ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

最近起こった不思議な出来事

2012年01月13日 | 日々のつぶやき
数日前、ちょっと奇妙なことがあった。

市内のある学校から依頼され、父兄向けに放射線に関するお話をしてきた。
その学校は数百人の生徒がいるが、その日の参加予定の父兄は20名程度だった。

まぁ、今更わたしごときの話を聴いても意味がないと思う方もいるだろうし、
市内ではわたしのことを知っている方もいらっしゃるだろうから、
「安全デマ」を拡散するヤツの話なんか! と思うご父兄もいたかもしれない。
その学校は、市内でも避難生徒数が多い学校らしい。

でも、参加者が多かろうと少なかろうと、安全デマ吹聴者と言われようと、
依頼があればできるだけ都合をつけたいとわたしは考えている。
わたしがお伝えしている内容について、なんら恥ずべきものはないと思っている。

講演会の直前、学校から、ビデオ撮影してもいいですか? と聞かれた。
わたしは、ほんの一瞬、??? と思ったのだが、学校で後に使用するのかと思い、
いですよ。 と答えた。
この時点で、わたしは学校側の職員の方が撮影するのだと思っていた。

撮影者の方は、前列のわたしから向かって右側に座り、ビデオを机の上に置いていた。
どうみても教師にはみえない風貌が気にはなった。
が、気にせずに話をはじめ、その講演会は無事終了した。
撮影者の方はわたしに挨拶をすることもなく、いつの間にかいなくなっていた。

その夜遅く。
できるだけブログのコメントだけはチェックするようにしているので、ブログを開き、
閲覧者などのアクセス元もチェックした。

・・・そしたら!!!

な、なんと、その日のわたしの講演会の模様が、ある動画サイトに配信されていたのだ!!
しかも、肝腎の、冒頭の方で述べている放射線の基本的な知識に関する部分はごっそり抜けていた。
そして、質疑応答のところでは、ず~っと、わたしの顔が映ったままだ。
(追記:しかも、あたしゃその日、すっぴんだったよ! ちっ!! まぁ、いいけどさ。)
また、学校名や個人名をしゃべっている部分も、流れている。

翌朝、ことの次第を学校に問い合わせたところ、学校側も寝耳に水だったようだ。
その撮影者の方は、黙って入ってきて、「ビデオ撮影してもいいですか?」と聞いたらしい。
応対した先生は、出席予定者の名簿に名前が載っていなかったが、父兄のひとりかと思い、
では、名簿に名前を書いて下さい、と伝え、通したそうだ。
でも、学校側でも、父兄にあんな人、いたっけ? と皆が思ったそうだ。
その方は、学校側にも、取材であるとか、自分の所属などは告げなかったそうだ。

これって、違法じゃないのか!?

「保護者の顔をして学校に入り込み、盗撮した映像を無断で配信」した、ということになる。

この日のわたしの話は、あくまでも「学校」と「わたし」との間で行われたものだ。
公立学校だからといって、無断で目的も告げず挨拶もせず名刺も出さず、やっていいいものではない。
取材するなら、前もってコンタクトを取るべきだ。
取材だということがわかっていれば、わたしは講演の最中に学校の方の個人名を出すようなこともなかった。
この配信サイトは結構有名なようだが、こんな低俗なことをやっていては、
真面目に活動している他のフリージャーナリストの方達までもが、誤解されるのではないか。

それに、この日の資料も勝手に流れている。
講演に用いた資料のほとんどは、わたしが、その作成者に正式に使用許可をとり、使っている。
だから、わたしの許可なく勝手に流すのは、これも違法だ。

今日、以下の内容でそのサイトに抗議文を送った。

「(まずは今回のビデオ撮影に至る当地での経緯を説明し)
 配信された講演会の内容については、何ら恥ずべきものはないと思っている。
 しかしながら、
 ・取材の依頼がなく、従って許可もしていない
 ・学校名や個人名が流れている
 従って、配信された映像は、肖像権や著作権に抵触すると思われる。
 等の理由から、配信停止をお願いしたい。」

夕方、そのサイトを観ると、「一般公開はされていません」となっていた。
(・・・ということは、会員かなにか、一部の方々にはまだ視聴できるのか?)
予想はしていたが、そのサイト側からわたしへの謝罪はない。

今回の目的がなんだったのか、わたしにはわからない。
いや、なんとなく、想像はつく部分もあるのだが、まだ詳細がわからないのであえて触れない。
万が一のことも踏まえ、お世話になっている弁護士さんにも経緯は話してある。
配信されていた映像は、念のため、前もって保存しておいた。

どうも、福島のためとかそんな高尚なものでは、なさそうだ。
おそらく、わたし個人への嫌がらせなのかな、と思う。
ならば、小さな講演会などを無断で撮影するような卑怯なマネはすべきじゃない。
だいたい、わたしごときに嫌がらせみたいなマネをして、なんの得があるんだろう?

でもねぇ、こんなことでひるむ「ひまわり」じゃありませんよ~
わたしがほんとうに怒ったらどんなものか、
おそらく「ナマ、ひまわり」をよく知る方々はご存知でしょう。

 (ほれ、これを読んでる同級生のキミたち、今、ぷぷっ、て笑ったでしょう!?)


