ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

仙台フィルと三陸鉄道のレール

2018年01月07日 | 音楽
仙台フィルのニューイヤーコンサート・福島公演を聴きに行った。
このコンサートの福島公演は毎年1月の第1か第2日曜に開催される。
団員にご近所の方がいらっしゃるので、毎年お知らせをいただくのだが、
ここ数年、ほかの用事と重なって聴きに行けず残念だった。
今年は幸いにも何の用事がなく、楽しみに出かけた。
(夫は残念ながらお産が重なったのでわたしひとりで・・・)

  

開演前の福島市音楽堂大ホール。
(ホントは撮影しちゃいけなかったかな。開演前だからかんべんしてください。)

開演前のこの時間が、わたしは結構好き。
といっても大抵の場合は、
行けることがある演奏会でも開演ギリギリか間に合わず一曲目をロビーで聴いてから、
ということが多いので、今回はとてもラッキーだった。
開始のブザーが鳴り、団員の方々が次々とステージにはいり、自席に着く。
オーボエの A (ラ) の音が響き、各楽器がその音程に合わせてA を一斉に奏でる。
指揮者が拍手とともにステージに現れ、いよいよ演奏開始。
この一連の時間が一番わくわくする。

仙台フィルのニューイヤーコンサートは、指揮者の方が曲紹介などの司会をする。
通常のクラシックコンサートと違って、これがなかなか面白くて次も聴きたくなる。
プログラムも1部・2部のどちらかに シュトラウスの曲を入れ、
ほかの曲も耳になじみのあるものがほとんどという構成だ。

今年は1部がシュトラウス、2部はチャイコフスキーの交響曲5番(いわゆるチャイ5)。
チャイ5はあまりに有名で大好きな曲のひとつなのだけれど、
実は生で聴くのはこれが初めてだった。
やっぱり生演奏はいいなぁ。

プログラム1部の「鍛冶屋のポルカ」を演奏前に、指揮者の方からあるエピソードの紹介があった。

  「鍛冶屋のポルカ」は、1863年のヨーゼフ・シュトラウスの曲で(江戸時代末期ですなぁ)、
  ある金庫メーカーが耐火金庫2万個の製造を記念し、
  舞踏会と花火大会開を催するために作曲を依頼されたものだそう。
  ヨーゼフは金庫を製造した鍛冶職人を称える目的で、
  作曲したポルカに鍛冶に使う金床を打楽器として用いたのだそうだ。

 「鍛冶屋のポルカ」(ウィーンフィルのニューイヤーコンサート)
  https://www.youtube.com/watch?v=_lz36BZkTBM

今回の「鍛冶屋のポルカ」では、その「金床」の代わりに、
東日本大震災で被災した三陸鉄道のレールを用いたのだそう。

詳細は以下で。

 2011年8月、東日本大震災で甚大な被害受けた岩手県三陸鉄道は、
 早期復旧に向けた資金集めのために被災したレールを一般発売をはじめました。
 それを報道で知った、仙台フィル元副指揮者:松元宏康氏は、
 オーケストラで度々演奏されるシュトラウスII世の楽曲「鍛冶屋のポルカ」で
 そのレールを楽器としてコンサートなどで活用することを三陸鉄道に提案しました。
 それに応えて三陸鉄道は、音程にあわせたレールを特別仕様で製作し、松元氏に譲渡しました。
 松元氏は度々指揮をするコンサートでこの曲を演奏する機会がありましたが、
 昨年夏に「東北で活躍する仙台フィルにぜひ活用してもらいたい」と、
 仙台フィルにこのレールを貸与することを決め、バトンが仙台フィルに引き継がれました。
        (仙台フィルFBより)

 https://bskplanning.jp/miyagi.archives/archives/8484
 https://twstat.org/kojiro_yasushi/




「あの日」からの、色々な、様々なことがらが次々と思い出され、
明るく軽快なポルカを聴きながら目頭が熱くなってしまった。



うたげのあと

2015年09月21日 | 音楽
所属してるジャズバンドの定期コンサートだった。
なんとなんと、初めてチケットが完売‼
プログラムもそれなりに楽しんでいただけたらしい。
連休中にもかかわらずおいで下さった方々、ありがとうございました。

