた頃が、
むしろ懐かしくさえ、感じる。

この難局は、なんとしても乗り越えなくちゃならない。
これからもたびたび出てくるであろうデマと、真相とを、きちんと区別して伝えていくこと。
それも、わたしたち医療に関わる者の役目だと思う。

3.11以降、わたしたちの暮らしは一変した。
原発が安全なんかじゃなかったこと云々は、今はここでは書かない。
それよりも身にしみてわかったことは、「人の心」だ。

 みにくさも。
 弱さも。
 あたたかさも。
 強さも。
 優しさも。

以前にも書いたことだけれど、
このブログが思いもかけず多くの方々の目に触れることとなって、たくさんの出会いがあった。
いただいたコメントの数々は、ここで、これからも生きるわたしの、宝物だ。
この場を借りて、こころからお礼を申し上げます。

   みなさま、ほんとうに、ありがとうございました。

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・・・んで、足もとを見回せば、我が家にもまだまだ、難局が・・・。

無謀にも大掃除しようとしてあちこち手をつけたはいいけど、まだ片付いてないし。

正月料理? おせち? ・・・準備、まだだし。
あ、おそばは準備したけど。
(あれ? ネギ、あったっけかな?)

あああ・・・、どうする?! この家ん中!!

 負けないぞ! ふくしま!

 がんばれ! わたし!(←片付け)

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追記:
 (紅白観ながら・・・)
 今は、千昌夫が「北国の春」を歌ってる。
 この歌は、亡くなった父が大好きだったっけ・・・。

 感謝の思いを綴った今年最後の記事に、大事なことを書き忘れた。

 うちの職員たちのこと。

 震災当日、約半数の職員が、赤ちゃんとお母さんを守って、泊まり込んでくれた。
 原発事故が起きてからも、誰一人、「自分の都合で」休んだ者はいなかった。
 その後も、数日泊まり込んでくれた職員もいた。
 中には、まだ小さいおこさんを抱えている職員もいた。
 ガソリンが枯渇している中、雪道を、1時間以上もかけて通勤してくれた職員もいた。
 重病の家族の看病をしながら通勤してくれる職員もいた。

 あの日々のことは、忘れられない。
 
 夫や母やわたしが、震災以降も、休まず診療を続けることができたのは、
 すべて、うちの職員たちが心をひとつにして頑張ってくれたおかげだ。

 そして、震災をきっかけに、かつて一緒に働いていた方々と、また一緒に働くことになった。
 クリニックにも、新しい風がながれた。

 どんなに感謝の言葉を並べても、伝えきれない。

 みんな、ほんとうに、ほんとうに、ありがとう!
 そして、これからも、よろしく!!
 皆さんは、わたしたちの自慢です。
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追記:その2

 片付けは、わたしもあきらめました。
 ははは・・・・。(^_^;)
 お正月の準備、何とか間に合いそう・・・。
 


「あすという日が」

2011年12月25日 | 東日本大震災
今日はクリスマス。
泣いても笑っても、今年も残すところあと数日になってしまった。
昨年の今日、いったい世界中の誰が、今のこの状態を予想していただろう。

震災関連の番組は、なるだけ民放は観ないことにしてるのだけど、
たまたまつけていた番組で、被災地の中学校と高校と子ども達による中継の演奏を観た。
「あすという日が」という曲だ。
スタジオに招かれて歌っていたのは、仙台市若林区の八軒中学校の吹奏楽部・合唱団の生徒さんたち。
この生徒さんたちは、全国合唱コンクールの常連さんなのだそうだ。
今年も、全国コンクールに出場のはずだったが、震災のために叶わぬこととなった。
その替わりに、避難所となった中学校の体育館で、避難している方々のためにこの歌を披露したのだそうだ。
中継で演奏していたのは、福島県南相馬市の原町高校の吹奏楽部の生徒さんたち。
自慢じゃないが、原町高校は磐城高校とともに、やはり全国コンクールレベルの高校だ。
原町高校は原発から25キロ圏内にあったため、生徒さんたちも各地に避難することとなってしまった。
そして10月、震災から7ヶ月後に高校が再開し、部員達も活動できることになった。
そして、もうひとつ同時中継で、岩手県(だったかな?)の、
津波でお母さんを亡くしたお嬢さんが参加している和太鼓のお子さんたち。
そのお嬢さんは、震災直後、言葉もでないぐらいに心のダメージを受けていたのだけれど、
津波でやられた自宅から、自分とお母さんとが一緒に練習していた太鼓のバチを見つけたのだそうだ。
そして、「お母さんのために、わたしは太鼓をたたく」と・・・・。

久方ぶりに、涙腺にきちゃいました・・・。

さすがにこの番組の動画はないので、歌詞も出ている安藤美姫さんのアイスショーを。
http://www.youtube.com/watch?v=E10X69_Z9UY&feature=related

こちらは、震災の映像をのせたもの。
記憶が揺り起こされる方がいらしたら、ごめんなさい・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=ZhUJrKm-M7s&feature=related

どれだかの動画のコメントで、どなたかも書いていましたが、
2番の歌詞「ふまれても なおのびる道の草」・・・・、
これ、歌詞を見ないで聴いていると、
「ふまれても なおのびる”みちのくさ”」→「陸奥さ」って聞こえるんだな・・・。

ホワイトクリスマスの今日も、いろんなところで、寒さとたたかいながら頑張っている方々へ。