3月15日
連絡がつかなかった浜通りの親戚の避難先がわかりました。
ガソリンがやや心配だったけれど、夕方、外来が終わってから、迎えに行きました。
場所は、川俣(かわまた)町ということろ。
福島市からは約20キロほど離れた街です。
避難先は、川俣町内の、ある小学校でした。
すでに成人している息子との親子3人で避難していました。
その親戚一家は、我が家との血縁は遠いのですが、
母とそのおばちゃんは、子どもの頃に姉妹のように育った関係でしたので、
いつも母のことを「姉ちゃん」と呼んでいました。
毎年、季節になると、浜でとれるホッキ貝などを送ってもらったりしてました。
その小学校では、地区ごとに、教室や体育館などに振り分けられていました。
親戚一家は、体育館にいました。
おばちゃん、うちに行こう、と勧めるも、ここにみんなといる、と。
ご主人も、長期戦になるから、当分ここにいるから、いい、と。
すぐそばで寝ていたお婆ちゃん(80歳は越えているでしょうか)も、
この人たちを自分はとても頼りにしているので、どうか、連れていかないで下さい、と。
母はそのようになることを予測していたらしく、
○○子(おばちゃんのこと)は多分来ないと言うと思うから、念のために持って行け、
と言われ、準備してきた毛布やら着替えやらリンゴ・お茶などを渡し、
仕方なくまた一人で帰ってきました。
避難所は、高齢の方々がとても多く、皆疲れていました。
おばちゃんたちの家は半壊状態ですが、
当然のことながら、家ごと津波にさらわれた方々、
身内の行方がわからない方々もおられたようです。
帰り道、涙が出て止まりませんでした。
あそこにいた方々は、これから先、いつまで避難所にいられるのだろう。
おじさんの言うとおり、確かに長期戦になる。
その長期戦とは、壊れた建物の瓦礫を片付け、新しくするとか、
道路を復旧させるまでとか、そういうたぐいのものではないのです。
原発事故が今後どうなるのか、先の見通しがまったくありません。
果たして、人が住める街に戻るのか、どうなのか・・・。
医者のくせに、せっかく避難所まで行ったのに、
何の医療品も持たずに出かけたことも、悔やまれてなりませんでした。
連絡がつかなかった浜通りの親戚の避難先がわかりました。
ガソリンがやや心配だったけれど、夕方、外来が終わってから、迎えに行きました。
場所は、川俣(かわまた)町ということろ。
福島市からは約20キロほど離れた街です。
避難先は、川俣町内の、ある小学校でした。
すでに成人している息子との親子3人で避難していました。
その親戚一家は、我が家との血縁は遠いのですが、
母とそのおばちゃんは、子どもの頃に姉妹のように育った関係でしたので、
いつも母のことを「姉ちゃん」と呼んでいました。
毎年、季節になると、浜でとれるホッキ貝などを送ってもらったりしてました。
その小学校では、地区ごとに、教室や体育館などに振り分けられていました。
親戚一家は、体育館にいました。
おばちゃん、うちに行こう、と勧めるも、ここにみんなといる、と。
ご主人も、長期戦になるから、当分ここにいるから、いい、と。
すぐそばで寝ていたお婆ちゃん(80歳は越えているでしょうか)も、
この人たちを自分はとても頼りにしているので、どうか、連れていかないで下さい、と。
母はそのようになることを予測していたらしく、
○○子(おばちゃんのこと)は多分来ないと言うと思うから、念のために持って行け、
と言われ、準備してきた毛布やら着替えやらリンゴ・お茶などを渡し、
仕方なくまた一人で帰ってきました。
避難所は、高齢の方々がとても多く、皆疲れていました。
おばちゃんたちの家は半壊状態ですが、
当然のことながら、家ごと津波にさらわれた方々、
身内の行方がわからない方々もおられたようです。
帰り道、涙が出て止まりませんでした。
あそこにいた方々は、これから先、いつまで避難所にいられるのだろう。
おじさんの言うとおり、確かに長期戦になる。
その長期戦とは、壊れた建物の瓦礫を片付け、新しくするとか、
道路を復旧させるまでとか、そういうたぐいのものではないのです。
原発事故が今後どうなるのか、先の見通しがまったくありません。
果たして、人が住める街に戻るのか、どうなのか・・・。
医者のくせに、せっかく避難所まで行ったのに、
何の医療品も持たずに出かけたことも、悔やまれてなりませんでした。