数年前からプログラムの解説を担当している。
ジャズって難しく感じる方々もいらっしゃるのだけれど、
曲の由来など調べてみると多くは懐かしい映画のテーマだったり、
案外みじかに流れてる曲が多かったりする。
そういう発見も楽しんでいただけたらな、と思って書いている。
ここ数年はポスターデザインもメンバーの1人が作っていて、
さらに昨年からはそのメンバーの息子さんが作って下さっている。
これがなかなか本格的なの。
演奏だけじゃなくて、ポスター用の作品の現物もご覧になって欲しいぐらい。

ちょっと楽しいプレゼントもいただいた。
これはあとのお楽しみ♫
10月になったらおひろめする予定。



 

 身も心も吸い込まれそうな茜の空。
 久しぶりに見る見事な夕焼けだった。

こむこむジャズフェス

2014年02月09日 | 音楽
福島市には「こむこむ」という子どものための施設がある。
東京・青山の「子供の城」の規模を小さくした感じ?、というとわかりやすいかな。

数年前からこの施設で年に2回、2月と9月にジャズフェスティバルが行われる。

わたしの所属するジャズバンドも1回目から参加している。
今日はそのジャズフェスティバルだった。
嬉しいことに、ブログで知り合った方々が聴きにいらして下さったそうだ。

うちのバンドは・・・、
ええ、正直に言います。
プログラム、つまんねぇ! 演奏も、ちょっとなぁ・・・。
わたしにも大いに責任があります。
聴きに来て下さった方々、ごめんなさい。

あるバンドで演奏した「蘇州夜曲」はびっくり!
っつーか、歌った彼はヴォーカルじゃなくてサックス吹きなんだけどね。
でも実は彼のハイトーンは知る人ぞ知る、というもので。
ええい、いまさら名前を伏せるのもナンなので・・・、

やぁどさん、
あたしゃ、キミの小田和正が聴きたい♪
(ジャズじゃなくてスマン)

  (意味不明の方、ごめんなさい)




ピアノとわたし

2010年08月29日 | 音楽

幼稚園の頃から習っていたピアノ。
途中、いくつもの中断があったけど、未だに続けています。

今日は、10年ほど前から習っている先生の教室のピアノ発表会でした。
小さいお子さんに混じって、わたしも演奏させていただきました。
演奏したのは「別れの曲」。
これも、ショパンのエチュード集の中のひとつです。
選曲したのはもう半年以上も前のこと。
先生が提示して下さった何曲かの中から選んだのですが、
この曲は難しいのはわかっていたので、はじめは躊躇しました。
メロディーだけだと優しくきこえるのだけれど、
じつはこれ、和音でメロディーが響くように弾かなくちゃいけない。
その上、中盤はテクニック的にも譜読みも難解で、
わたしにはとても弾きこなせないと思ったから。
だってね、この手のロマンチックな曲、って、その人の中身が出るんだよね。
先生は、だいじょうぶよ~♪ とあっさりおっしゃるけれど、
がさつなわたしには、無理、無理、と思いました。

それでもあえて選んだのは、夫のひと言でした。
亡くなった夫の母が、この曲が大好きだったのだそうです。
夫も中学生までピアノを習っていたのだそうですが、
いつかこの曲を弾いて聴かせて欲しいと言ってたそうです。
でも、厳しい先生の上に、女の子ばかりの中で続けるのが嫌で、
(今だったらなんともったいないことだと言ってますが)
夫はやめてしまったそうな。
息子の代わりに、嫁のわたしが弾いたら母は喜んでくれるかな、なんて・・。

もうひとつの選曲の理由は、亡くなった友人たちのために。
ひとりは、こころざし半ばで亡くなった大学の友人。
彼女は、バラとかショパンとか、ロマンチックなものが好きでした。
もう一人は、バイオリンをやっていた友人。
彼とは中学校の同級生だったのだけれど、互いの家庭環境が似ていたこともあって、
多くを説明しなくても話が通じるところがあり、私にとっては大切な友人でした。
彼は難病の末亡くなったのだけれど、その病名を知っていたのは本人と主治医だけで、
ご家族にも、もちろんわたし達友人の誰一人にも教えることなく、
亡くなる前日まで家族と一緒に過ごしたまま、亡くなったのです。
奥さまと子ども達と、バイオリン教室の生徒さんたちと、バイオリンと音楽を、
心から大切に大事にしていました。