追記:その2
 今回のことで一番許せないとわたしが憤るのは、「学校」という、いわば聖域を利用したことだ。
 この講演会のことは、市政便りなどの「広報」に掲載された訳ではない。
 その学校の保護者にしか、お知らせはいってない。
 ならば、なぜ、そのジャーナリスト側は、この講演会のことを知り得たのか? これが最大の疑問だ。
 こんなことは考えたくはないが、
 もし、保護者のなかに、ひまわりはけしからん!懲らしめたい!
 と考えておられた方がいて、それを彼等に知らせたのだとしたら、その方法は間違っている。
 自分のお子さんが通う学校ではないか。

 講演会開催の時間帯、まだ学校に残ってクラブ活動などをしていた子ども達もいた。
 
 翌日に学校から詳細をきき、わたしはぞっとした。
 「保護者を装い(そのように誤解される行動)をして学校には無関係の人間が立ち入ってきた」という事実。
 数年前、大阪でおきた、池田小学校での殺人事件を思い出した。

 もし、わたしの話すことが気に入らないのであれば、講演会の際に、堂々と反論を述べるべきだ。
 
追記:その3
 クレームが来た訳ではありませんが、
 保護者かどうかも定かではないのに、誤解を受ける表現なので、訂正します。





一陽来復

2012年01月04日 | 東日本大震災
小学校の恩師のK先生からいただく年賀状は、毎年手作りの版画だ。

いつも、短いけれど意味深い言葉が添えられている。
今年は、「一陽来復」と書いてあった。

この熟語は「いちようらいふく」と読む。

意味は
 1 《易(えき)で、陰暦10月に陰がきわまって11月の冬至に陽が初めて生じることから》陰暦11月。
   または、冬至。《季 冬》
 2 冬が去り春が来ること。新年が来ること。「~の春」
 3 悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうこと。「~を願う」
                             (デジタル大辞泉から)

これは、昔の中国の「易経」に出てくる言葉なのだそうだ。
だんだん日が短くなって「陽」の気が少なくなり、旧暦の11月頃に「陰」の気になる。(→これが冬至)
その後、また少しずつ日が長くなり、「陽」の気が復活する。
という意味から、2.や3.の意味にも使われるようになったのだとか。
「来復」の復は、「復活」の復 の意味なんだな~。

明日から(これを書いてる今はもう「今日」だけど)うちも仕事始め。
「福島」の復活を願いつつ、また頑張るぞ!

箱根駅伝

2012年01月03日 | 日々のつぶやき
東洋大学が総合優勝した。
往路5区の走者は「山の神」と言われている柏原竜二選手。
彼は自己の区間記録をさらに縮め、区間新記録を出した。
辰年の今年、いわき市出身の「竜二」選手の走りは、観ている者にも勇気を与えたと思う。
そして、終了後のインタビューに答えた言葉にも、さらに励まされた。

 「僕の苦しさは1時間ちょっとのことですから。福島の人たちに比べれば、苦しくないです。」

福島高校出身の、東海大学・吉川修司の懸命な走りにも、励まされた。

柏原選手、吉川選手、ほか、福島県出身の選手の方々、参加なさった全ての選手の方々、
ありがとう!!

馬九行久(大堀相馬焼)

2012年01月01日 | 東日本大震災
表題は、「うまくいく」と読む。

前の記事の乾杯のついでに、大堀相馬焼のことを・・・。
大堀相馬焼は、福島県浪江町で作られていた。
その歴史は江戸時代に遡る。
http://www.somayaki.or.jp/somayaki/

    

これは、松永窯のもの。
湯飲みの中に「左馬(ひだりうま)」が描かれ、外側には八頭の馬が末広がりに描かれている。
合わせて9頭の馬。
馬が9頭で「馬九」
前向きに走れば何ごとも「うまくいく」という願いが込められている。

大堀相馬焼の地区の方々は、避難区域のために、今は二本松市をはじめとした各地に避難している。
この松永窯の先代にあたる方は、亡くなった父の、旧制双葉中学の同級生だった。
母方の身内にも、窯元がいる。
窯元の中には、会津の本郷で、本郷焼の方々と共に、陶芸を再開した方もいらっしゃるそうだ。
今、被災地から避難している方々が、いつの日か故郷に戻れることを、心から祈っている。
新しい年への願いをこめて・・・。

そして、新しい年

2012年01月01日 | 東日本大震災
毎年末の紅白歌合戦、わたしは音楽が好きだから、結構それなりに楽しんで観てた。
反面、「紅白なんかで喜んじゃって・・」みたいな、ナナメな気分もあった。
だけど、昨年の紅白は、心から感動して観た。

猪苗代湖ズの演奏や出演に関して、すでにいろいろ言う輩もいるみたいだけど、
わかる人に、わかればいい。思いは十分伝わったはず。
わたしは、福島県民として、嬉しかった。
西田敏行さんの歌も、心に響いた。泣けた。
長渕剛さんのメッセージも、感激した。
歌の力って、すごいな、って思う。

出演した歌手の皆さま、ステージ演出に関わった全ての皆さま、ありがとうございました。

猪苗代湖ズの箭内さんも言ってたけれど、福島はまだ、なにも終わってない。
だから、新年おめでとうと表現するのは、気がひけた。
でも、やっぱり、言おう。

 あけましておめでとうございます

いつも通りのモノがそろわなくても、いつも通りの気持ちでいればいい。
そんな毎日の積み重ねが、復興にもつながる。
そう、信じてる。

よし! 今年もがんばっぺ!!

真夜中に、夫とふたり、乾杯した。

写真の徳利とおちょこは、大堀相馬焼(浪江町)のもの。
つまみは、福島の郷土料理の「イカ人参」。