さて、本番。
ホールのピアノは、スタインウェイのコンサートグランドです。
普段はなかなか触ることができないピアノを弾くだけでも、嬉しいというもの。
目立たないように深呼吸して、弾き始めました。

     お母さん、ともだち、聴いててね・・・

途中まではまぁまぁ、うまくいったのだけれど、
やっぱりやっちゃいましたよ。大きなミスタッチ。(^^ゞ
それも、中盤のうんと難しいところで、あとうことか、両手でばしっと押さえる和音を、
全部、1音ずつずれた鍵盤を弾いてしまいました。
何食わぬ顔でそのまま弾き続け、止まることはありませんでしたが、
分かる人にはバレバレの間違いでした。
終わったあとで、夫のひと言。
「あそこ、編曲したのかと思った。」・・だと。
生誕200年のショパンもびっくり の演奏でありました(^_^;)

やっぱり出ちゃったなぁ、がさつな中身。
天国の友人も笑ってるかも。
キミらしいよ、って。

中村紘子リサイタル

2010年04月27日 | 音楽

中村紘子デビュー50周年リサイタルを聴いてきました。

スカルラッティ、ベートーヴェン、シューマン、フォーレ、ラフマニノフ、ショパン、等々、 
古典派からロマン派までの聴き応えのあるプログラムでした。 
プログラムは、デビュー当時のままの曲で構成されたのだそうです。 

彼女の演奏については、音楽評論家の方々からはこれまでも賛否両論あるらしい。
でもね、わたしは素直に感動しましたよ。
ユンディ・リやブーニンやダン・タイソンやツィメルマンや辻井伸行氏とも違う、 彼女独特のオーラを感じました。 
16歳でデビューして、日本が高度経済成長にある中で、 
日本のクラシック音楽界に大きな影響を及ぼした一人であることは、間違いないと思います。  
サービス精神が旺盛というのでしょうか、
アンコールに5曲も演奏なさったのにもびっくりです。 
アンコールの確か3曲目、ラフマニノフの前奏曲を演奏されました。 
演奏前に、「うふふ・・♪」と笑みを浮かべ、 
「これは、浅田真央さんが演技なさった『鐘』なんですけどね、
 原曲とあまりにイメージが違ってて、アタクシはびっくりしたんですよ♪」
 とおっしゃって、弾き始めました。 
う~ん、たしかに違うイメージ。 わたしはこっちの原曲のほうが好きかな~。

前列の方の観客からは、よく聞き取れなかったのだけれど、
     何かのピアノコンチェルトの一部分をリクエスト!
なんて声がかかったりして、 
まぁ、なんてことを・・ ・
と聞いている他の聴衆も感じたかも知れないのですが、 
それに対しても、にっこり笑って 
「じゃあ、あなたが指揮して下さる?」とおっしゃり、 
リクエストしたお客さんはさすがにいえいえいと手をふり、 
紘子さんはまたにっこり笑って、さりげに他の曲を演奏なさいました。 

彼女の手はピアニストとして実は小さい方なのだとか。 
でも、迫力のある演奏でした。 

子どもの頃にも彼女の「展覧会の絵」の演奏を聴いたことがあります。 
その時も、あんな難しい楽譜を、女の人がこんな迫力で弾くなんてすごいなぁ、 
とひたすら感動した覚えがあります。

 ナマの中村紘子さん、相変わらず魅力的でした。

「革命」その2

2009年12月23日 | 音楽
前回の「革命のエチュード」についての内容、だからなに? ってな文章でした。
要は、ピアノが好き、ピアノは楽しい、ってことだけだったんですけどね。

今回はその続き。

小さい頃からピアノを習ってはいたけど、さほど上手にならなかったのは何度も書きました。
わたしは妙な子どもだったので、家で練習している時、誰かがそばで聴いていると思うと、
どんな曲でも練習曲のようにしか弾けなくなってしまいました。
ひとりで練習している時は、我ながら、この部分はいいなぁ、って感じながら弾けるのに。

「あんたの弾くのは、練習曲みたいで面白みがないねぇ・・・」
長じてからも、何度となく母から言われたりもして・・・。

(こういう言葉って、予想以上に子どもの心を傷つけます)

ピアノでも何でもそうですが、同じ曲でも、演奏家によってかなり印象が違います。
オーケストラでも、指揮者によってそれぞれに特徴があります。
いい、わるい、ではなく、それはあくまでも、演奏家や指揮者のその曲に対する解釈の違いです。
それは、演奏家や指揮者の感じ方や性格などが曲に現れてくるのだと思います。

そういう意味で、わたしの演奏は、たしかに、本当につまらないものでした。
真面目な性格では全然ないはずなのに。
特に、ピアノソナタのゆったりした2楽章とか、ショパンやシューマン、シューベルトといった、ロマン派の曲が苦手でした。
弾いていて楽しい、というより充実感があったのは、激しい曲。
ベートーヴェンの悲壮ソナタとか、モーツァルトの短調の速いピアノソナタ。

きっとそれは、その頃のわたしの置かれていた環境によるものだったのかなぁ、とも思います。
可愛らしい曲やうっとりするような旋律は、なにか自分には沿わない感じがしていました。
高校生までのわたしは、ピアノを弾くことで、ある種の鬱憤晴らしをしていたようにも思います。

大学の時についた先生に「音色」の響かせ方を教わり、今の先生にレッスンしていただくようになって、
この年齢になってようやく、旋律を歌うという心地よさを知ったような気がしています。

「革命のエチュード」は、そんなわたしのとって久しぶりの激しい曲です。
若かった頃の、やみくもに鍵盤を叩いていたのとは違う、オトナの演奏、
できたらいいなぁ・・・。何ヶ月かかってもいいから。

毎日赤ちゃんやお子さんを診ていて感じることは、
どんなに小さな赤ちゃんでも、持って生まれた性質があるということ。
これも、いい、わるい、ではなく。
その子の持って生まれた性質が、その後どんな少年・少女、大人を形作るかは、
その子が育つ過程で変わってきます。

小さい頃に家族を悩ませる子どもでも、節目ふしめで、子どもはステップアップします。
毎回、診察のたびに、泣き叫んで暴れていたお子さんも、ある日突然泣かなくなるように。

人見知りの激しい妙ちくりんな子どもだったわたしも、
今この仕事に就いて、人前でしゃべるのなんか全然平気になりました。
(今はしゃべりすぎて失敗してます)
ピアノの演奏だって、ちょっとはましになったと思います。

何年かかるか、何十年かかるか、それは人それそれだけれど、
気付かないぐらいの小さな革命を繰り返して、子どもは成長していくのだと思います。


「革命」

2009年12月13日 | 音楽
革命、といっても政治の話ではありません。

子どもたちがお世話になっていたピアノの先生に、わたしもレッスンを受けるようになって、
もう10年近くになります。
そろそろショパンのエチュードやりましょうよ、と先生に言われ、
最初にレッスンしたのは、「エオリアンハープ」と言われている曲。
この曲は、ショパンのエチュードの中では、比較的弾きやすい方なのだそうですが、
エチュードとはいえ、そこはショパンなんだなぁ。
難しいのなんの、って・・・…>_<…
数ヶ月かかって、やっと曲らしくなったところでしたが、
もうこれはだいたいいいから、次やろう、次♪ と先生はおっしゃる。(^_^;)
知ってる曲がいいわよね、といくつかあげていただいたのが、
エチュードの1番(辻井くんがコンクールで弾いた)、3番の「別れの曲」、そして「革命」。
譜面をちょっとさらってみましたが、どれも難しい・・・。(当たり前だが)
でも、譜読みのしやすさで選ぶと、「革命」が思ったよりは取りかかれそう・・・。
・・・てな訳で、こんどレッスンすることになったのです。

ピアノは幼稚園の頃から習っていました。
全然うまくはなかったのだけれど、高校3年まで続けました。
でも、手が小さいのと、持って生まれたとしか言えない能力のなさはいかんともしがたく、
本気で音楽に進みたいと「ふっと」考えたこともあったものの、それは夢のままでした。

浪人中は予備校の寮にいましたから、さすがにピアノどころではありませんでしたが、
勉強に行き詰まるとどうしても弾きたくなることがあったりして、
予備校帰りに、近くの貸しスタジオで1時間ほどピアノを弾いたりしたのも、
今となっては切なくも懐かしい思い出です。

大学に入学したら絶対ピアノが弾けるサークルに入ろう、と思っていましたが、
コーラス部の伴奏者はすでにいて、しかもはるかに上手でわたしの出る幕なし、
仕方なく入ったのが、ジャズオーケストラでした。
わたしの入学した大学は、医学部のくせに選択で音楽の講義がありました。
その教授は、ジャズオーケストラ部の顧問もなさっていました。
さる音大を出られてましたが、終戦当時の進駐軍相手のジャズバー等でバイトもしたとかで、
ジャズピアノもセミプロ並の方でした。
高校までは、テストなどで3日も引かないと指の動きが明らかに落ちる感覚がありましたが、
浪人してさらに弾けなくなってしまったのが残念で、
思い切ってその教授に、個人的にレッスンをしていただくことにしました。
当時、週1回、30分のレッスンで5千円でした。
学生の身に毎週5千円の出費はきつかったのですが、どうしても習いたかったのです。
もちろん、遠くにいる親には内緒です。
アパートにはピアノなんてもちろんないので、練習は部室のピアノでやっていました。

それまで、強い音や大きな音が出せないのは、わたしの手が小さいからだとばかり思ってたのが、
実は全然違うということを、その先生から教わりました。
p(ピアノ)、つまり小さく弾くのも、単に音を小さくすればいいのんじゃない、ってことも。
(実はフォルテよりピアノの方が、わたしには難しい・・・)
音の響かせ方、つまり「音色」のコントロールをどのようにつけるか、ということを、
基礎からやり直して教えていただいたのは、目からうろこの体験でした。
はじめは、誰もが大嫌いな「ハノン」を、ゆっくり、1音ずつ、音の響きを聴き訳ながら。
音がちゃんと抜けるように響かせて弾けるようになったら、今度は少しずつ速く弾くのです。

阿保らしいと思ったらいかんデ。演奏会で聴かせられるように弾けんといかん。
そう言われ、練習したのが「ブルグミューラー25」の曲集。
これは一般に小学生あたりで弾くのだけれど、オトナのブルグミューラーを弾けと教わりました。
1年間はこれらの易しい曲でみっちり基本の練習でしたが、
毎週のレッスンは楽しくて、ちっとも苦ではありませんでした。
その後は、バッハの平均律や、モーツァルト、ベートーヴェン、といった定番のピアノソナタ、
シューベルトやショパンのワルツなどもレッスンしていただきました。
実際は、先生がおっしゃるようにちゃんとできるようになった訳ではないけれど、
ピアノは鍵盤を押せば誰が弾いても音が出るけど、
「自分の音色で奏でる」ってどういうことか、少しは理解できるようになりました。

そのうちジャズのアドリブ理論も教えたるデ、と先生はおっしゃってましたが、
3年生も後半になると実習が入り、週1回のレッスンはなかなか予定通りにはいかず、
結局は続けることができませんでした。

その後、医師になってからの生活は、、食事の時間も寝る時間もない有様。
子どもも産まれ、子育てしながら仕事を続けることは本当に大変で、
10年間ぐらいは趣味どころではありませんでした。

そして紆余曲折を経て夫と共に田舎に戻り、今の先生に巡り会ったという訳です。
今の先生も、大学の頃に教わった先生と、教え方がほとんど同じ。
これって、偶然? 卒業大学は違うのだけれど。
音楽の専門的なことはわからないのだけれど、「音色」とか「情感の込め方」とか、
感覚的なものが、その先生と今の先生は似ているのかな。
だとしたら、わたしにとっては、これ以上ないぐらいの幸運な巡り合わせです。

今は月に1~2回のレッスンの時間しかとれませんが、
先生のお宅のおじゃましてあれやこれやピアノの四方山話をするのも、一服の清涼剤のよう。

さて、「革命のエチュード」、何ヶ月で仕上がるでしょうかねぇ・・・(^_^;)



辻井伸行くんのこと

2009年07月30日 | 音楽
辻井伸行くんという、二十歳のピアニストがいます。
2ヶ月前にアメリカで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、
日本人として初めて優勝したので、一躍有名になりました。

彼が子どもの頃に演奏しているのをTVで初めて聴いて以来、
わたしはひそかに応援していました。

初めて聴いたのが何の曲だったのかは覚えていません。
ショパンだったような気もするし・・・。
12歳の時の彼の初めてのリサイタルの映像かもしれないし、
その後、指揮者の佐渡裕氏との協演もありました。
題名のない音楽会、だったかな。
2005年には、かの有名なショパンコンクールで、
ファイナル(最終)には残れませんでしたが、
セミファイナルまで残り、批評家賞を受賞しました。
その時のドキュメンタリーも観ました。
(今回また再放送されたようです。)

初めて彼の演奏を聴いた時、なんて澄んだ音色なんだろうと思いました。
そしてとにかく指の動きが速い!
子どもらしさがまだ残りつつも、将来を予感させるようなその音色に、
これからこの子は、どんなピアニストになるのだろうと、
思わずTVの画面に釘付けになってしまいました。

わたしもつなないピアノを弾くので、映像として演奏家を観る時は、
音を聴きながらも、どうしても鍵盤の手元ばかりを見てしまいます。
普通は、フレーズの終わりに指を鍵盤から離すとき、手首や腕も自然に上がります。
そうやって常に腕の力を抜いて、次の音を出す瞬間に備えるのです。

でも彼は、鍵盤の中央部分を弾いている時は感じないのですが、
鍵盤の両サイドまで弾かなければならないフレーズのところになると、
指がねて、手首や腕もあまり上げずに、鍵盤をなでるように弾いていました。

どうしてこんな弾き方でこの音色が出せるのだろう???
わたしの興味は、ますますわいてきて、聴き入っていました。

そのうちにふと、彼がほかの演奏家とは異なるからだの動きをしているのに気付きました。
あの動きは、誰かに似ている・・・。

そうだ、スティービーワンダーだ!
・・・もしかしてこの子は、目が見えてない???

そして番組の終わりになって、彼がやはり全盲であったことがわかりました。
あのからだの動き、頭の動かし方、指や腕の動かし方が、納得できました。

それ以来のひそかなファンでした。

今回の受賞は、とても嬉しいです。
ネットなど拝見すると、いろんな意見がありますが、優勝は優勝です。
いや、優勝でなくても、素晴らしい才能があることは、多くの人たちが認めるところでしょう。

今回のヴァン・クライバーンコンクールでの演奏は、ネットの動画でも観ることができました。
ファイナルの演奏は、フィギュアスケートで村主さんが使用していることで知られている、
ラフマニノフのピアノコンチェルトでした。
でもわたしは、彼のセミファイナルでの演奏に、さまざまなことを思いました。
セミファイナルでの曲は、べーートーヴェンのピアノソナタ「熱情」でした。

ベートーヴェンがこのソナタを作曲した時は、すでに聴力のほとんどを失っていました。
誰もが知っている交響曲「運命」の頃にはすでに難聴が悪化しはじめています。
そして、「第7番」(←「のだめ」で有名になりました)「田園」「第九」などは、
聴力がほとんどなくなってからのものです。
でも、現代のわたし達は、「耳の聞こえないベートーヴェンの曲」とは思いません。
そんなことは関係なしに、年末には「第九」がそこここで流れます。

辻井邦行くんを「全盲のピアニスト」と称するのは彼に失礼というものでしょう。

聴力を失った作曲家の曲を、視力を持たずに育った若者が演奏している・・・。
つまるところ、音楽に大切なのは、ものを感じる「心」なんですね。


クリスチャン・ツィメルマン

2009年06月14日 | 音楽
 ピアノ・リサイタルを聴いてきました。
 彼はわたしが中学だか高校生の頃に、史上最年少でショパンコンクールで優勝。
 クラシック界ではちょっとしたアイドルのような存在だった記憶があります。
 FMで彼の演奏が放送されないか、勉強そっちのけでチェックしました。
 
 年間にリサイタル回数を50回に制限しているという彼の演奏を聴くチャンスは、
 めったにないこと。
 機械を通してしか聴いたことのない彼の「ナマ」の音を聴きに、
 わくわくしながら出かけました。

 1曲目のバッハのパルティータ。
 こんなロマンチックなバッハを、わたしは聴いたことがありません。
 古典をロマンチックと表現してはいけないのでしょうけど。
 
 2曲目のベートーヴェン、ソナタ32番。
 なんという深い響きでしょう。

 3曲目のブラームス。
 4つの小品がひとつの物語のように、音を紡ぎます。

 そして4曲めのシマノフスキ。初めて聴く作曲家です。
 ポーランド民謡の主題による変奏曲。
 愛用のスタインウェイはまるで彼の一部のように、というより彼と一体になって、
 あとからあとから溢れるように「音の光」をホール中にちりばめました。
 
 素晴らしい演奏でした。
 月並みだけど、生きててよかった、って気分。

 ピアノの神様って、いるんだな。



フルバンド

2007年12月09日 | 音楽
フルバンドという言葉は、一般にはあまりなじみのない言葉であるが、
いわゆるジャズ・オーケストラのことである。
ジャズオーケストラというのは、トランペット4人、トロンボーン4人、サックス5人、
ドラム・ギター・ベース・ピアノが各1名ずつ、という編成である。
吹奏楽団に似ているけど、違うのはティンパニーやホルンなどがないこと、かな?  
いわゆるオーケストラと違うのは、バイオリン・ビオラ・チェロなどの弦楽器がないこと。
管弦楽団ではバイオリンがメロディーを担当するけど、フルバンドではサックスが担当する。
例えば紅白歌合戦のバック演奏の「三原綱木とニューブリード」、あれはフルバンドに近い。
(もっとも、最近の紅白の演奏にはバイオリンもはいってるけど)

母校の部活にもフルバンドがある。
夫もわたしも、そのメンバーだった。
学会で母校のある市に行ったついでに、学会終了後、母校まで足を伸ばしてみた。
後輩たちが、22日に予定されている定期演奏会の練習をしていると聞いたので、
古くなってもうすぐ取り壊されるという予定の、体育館の3階にある部室に行ってみた。

後輩といっても、もう自分の子供たちの年齢である。
みんな、わっか~い! んで、かわいい~! (*^_^*)

部室の入り口で、オネエチャンがヘッドホンつけてピアノを練習していた。
楽譜を見ると、「スイッチ・イン・タイム」だった。
これは、この間わたしもメンバーになってる社会人バンドの定期演奏会でもやった曲だ。
(なかなかむずかしいけど、頑張って♪)心の中で声をかけて、部室を見学させていただく。
部室では「ソウル・ボサ・ノヴァ」の練習をしていた。
クインシー・ジョーンズの有名な曲である。
う~ん、なかなかやるじゃん!
バンマスのオニイちゃん(3年生だそうだ)がテキパキと指示を出している。
1曲の練習に、約1時間。
何度も何度も繰り返し、練習している。

わたしが学生の頃のバンマスも、厳しい先輩だった。
誰かがちょっとつまづくと、そこでストップ。やり直し。
練習に遅刻したり、やる気がなくてダラダラしてると、
「へったくそだなぁ、やる気あんのか、もう、やめっちまえ!」なんて言われたり。
まるで運動部のしごきのようだったなぁ。
厳しくてアイソもないんで、その先輩は最初、キライだった。
(それが、まさか結婚することになるとは・・・。(^_^;)

後輩たちのメンバーは、医学部と衛生学部(看護科と技術科がある)が入り交じっている。
それぞれのテスト週間などのカリキュラムも違うから、練習時間もなかなか大変らしい。
でもね、それでいいんだよ。
それぞれの立場を超えて、自分たちの音楽を作り上げ、お客さまに聴いていただくために、
皆でステージに立つというプロセスが、今は大切なことだと思う。
これから君たちが就くであろう医療の仕事は、チームワークなのだから。

後輩たち、今日は突然はるか昔のOB(G?)が闖入してごめんなさい。
練習を聴かせていただいてありがとう。
定期演奏会の成功を祈ってます!
もちろん、本業の勉強も頑張って、ちゃんと進級して、国試もちゃんと受かりますように。
(って、居眠りばっかしてたわたしが言える筋合いじゃないけど。ははは。(^_^; )